今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

家族ゲームーー十分日記

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今週のお題「最近見た映画」

昨日たまたまテレビでやっていた「家族ゲーム」を見た。

櫻井翔が主演したやつではなく・・・・・・。

過去の映画なのだが、あれの主演は誰なんだろう。調べてみると、一応松田優作演じる吉本なのだけれど、どちらかというと宮川一朗太演じる茂之である気がしてならない。

ウィキペディアで調べるついでに、櫻井翔版の内容を読んでみた。櫻井版をやることは知っていたが、期待はしていなかった。まあね。アイドルがやるやつだから。だが、読んだ感じは悪くないと思った。00年代に入ってからのドラマにしてはずいぶん尖っている。ただ、櫻井演じる吉本がどういう人間なのか暴いていく、ということで、吉本の善悪定まらない神秘性というのは失われているので、個人的には面白くない設定だと思う。

あと、やはりこの作品は家族がテーマなのだと思う。読んだだけでは、櫻井版の家族が現代の典型的な家族といえるのかどうか、なんともいえないと思った。

それにしても、各話の内容まで詳細に書かれているが、そんなに複雑な内容だったのだろうか。

 

さて本題の松田優作映画版の話だが。

うちのカミさんとみていて、「分かりづらい」という言葉を連呼していた。

説明があまりないので、シーンから意味を読み取らないといけない。その分見るのが難しいのは確かだ。兄の慎一が突然、恋心を抱いている同級生の女の子の家に訊ねる。それを一家が何の苦もなく受け入れる。あまり、恋心を抱いているというシーンが描かれずに、慎一は突然家を訪れるので、分かりづらい。

最後のシーンもそうだ。

有名な横並びの食事シーン。そのなかで茂之が志望校合格を祝っているのに、家族は全員どんどん不機嫌になる。そして吉本がひとりひとりぶん殴って、帰って行く。そのシーンの後に続く。(もう書いてしまっても差し支えあるまい)一家が住むのは、その当時流行っていた団地である。父親は不在。母親はキッチンのテーブルで熱心に鎌倉彫か何かの彫刻に夢中になっている。主婦である。部屋は持っていない。外がなんだか騒がしく、ヘリコプターが飛び回っている。子ども部屋にいる子どもたちに向かって、「なんだかヘリコプターがうるさくない」ということを言う。部屋からの反応はない。バルサ材か何かの重厚感がまるでないドアを開けてはいると、長男慎一はカーペットの敷かれた床で仰臥している。次男茂之は学習机に突っ伏している。「あら寝てる」と言いながら、母は茂之に近寄り、肩をゆする。だが、起きない。元のキッチンテーブルに戻るのだが、「ふぁーあ」とあくびをして、テーブルに突っ伏して寝てしまう。ヘリコプターはうなりをあげてローターを回し、飛び回っている。まるでなにかを探しているように。

 

というのが、そのシーンなのだが、ヘリコプターがブンブン飛び回っているというのは、事件を連想させる。マスコミのヘリか何かが飛び回っているような。

母と息子たちは、心中したのではないか、と私は思った。

どうして死ぬのか。別に不幸になったわけでもないのに。

横並びの食事シーンといってぱっと浮かぶのは、「最後の晩餐」だろう。これからイエス・キリストが処刑される前夜の晩餐だ。つまり、これから殺されるのである。

 

 

この家族は80年代から90年代初頭くらいまでの都市部の典型的な家族だ。

父は留守がち、すべてを母に任せる。母は、家庭にいて、パートもしていない。そのくせ、母には自分の部屋もなく、居場所がない。なんとなく、全員の生活に根がないのである。サラリーマンなので家業がない。農業でもしていれば、それを家族全員でやることでまとまることができるし、家族全体の動きが農業に合わせて動くことになる。

全員がまとまる理由がない。だからか、子どもの受験というのを目標にして一応まとまっている。茂之は何かに反抗している。明らかに受験勉強以外に面白い物を見出している。それはジェットコースターである。その専門書を一晩で読み耽り、それを理解してしまうほど好奇心が向かっている。本当はその勉強だけをしたいのかもしれない。

授業のシーンが出てくる。なぜか、英語と国語ばかりがクローズアップされる。茂之は国語のテストで妙な解答をする。たとえば、「温和」の意味を「丸い温室」と答える。あきらかにわざと書いている。「なんだこれは」、と吉本に聞かれ「おもしろいでしょ」と茂之は答える。ボケているのである。

ジェットコースターに興味を持って、工学の道に進むのは現在の感覚では全くもって間違っていない。しかし、両親も吉本もそれを否定する。工学の道に進むのは茂之個人の希望であって、みんなが納得のいく物ではないのだ。なんだか変だが、そうとしか思えない。

 

団地の一部屋にあるその家族はその当時(一九八〇年代)には典型的な家族であった。

 

今の新しい家族、典型的な家族を考えてみる。

その像を想像するのは以外と難しい。

「普通」な家庭は存在するが、その姿はバラバラでいがみ合い、すぐに離婚し、離散し、家庭に求心力がない。そんな気がするのであるが、きっと言い過ぎなのだろう。

それにしても、「家族ー父親」の方が、しっくりくるような気がしてしまうのは私だけだろうか。なんか、家族に父親がいるのは必要悪、みたいな話をネットでよく聞くが、満足している人はわざわざ「満足しています」とはいわないのだから、単に声の大きな人の話を聞かされているだけなのだろう。

 

それにしても初めてみたカミさんが

「なんかアングラ演劇みたい」

と言っていて、笑ってしまった。

 

今日も楽に生きよう。

 

 

家族ゲーム

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video