自己満足は、深いご縁には繋がらない | 不思議なことはまだまだ起こる

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不思議なことはまだまだ起こる。
この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

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有難うございます。
マイナスエネルギーが溜まってくると、指先が荒れてきます。
何かしらの浄化をなさってみては如何でしょうか。
元の指先に戻って来ると思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 私の自宅の近くには、氏神様の御旅所があります。
無人です。

ですが、神職の方もいらっしゃっているのか、託された氏子さんたちがなさっていらっしゃるのか、未だお尋ねしたことはありませんが、毎月二回、十名弱の方々が、とても丁寧にお掃除をなさり、紙垂などのお取替えなどもされています。

ですので、いつも美しい状態を保っていて、本当に気持ちの良い参拝をさせて頂いております。

時々、その時にお会いすることがあるのですが、いらっしゃった方どなたにも参拝を優先させ、「さぁ、どうぞ、どうぞ。ご苦労様です♪」と、声を掛けてくださいます。

本当に有難く、参拝後は、「いつも気持ち良く参拝させて頂き有難うございます」と、お礼申し上げます。

その氏子さん方からは、「氏神様、大好き♪」というお心が伝わってきます。

私は、その神社にて、何度か、花や、お菓子、お酒などが置いてあるのを見かけました。

そのお品を見て、私は、『感謝の気持ちが置かれているのだわ』とは思わず、『いつから、ここは事故現場になったんだよ』と思いました。

そのようなことをなさる方々のお気持ちが分からぬではありません。
ですが、その後のことをお考えになられてはいないのだと思います。

花は強風に煽られ、花びら、葉が、境内に飛び散ります。
お菓子は動物が来て、食べ散らかしてしまいます。

お酒も、蓋が空いていれば、瓶が倒れ、中の酒が、建物に染みます。

そのような方々は、その後、神社のお掃除に来られる方々が、ご自分の爪を使って、枯れた花びら、葉が付着した建物から、削ぎ落していることには思いが至らないのだと思います。

お酒で変色してしまったところを、何度も水を掛け、極力痛めることなく流し、元に戻そうとなさっています。

立て札を立て、「やめてください」とはなさらず、「お心ありきのことだから」「また、気持ち良く参拝して頂こう」と、『良き、ご縁だったのですね。更に、深きご縁となりますように』という一心で、整えていらっしゃるのだと思います。

そのような方々のお姿を想像することも無く、境内が乱れてしまうということも想像することも無く、『私は、感謝を伝えた』というのは、ただの自己満足だと思います。

己の身勝手な自己満足の為に、人が腰を屈め、爪を痛めながら、整えていることには思いが及ばないということであれば、そのような気持ちが、果たして、ご縁を深められることに繋がるのだろうかと思います。

事故現場ならば、私は理解出来ます。

ですが、寺社には、賽銭箱というものがあり、また、社務所、寺務所というものがあります。

感謝の心を表したいのならば、その場を常に整えていらっしゃる方々に、「僅かばかりですけど」と、ご自分のお心を預けた方が良いのでは無いかと思います。
心を受け取ってくださり、境内を乱すこと無く、ご縁が深まると思います。

私事ですが、私は、数社の寺社様にお願い申し上げ、ご由緒書などを、数十部、お送り頂くことがあります。

最近は、御朱印、お品などの転売目的の方も多く、寺社の方々も、そのようなことは控えて頂きたいとの理由で、「どのようなことで」と、お尋ねになられることも決して珍しくはありません。

ですので、私は、その寺社様にお勤めであった方に連絡をし、「○○神社(又は、○○寺)のご由緒書きを頂きたいのですが、万一、『どのようなことで』と尋ねられた場合、事を話し、貴方様のお名前を、お借りしてもよろしいでしょうか」と申し上げます。

私が、このようなことをさせて頂くのは、その方の名を出し、事を進めると言うことでは無く、一度断られた上で、それでも無理を通してということになれば、お渡しさせて頂く方々のご縁が薄くなってしまうからです。
「承知いたしました」と、躊躇わず、寺社がお送りくださったご由緒書きであれば、お相手の方にも、とても良きご縁に繋がると思います。

ですので、「断られる前に、お名前をお借りしたいです」と申し上げております。

「ああ、宜しいですよ」と仰ってくださるお言葉に、いつも甘えていますが、心より感謝しております。

その後、お送りくださった寺社様へは、「この度は、お忙しい中、誠に有難うございました」とだけ記させて頂き、心ばかりではありますが、お品を、お送りさせて頂きます。

人様のお名前を、お借りしたのですから、その方が、私に名を貸してくださったことについて、何もしなければ、その方のお心が問われることにも繋がると思います。

そのようなことは無いのかもしれませんが、あってはならぬと思います。

先日、お願い申し上げた神社さまより、私がお礼という形でお送りさせて頂いたお品を、神社にご奉納くださったと、ご丁寧なお手紙を頂きました。

このようなことは、寺社様はなさっていらっしゃいます。

印刷された内容の所に、こちらの名を書いてお送りくださいます。

私は、その神社様からの文面に、神職の方が書かれただろう文字に、少し思ったとことがあり、お名前をお借りした神職の方に連絡をし、「この度は、有難うございました。ご由緒書きを頂き、お礼を送らせて頂いたのですが、お受け取りくださったというお手紙の文字がねぇ~。なんというのか、殴り書きみたいな文字で、あの文字を書かれた方は、御朱印とか書かない方が良いと思うのよ。だって、有難み無いもん」と、申し上げたところ、「貴方は、本当に、何でも仰いますな。ただ、貴方の仰ることも真のことです。勤めというものがいかなるものか考え無い者は、やれば良い、書けば良いという心があるから、書くことは一度、読み返す方は二度、三度ということに思いが至らぬのでしょうな。全く・・・」とのお言葉に、『それって、どっちに対しての全くなの?神社さんに対してのことなの?それとも私が、また、こんなことを言っての全くなの?』と思いましたが、私は、前者の方に決めつけ、お尋ねすることは控えました。

ですが、神職の方が仰った「思いが至らない」というお言葉は、私が、この記事に書かせて頂いたことにも繋がると思います。

感謝の心を表すならば、ご自分が表した心が、その場を傷つけず、相応しく、ご縁を深められることに繋がるのかをお考えになることだと思います。

考えのないことは、ただの自己満足に過ぎず、ご縁を深めることは困難だと思います。

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浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

http://www.blue-planet.tokyo.jp
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