第4回 朝鮮半島の戦いに日本が参戦! ~厄介な隣国とのかかわりの始まり~ | 日本人のための近現代社会

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主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげています。日記は投資について書いていきます。

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 前回の動画で高句麗が隋帝国から4回も攻められたにもかかわらずこれに勝利し、国力が低下した隋は滅亡したという話をしました。今回はその間の日本の動きから解説をしていきます。

YouTube https://www.youtube.com/watch?v=81Hv2o5Ao7Y

ニコニコ https://www.nicovideo.jp/watch/sm36516688

 

前回解説したように隋の煬帝は突厥と高句麗が同盟して隋を攻めてくるという可能性を危惧していました。隋としては高句麗突厥連合軍に加えて日本の海軍までもが戦いに加わるとなれば国家存亡の危機という事になります。日本を敵に回すという事は絶対に避けなくてはならない状況なわけです。

 そこで日本は「今がチャンスだ!」という事で隋に使者を送ります。この時に派遣したのが教科書にも出てくる小野妹子です。あの有名な「日出ずる処の天子、書を日没する所の天子にいたす、つつがなきや」という国書をもって隋の皇帝に会いに行ったわけですよ。当時、中国にこんな失礼な書状を持って行ったりなんかしたら、激怒した煬帝にその場で処刑されても文句は言えないですから、小野妹子もぶっちゃけ内心気が気じゃなかったと思いますよ。ただ、そこは煬帝もバカではありません、日本を敵に回したら国がやばいということで「ふざけるな」とは思いつつもそこは感情を押し殺して対等の交易に応じるという事になるんですね。国際情勢を的確に理解した上での素晴らしい外交だったと言えるでしょう。ちなみに小野妹子って言われると名前の響きとか小野小町のイメージなんかもあって誤解されがちですが男性です。

 

 そんな感じで実にうまく立ち回った日本だったんですが、前回も解説したように隋帝国は高句麗に4連敗し滅亡、唐が誕生することになります。この唐という国がとんでもなく征服欲が強くて、東突厥を制圧した上に朝鮮半島や日本にも隙あらば攻めるぞという構えを見せ始めます。そうなると当然、朝鮮半島でも日本でもこれはやばいという事で対応がとられていくことになります。

 具体的には中央集権をすすめて国家として唐に対峙できる方向に改革をしていきます。百済でも高句麗でもクーデターを起こして国内の混乱を招きそうな勢力をあぶりだし国外追放または処刑という形で挙国一致体制を作っています。これが640年代前半の出来事です。

 また、日本でも645年に乙巳(いっし)の変が起こって蘇我氏が殺され、中臣鎌足、中大兄皇子らが実権を握っていますね。この時に行われた政治改革が有名な大化の改新ということになります。

 

 ところが、ただ一つ、このような事態に対してgdgdな対応をしてしまったのが新羅です。当時、新羅は女王が統治していたんですけど、「女に従うなんて冗談じゃない」というだけの理由で国内はバラバラの状態になってしまっています。これを見た百済は「この非常時にあいつらは何やってんだ、バカなのか」ということで新羅に攻め込みます。当然こんなgdgdな状況では新羅は対応できませんから高句麗に助けを求めることになるんですが、「お前がバカすぎるんだよ」ということでこれを拒否されています。そんな状況で結局女王は争いの中でなくなってしまい、次の女王が即位します。

 そんなgdgdな状態で新羅はどこか頼れる国はないかという事でまずは日本に使者を送ります。ところが、日本も状況は分かっていますから「おたくの国内状況が酷すぎますよね、まずはそこから何とかしてから話もってきてくれませんかね」という事で協力は得られません。そこで追い詰められた新羅は一番やってはいけない選択をしてしまうんですね。そう、唐に泣きつきます。649年から650年の間に新羅は政治システムを唐と同じにし、独自の年号も捨てて唐に年号を採用。完全なる属国宣言をやってしまいます。

 周辺国が唐の脅威に対して何とかして備えようとしている時、こともあろうにに唐に泣きついてしまったわけです。

 これによって百済高句麗連合VS唐新羅連合という構図が出来上がってしまったんですね。地図を見てもらうと分かるんですが、この構図って百済高句麗は完全に両軍からの挟み撃ちに合ってしまう形になるのでとても不利なんです。

 当然百済高句麗としては挟み撃ちになってしまったら絶対に勝てませんから、まずはとにかく新羅をつぶせという事になります。そこで、654年、連合軍は新羅に向けて攻め込むんですが、ここでまた新羅がやらかすんですね。唐に対して自国内で自由に活動していいから、とにかくあいつらを追い払ってくれという事で半島内に唐の軍勢を自ら招き入れ唐の軍勢の力で百済高句麗連合軍を打ち破り、百済を滅亡させています。当然新羅は後にこの時のツケを払わされることになるんですがそのあたりの話は次回動画でやっていきます。

 

 さて、この戦いで百済の生き残りが日本に救援を求めに来ることになります。日本としても情勢は分かっていますからこのまま半島が唐によって統一されてしまったら日本が危なくなるという事で百済からの救援要請に応じる形で海を渡って参戦しています。これが白村江の戦いというやつですね。実質的には日本と唐帝国との戦いで、結果は日本の惨敗でした。次回はこの白村江の戦いの後の日本と朝鮮半島の動きについて解説していきます。

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