お使い言葉 | 不思議なことはまだまだ起こる

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この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

最近、喉が荒れているような気がするのよね~という方、そうで無い方、ぽちっと、応援お願い致します。


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有難うございます。
喉には、水色が効果的です。
何かしら、水色の物を持ってみては如何でしょうか。
幾分かは、楽になると思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 私は、子供の頃、祖父母から、寺社さんへのお使いを頼まれることがありました。

その際、「頼んだよ」と、布袋か、紙袋かを渡され、「うん。いいよ♪」と、伺っていたのですが、ある時、祖母に、「やんちゃちゃん、これね。やんちゃちゃんの為なんだから、自分の手で、神社さんに、お渡ししなさい」と言われ、いつも通り、「うん。いいよ♪」と、言ったのですが、祖母は、「おばあちゃん、今、何と言いましたか?やんちゃの為といったはずです。自分の為になることを、お使い言葉で言ってはなりません。『行って来ます』と、言いなさい」と、強く言いました。
私は、「ああ、うん。行って来ます」と言って、出掛けました。

今、あの時、お祖母ちゃんが言っていた意味が、分かる気がします。

ご縁を頂く方々に対し、今、ご縁がある寺社様を、お伝えする時、「伺います」と、仰ってくださる方と、「大丈夫ですよ。行って来ますよ」と、仰る方の後の差です。

「伺います」と、仰った方は、後の変化が早く、「行って来ますよ」と、仰った方は、変化に時間が掛かるということです。

前者の方は、ご自分の為に、伺ったのだと思います。
後者の方は、言われたから来たんだということになったのだと思います。

祖母が、私に話してくれた「今日は、お使い言葉はなりません」というのは、「誰の為の事なのかを、はっきりとさせなさい」ということであり、はっきりとさせることにより、頂くご縁もはっきりとするということだったのだと思います。

心持ち一つだと思います。
「来ましたよ」という、お心で、手を合わせれば、「ご苦労様でした。足代ぐらいは、お渡ししますよ。お使いなのですから」というご縁にしかならないと思いますが、「私、来ました」ということになれば、「はい、ようこそ」となり、沢山のご縁を頂けると思います。

些細なことと思っても、この差は、とても大きいものです。

言葉は、良く考えて、お使いになられた方が良いと思います。

沢山の方々に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
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いつも応援頂き有難うございます。
心より感謝申し上げます。


浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

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