死んでしまった人 | うしろむきだけど、まえむきに

うしろむきだけど、まえむきに

一人暮らしになりました。
ひとりになってからの、ひとりになる前の思いを少しずつ綴っていきます。

七回忌が来ます。

4月下旬です。

 

いろいろ迷いましたが

お寺さんには、来ていただくよう

お願いしています。

宣言効力中のど真ん中。

 

会食無し、来ていただく人も

3人までに減らしました。

でも、それももしかしたら

無理になるかもしれない。

 

延期も中止も考えました。

従兄の奥さんにも相談しました。

仏事の延期はできないものだと

言われました。

後の方が収まってるんちゃう?

日を早めることも考えました

都合が悪いと言われました。

 

お寺さんはさばけてて

延期でもいいと思うと言ってくれたけど

 

田舎の本家の意見には

逆らいにくいです。

 

車で来るし

お膳もなしにして

人数もぎりぎり減らして

できるだけ離れて座ってもらおう

いていただく時間も、できるだけ短くしよう

 

これだけ工夫しても、考えても

来れないかもしれないと

思わせる返事が来ています。

 

もちろん、こちらも

断ってくれていいよとは言ったし

こんな状況だから

断られても仕方ないけど

 

掲示板の色んな意見を見ていたら

年寄が法事をしようとしている

法事なんか絶対必要なものじゃない

生きている人が大事

寺を儲けけさせるだけ

なんていう意見が見られます。

 

親戚たちも

数ある法要の一つ

自分たちが行けなくても

かまわない、って思ってるんでしょう。

大切な家族、守らなあかんし

それはわかっていますけど

わかってるんやけど…。

 

死んだ人より

生きている人が大事

 

ずうんと、太い杭が

胸にずぶずぶ、沈んで行くような言葉です。

 

法事、するけど

私には、死んだ人やないんです

大切な人の法事なんです。

 

何だかおかしいこと言うてるけど

矛盾してるけど

大切な人の、大切な日なんです。

 

そんなこと言ったって

通じませんよね…

 

ここだけでしか

言えない話

 

今でも、お母さんを

守りたい。

そう思ってる心は、同じやのに。

 

私の何が悪くて

こんなばち、あたってるんやろ。

 

誰か、こんな場合

こんな工夫があるよって

教えてくれる人、おれへんかな。

 

お母さん。

 

宣言発出された日は

私の誕生日。

 

泣きながら、祝ってもらいました。

お母さん、ありがとう。

 

そして、やっぱりほんまにごめんね。