「ならば」と、「是非」の違い | 不思議なことはまだまだ起こる

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この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

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有難うございます。
神社は清く、お寺は強いです。
どちらとものご縁を頂いてこそ、物事はバランス良く運んでいくと思います。

 私は、浄化の話や、今、後押しを頂ける寺社の名を、お伝え申し上げておりますが、事の進み方の違いを感じることがあります。

少し遠方であっても、「その神社の名は存じ上げませんでしたが、是非、この機会に調べて伺おうと思います」と仰る方と、「ご縁を頂けるならば、伺うようにします」という、お言葉の違いです。

「是非」という言葉には、「是非ともお力添えをくださいませ」というお心が含まれていると思いますが、「ならば」という言葉には、何かしらをしてくださるならば伺いますという「条件付け」をした意味が含まれると思います。

私が申し上げていることが、全く持って正しいだとか、私が申し上げていることが全てであると思ったことはありません。

ただ、お力添えを頂く違いが生まれてくるのは、「貴方のお心なのでは無いでしょうか」と思うことはあります。

言葉には、真の心が表れています。

「ならば」と、「是非」は、大きく違うと思います。

仮に、お伝え申し上げた方に、「では、そう話してくれたら良いじゃないですか」と、詰め寄られたところで、「向き合うのは貴方なのであり、人に言われたから『是非』と思って来ました」と偽りを述べたところで、偽りは偽りです。

そもそも、「行ったら良いのよね。必ず、何とかしてくれるのよね」と、条件をつけて伺うご参拝は、境内の、神域を乱すことに繋がり、良きご縁が確かなものになるとは思えません。

そのような方は、「親しくご参拝を」とは望まれず、「久しくご参拝を」と、距離を置かれると思います。

「手を合わせれば何とかなるんでしょうね」という心で伺うのか、「ご縁を頂けて嬉しいです♪」という心で伺うのかは、全く違うことです。

私は、鑑定後、ご縁を頂いた方々とメールのやり取りをさせて頂いておりますが、ご連絡くださった方の文面に、「とにかくお優しいんです」という言葉が記されていて、『これこれこれ!これなんだよなぁ、貴方がご祭神様に愛される理由は』と思いました。

堅苦しく考えるでもなく、お心を受け止め、その優しさが嬉しかったという、とてもストレートな言葉。

「○○してくれたら喜べます」でも無く、優しさに触れたことに、ただ、ただ、有頂天になる。
大概、そのような方は、『帰りたくないな・・・』と駄々をこねていると思いますが、「今日のところは帰りなさい。気を付けて帰るんですよ」と、帰されていると思います。

ですが、そのような方の事は、ご祭神様方は、「何とも可愛いな。何かしらの力添えをしてあげたいなぁ」と、お考えになられていると思います。

だからこそ、その後に、お力添えを感じるのだと思います。

目的を持ったご参拝と、ご縁を頂くというご参拝は、全く違う流れになると思います。

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浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

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