かわいそうで かわいそうで | うしろむきだけど、まえむきに

うしろむきだけど、まえむきに

一人暮らしになりました。
ひとりになってからの、ひとりになる前の思いを少しずつ綴っていきます。

3月ごろから、従妹の奥さんに相談していました。

 

濃厚接触を避けるため、

会食は見送った方がいいか、

それは賛成してくれました。

高齢の人も集まるため

人数も最小限にするつもりだとも

 

自分たち夫婦は絶対行くからね、

と言ってくれたけど

4月には落ち着いてるんやない、

とも言っていました。

私はとてもそうとは思えないけど

とりあえず様子を見ることにしました。

 

3月下旬。

日々変わる状況に

日を早めたほうがいいかもと

相談したけど

早められたら私たちは無理

孫の面倒みなあかんから

 

別に、夫婦そろって来てもらう

必要、ないんやけどな

従兄のお兄さんだけでもええんやけど…

とは、言われへんし。

 

でも仏事は後にしないもの

予定通りの日にちの方が

四月後半やから収まってると思う、って

従うことにしました。

 

もし、事態が悪くなっても

相手に言葉に従った結果なら

責められなくてすむだろうという

打算も働きました。

 

従兄の奥さんは世話好きで

人をたくさん集めたがる

自宅のバーベキューは

30人くらい人が集まります。

 

でも、私は、長い間つきあいがなく

付き合い再開してから会った人たちには

昔子どもで、お年玉もあげてない子が

成長して家族を作ってたりする

 

そんな中に

平気で「久し振り」となれなれしく

近づいていけるようなたちではない

だから大勢集まっても

ぼちぼち、近づいていくしかない

 

そんな中に、従兄の奥さんの

友達の子どもたちがいて

早くに親を亡くしたその子たちを

彼女は何くれとなくかわいがっていて

 

ある時のバーベキューに

その子の結婚祝いをするという

 

その日は、年期法要じゃないけど

祥月命日。

 

だから、断りました。

祥月命日で、お寺さんがくるから、と。

 

すると

「お寺さんが帰ってから来て」

 

断りました

多くは語らず「今日は無理やから」って

 

静かに、その日は大切な人のために

過ごしたいっていう気持ち

伝わらへんねんね。

結婚するその子は

私とは何の血縁関係もないし

一年のうち、会うのはわずか。

 

自分の大切な子やから

私の大切な人のための時間を

その子のために、使えっていうんやね。

 

身体を持って生きてる

若い人のための

にぎやかな集まりの方が

大事なんや。

 

去年、その家で法事がありました。

 

いざ会食となって

なぜか、男性たちだけが

料理屋に行っての食事でした

女性たちは家でお膳を取りました。

おそらく費用的な問題のようですが

私は料理屋の方へ行かされました

何の説明もなく

「遠慮せんと行ってき」って

 

私が世帯主だからでしょう。

家の代表だから、ということは

察することができましたが

 

でも、普段ほとんど話したことのない

男の人にまじって

何話せ、って言うのん。

何が楽しいねん。

おばちゃんやから

それなりに対応するけど

 

家に残った女性たちには

血のつながりのない、

その家の甥のお嫁さんたちが

参加できてる。

女性ばかりの集まりなら

気の置けないおしゃべりが

できたことでしょう。

 

気配りのあるおもてなしのつもりなのでしょうか。

のけものにされて

私には応える仕打ちでした。

何の罰ゲーム?

 

会食が終わって

粗供養頂いたら、さっさと帰りました。

お母さん、悔しかったよ。

 

ご飯食べに行こうよ

仲良くしようよ

老後楽しく過ごそうよ

 

その言葉に嘘はないやろけど

 

お墓のこともあり

私の心は今

離れていきつつあります。

 

そして今度。

 

誰も法事に来れなくなりそうです。

この状況だから

仕方ないけど

仕方ないけど…

 

こういうことって、積み重なりやから

たとえ誰も来れなくても

あんなことなかったら

もっと気持ちが収まってたかも。

 

法事はこの先まだあるけど

やっぱりちゃんとしてあげたい

なんでこんな時に

法事が重なってしもたんやろ

 

去年、その家は

私に悔しい思いをさせながら

きちんと法事ができたのに

 

お母さん

甥や姪や実家のために

色々一生懸命尽くしてきたのに

誰にもおまいりしてもらわれへんやなんて

 

かわいそうや

お母さん、かわいそうや。

 

私の何が悪くて

ばちがあたってるんやろか。