ご祭神様にお願いすることについて | 不思議なことはまだまだ起こる

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この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

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有難うございます。
マイナスエネルギーが溜まって来ると、肌がくすんできます。
何かしらの浄化をなさってみては如何でしょうか。
元の肌の色に戻って来ると思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 以前も、ご縁を頂いた方に、同じような事を尋ねられたことがあるのですが、再び伺うこととなり、「なんだそりゃ」と思いました。

それは、「私は、ある方に、神社でお願い事をするならば、その時、払えるお金を出来るだけ多く納めた方が、願い事が叶うと言われました」ということです。

お相手の方は、真剣にお話くださっていらっしゃるので、「なんだそりゃ」と思ってしまうことは、ご無礼だとは重々承知しておりますが、私には、違和感でしかないです。

「お願い事をするのに、少額では」と説明を受けたということでしたので、そのようなことを仰るならば、説明をした方というのは、神社で願い事をする際、「これが、私が今払える精一杯。ここに入れたからな!あとはそっちが何とかしろ!」と言っていることと同じである訳で、もしも願いが叶った場合、その方は、神社に伺い何と仰るのだろう「やっぱり、金で動くんだな」とでも言うのだろうかと思ってしまいます。

真のお心は存じ上げませんが、仰っていることは「ご祭神様は、心では動かない。金で動くもんだから。願いを叶えてもらうには、金にものを言わせるのが一番」と言っていることと同じです。

そのようなことを人に勧める方が、ご祭神様と心通わせることが出来ているのだろうかと疑問に思います。

そもそも、困っているから、お力添えを求めているのに、人の弱みに付け込んで、「助けて欲しいなら、それなりの金を払え」と求めるご祭神様がいらっしゃるのだろうかと思います。

かなり前の事になりますが、私はある神社に伺い、お賽銭を納めようとしたのですが、お財布の中を見ると、お金がありませんでした。
伺う前のお寺にお金を納めていたことと、コンビニで飲み物を買ったからです。

『あっ、お賽銭無いや』と思い、私は自分の足を擦りながら、「今日は、お天気も良かったし、ここまで歩いて来たの。今日は、お賽銭無いけど、今度は納めますね」と申し上げると、ご祭神様は、「何を言ってるの。歩いて会いに来てくれたのね。気を付けて帰るんですよ」と仰ってくださいました。

そのお言葉が、お心が嬉しくて、私は、その神社さんの祭りごとなどには伺えずとも、お祭り前に「僅かですが、お役立て下されば」と心を納めるようになりました。

そして、今は、すっかりご祭神様になついています。

私は、お金を納めた分だけ事が解決されるのでは無く、願いが叶えられるのでは無く、真の心を納めることの方が、解決や、願いに近くなるのでは無いかと思います。

その後に、「あの時は有難うございました。神様のお力添え、お心を必要とする方々の為にも、いついつまでも、こちらに居て頂きたいです。(寺社は建物を修復する費用が掛かります)僅かばかりですが、この度のこと、お力添えを頂いたことのお礼として、納めさせて頂ければと思います」で良いのではないだろうかと思います。

私たちは、神の分け御霊です。
その分け御霊の心よりも、お金を選ぶご祭神様がいらっしゃるとは、私には考えられません。

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浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

http://www.blue-planet.tokyo.jp
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