宮様のお心、大殿様のお心、お祖母ちゃんの心 3 | 不思議なことはまだまだ起こる

不思議なことはまだまだ起こる

不思議なことはまだまだ起こる。
この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

寺社に伺った時、パラパラと雨が降って来たのよね~という方、そうで無い方、ぽちっと、応援お願い致します。


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有難うございます。
寺社に伺った時、雨が降って来たというのは、浄化をして頂いたということです。
お心有難く受け止め、また、伺ってみては如何でしょうか。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

昨日のブログの続きになります。

 祖母は、「あの坊主、あんたとの話の中で、自分の言葉に酔いしれるかのように、説法垂れ始めたよね。あんたが、途中で『お坊さま』と話を中断した時、不服そうな顔をしていた。あんたが、寺の対応についての話をしていると言った時、今度は、『このような話を頂いた時は、相手の話を聞くものだと、私は思っています。やんちゃさんが以前、ご連絡をされた神社は、話を聞かなかったとのことですが、そんなことをするから、不満が残るのであり、聞いて差し上げることが必要なのだと思います。私は、寺の者にも、そう言っています』と言った。あれが、寺に意見を言ったあんたの前で話すことなの?『私は、あなたの話を聞いて差し上げますよ』と言っていることと同じ。自分は見識のある者だと言いたいが為に、その気持ちが先に立つから、話す相手を完全に見誤っている。それと、あの坊主は、あんたに、『私が、この寺に、再び務めることとなった時、私は、寺に対し、この寺は、人に優しくないですねと話しました』と言っただろう。では、寺に意見を言ったあんたに、『お寺のお茶というものを、どうぞ』と高みから言い、若い僧侶の至らなさと自分は違うと示し、徳川家、また、寺に墓がある方々の心を踏みにじるようなことをしておいて、あの坊主は、一体誰に優しいの?自分だけなんじゃないの?寺に意見を言えば喧嘩腰、口を開けば己のことばかり。僧籍資格を持っていても、寺勤めをする人格が備わっていない」と言いました。

そして、祖母は、「あんたを、あの坊主が寺に呼んだ目的は、ただ一つ。意見を書いたあんたを寺に呼び、自分の話、また、書を持ち帰らせ、周りに、自分の力というものを誇示したかったからだよ。それが、あんたに話していた言葉に全て表れている」とも言い、「そもそも、あのような話の時は、その相手の心を考え、相手の意見を心から聞きたいと思うならば、職員と仕切り一枚の席を勧めることはせず、少し離れた席を勧めるものです。席は、他にもあったのに、わざわざ、あの席を勧めていること自体が、あの坊主の目的が見えているのよ。ニターッと笑って、あんたの話を聞いている姿に、本当に、こちらは不快でした」とも言っていました。

そして、祖母は、「あの坊主から渡された書に、手紙を添えて返しに行きなさい」と言いました。

私は、「もう、面倒なことは嫌だし」と言ったのですが、「このことも含めて、あんたは、住まいを移したの。徳川さんが呼んだの」とのことでした。
そして、祖母は、「あんた、あの時のこと思い出しなさい」と言いました。
祖母が、思い出しなさいと言ったのは、以前、私が、あるお寺の方と、ご縁を頂いた時の事でした。

その方は、お寺の勤めというよりも、気持ちが、外に向いていると感じた方でした。
また、お話を伺う中、お寺の名を仰ってくださったのですが、その時、そのお寺の檀家様のご先祖様が、私に、「寺の名は、記憶に留めないで欲しい。寺の名は、私たちの名でもある。勤めも果たさぬような者に、寺の名を口にされるのは意では無い」と、お話くださいました。
ですが、私は、「この方も、寺のことを考えていると思います。私が、ご縁がある寺社の名をお伝えした後、その寺社の姿に学び、ご自分のお寺の事に繋いでいくことになるかもしれません。少し、待って頂けませんでしょうか」と申し上げたのですが、「先ず、無いな」と、あっさり仰られました。

その後、その方とは、メールのやり取りをさせて頂いておりましたが、お心変わることは無く、私は、その方に、檀家様方のお気持ちを伏せたまま、やり取りを控えさせて頂こうと思っていました。

その返信文を書かせて頂こうと思っていた時、祖母から、「待ちなさい!あんたは、まだ、何も話してないじゃない!どうして、分からないって決めつけるの?あの日、あの人と一緒に来られたのは、あの寺の檀家さんのご先祖様だったよね。どうして、一緒に来られたと思うの?寺勤めよりも、他に心が向いていることが苦しいから、そのことを分かって欲しいから、伝えて欲しいから、いらっしゃったんじゃないの?今は、あの人を憎んでいる訳では無いよ。ただ、心苦しい状態になると恨みに変わります。その前に、あんたに話して欲しいと思ったんじゃないの?もし、お祖母ちゃんのお墓がある寺が、同じ心であったなら、あんたは、お祖母ちゃんの事を思って話してくれると思います。でも、身内の事じゃないからと思って、話さないの?それとも、寺の人だから、自分で考えたらいいと思うの?お祖母ちゃんは、お寺さんの方が云々ということでは無く、今、あんたの心に問うています。中途半端なことをしたら、あんたも、ただじゃ済まないよ。出来るだけのことはしなさい!話なさい!」と言われ、その方には、その旨、書かせて頂きました。

お相手の方から、頂いた返信内容には、お寺の勤めに従事するお心が記されていました。

祖母からは、「あんたの考えなんて必要無いの!求められることをしてください」と言われました。

そして、この度のことで、執事の方に、お返しする書に添える手紙を、迷い、考え、書いていた時、ご縁を頂いた方々から、沢山のお品、ご連絡を頂きました。

そのお品、ご連絡内容は、とても驚くものでした。
私が、ご縁を頂く方々は、源氏、徳川、明智のエネルギーというのか、支えを持っていらっしゃる方が、とても、とても、多いです。
ですので、このような時に、皆様方からのお言葉、お品が、とても支えとなりました。
心より感謝申し上げます。

そして、魂の結束の強さというものを、今一度、感じさせて頂きました。

祖母は、「手紙が書きあがったら、封をせず、あの寺の若い僧侶の目に触れるようにして、あの坊主が書いた書に併せ、返して来なさい」と言いました。

ですが、その時、大殿様が仰ったのは、「おばばさまが仰ることは、ごもっとも。あの寺こそがやってはならないことをしたのだから。神社、寺というものは、民、子孫の幸せを願う為に、皆が残したもの。勤めに驕り、民の心を傷つけるようなことはあってはならない。ただ、書に併せ返す文には、封をして欲しい。石田殿が(=石田三成公様です)そうであったように、戦に敗れても、民を思う心は負け知らず。民を、民をと思う心は、どなたにも引けを取らない。同じ心であるからこそ、徳川に、民が平穏で暮らせる世を望み、託してくれたと思っている。やんちゃ、文には封をして欲しい。おばば様の心に背いてでも、封はして欲しい。伏して願う。あの者も、私にとって、民である。文が若い僧侶の目に触れるようなことがあれば、あの者の身が立たない。それだけは控えて欲しい」とのことでした。

私は、何故に、大殿様が、石田三成公様のお名前を出して来られたのか、良く分かりません。
また、もうお一方、お名前を出されていらっしゃったのですが、今は、その方のお名前を思い出すことが出来ません。

ただ、徳川家のご霊廟を見世物小屋のように言葉発する方でも、人の心を踏むような方でも、その言葉、心を呑み込んでしまう大殿様の「あの者も、私にとって民である」という、お言葉に、ただ、ただ、涙が溢れました。

私が、どのような言葉で申し上げることも、ご無礼になるのですが、敢えて言葉にするならば、お心、お考えの深さ、物事の計り方において、「スケールが違う」ということです。

私たちを、幸せな世で暮らさせてあげたいと、願い、望んで、今日まで導いてくださっている魂の方々のお心に、本当に心から感謝しました。

私は、この度の事、あのお坊さまによって、知ることが出来たような気がしています。
先人の方々の心に触れられたような気がしています。

また、この度のことについて書かせて頂いたのは、皆様方、ご意見一致です。

最初に、お寺に送らせて頂いた文は、「節分前に送りなさい」と言われ、頂いた書を、お返しするのは、「新元号が発表される前に」とのことで、この度、このようなことをブログに書かせて頂くことは、「元号が変わる前に」とのことでした。

このことについて、皆様方は、「のちに、その意味が分かる」と仰っていらっしゃいました。

この記事を読んでくださった皆様方には、心より感謝申し上げます。
有難うございました。

沢山の方々に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
ぽちっと、応援頂ければ幸いです。


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いつも応援頂き有難うございます。
心より感謝申し上げます。


浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

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