なぜ日本人はデマに流されやすいのか? ~流すバカが悪いで片付けてはいけない本質の話~ | 日本人のための近現代社会

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https://www.youtube.com/user/so96079607
http://www.nicovideo.jp/mylist/45694866

 今回の例のウイルスの関連での話なんですけど、ツイッターでのデマが原因でトイレットペーパーの買い占めが起こって一時的にお店からなくなるっていう現象が起きましたよね。マスクが品薄になるっていうのはまぁ分かりますよ。感染症ですからね。ところがトイレットペーパーとか紙おむつって話になると、これはもう感染症とは関係ない話なんですよ。では何でこんな事が起こってしまうのか。これをデマを流す迷惑なバカが悪いんだで片付けるのは簡単なんですが、それで終わらせてしまってはいけないよという話をしていきます。

動画解説

YouTube https://www.youtube.com/watch?v=RSgk1NV40t4

ニコニコ https://www.nicovideo.jp/watch/sm36553015

 

 確かに直接的な原因はどっかのバカがやらかしたデマの拡散でした。ただ、こういうバカが一定数いるというのは仕方がない事なんですが、より深刻なのは国民がデマを信じてしまい、パニックになってしまったという事実です。この原因は大きく分けて2つです。1つ目は非常時に備えた備えをしていない事、もう一つは非常時が起こってしまった際に頼れるコミュニティが存在しない事です。

 

 1つ目に関しては、家にトイレットペーパーが買えなくても1か月くらいは困らないくらいの量を備蓄していれば「これはやばい、買いに行かなきゃ!」とはならないわけですよ。結果としてみんなで殺到はしませんからただのデマで終わるんです。ところが備えをしていない所が多いからパニックになるんですね。ではなぜ備えをしないのか。一つは簡単です。金がないからです。だって非常時の備えって普段は何の役にも立たないどころか、場所も取るし邪魔なものでしかないわけですよ。そんな役に立つか分からない、むしろ役に立たない事の方が多いものにお金を使うかって言われれば、そんなことやるくらいなら生活に必要なものを買うわって話にしかならんのですよ。要は「ムダ」なものなんです。だからそんな「ムダ」なものに対してお金を使える人っていうのは生活にゆとりのある人に限られるわけです。日本経済はずーっとデフレで、その上非正規雇用も増えて余裕のある生活を送れる人の割合はだんだん減っていってるわけですから、今後もこういったデマに流される人は減らないでしょう。

 

 次に2つ目にいきましょう。非常時に頼れるコミュニティがないってことなんですがこれは特に都会に顕著ですね。都会の団地とかマンションに住んでますって人で隣近所の人と頻繁にかかわりがありますって人はあまりいないと思うんですよ。昔だったら、トイレットペーパーが仮に無くなったとしても、隣近所に行って「なくなっちゃったんでちょっと貰ってもいいですか?」と言える関係が普通にありましたから「やばい!買いに行かないと困る!」ってことにはそんなにならなかったわけです。

 

 ではここからが本題です。今説明した2つの原因って個人的、地域的なことなんですけど、これを行政とか国家レベルに置き換えるとどうなるかわかりますか。非常時への備えっていうのは=安全保障ということになります。では非常時に頼れるコミュニティはどうでしょうか。要は困ったときには日本人同士助け合いましょうという気持ちですね。この気持ちのことを広い意味で「ナショナリズム」とか「国民意識」と言います。

 なんかね、安全保障とかナショナリズムっていう言葉を出すと、「やれあいつは極右だ」とか「あいつは戦争でもしたいのか」みたいに言い始める頭の悪い人たちがいるんですけど、ハッキリいいますね、こういう人は頭の中が80年前で止まっています。だってそうでしょ、外敵からの侵略という非常時に備えるのが一般的に言われる安全保障です。じゃあ聞きますけど、安全保障って他にないの?って話です。

 もし世界的な異常気象みたいなのが起こって食料生産が激減しましたみたいな非常時が起こったときに備えて、自国である程度の食料自給率を確保しておきましょうっていうのは食料における安全保障です。今回みたいな感染症の流行が自国で起こったときに対応できるように病院のベッドは普段から余裕を持たせた数確保しておきましょうっていうのが医療分野における安全保障と言えるわけです。大地震みたいな非常時が起こった時に備えて、普段から公共事業やって建築業者を維持していこうっていうのはインフラ面における安全保障なんですよ。

 ところがわが国では「ムダを省く」という名目でそういう部分に使われるお金をどんどん削っていざことが起こったときに対応できない国にしていってしまったんです。一番象徴的なのが事業仕分けですが、民主党だから駄目という事ではないです。自民党政権の時からずっとそうやってきたわけですから。

 そのうえでさらに、非常時における国民の助け合い=国民意識を戦後はずっと悪として扱い、個人主義を素晴らしいもののようにいう風潮が幅を利かせてきたわけです。このダブルコンボによって日本国民はデマに非常に流されやすい国民に成り下がってしまったと言えるのではないかと僕は思います。

 

 安全保障とかナショナリズムという言葉に無駄にアレルギー反応を起こすような人に言いたいんですけど、それ自体は善でもなければ悪でもないんです。例えば、めちゃくちゃ話が上手で人からすぐ信頼される人がいるとします。この人物が例えば講演家になったり、カウンセラーになったりして人から感謝されるようになればそれは正しい使い方だと言えますよね。ところがこの能力って悪用すれば人を信頼させたところでお金をだまし取っるとかそういう事にも使えてしまうわけですよ。これと同じことですね。要は使い方の問題ってことです。そしてその使い方を間違えないようにするために国民は賢くならないといけないということですね。

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