「へたり込み」と「あきらめ」

 コロナ恐慌の特徴は、人々の動きや実体経済を止めたことにあります。

 その最も深刻な打撃を受けたのが、観光業、航空交通産業、飲食などです。

 自主的休業に対し、貧困な補償しかしないために、今では、「二度と緊急事態宣言を発することはできない」、「経済をこれ以上落ち込ませてはいけない」などといいながら、コロナに対しては、ほとんど何もせずに有効な対策が施されていません。


 7月16日、参議院の予算委員会において児玉龍彦(東大名誉教授)先生が、心を震わせながら警鐘を発せられましたが、結局、政府も都も何もしないままでした。

 それを踏まえて、児玉先生は、自分たちで「コロナ自警団」を作って運動するしかないと発言されるようになりました。

 自分たちの命と生活は、自分で守る、当たり前のことですが、この実行が真に求められているのだと思います。

 利権でしか動かない、都合が悪くなるとゴマカス、そして「やってる感」だけの軽薄なチャリオ集団には、ほとんど期待はできない、そのことを多くの国民のみなさんが自覚し始めているのだと思います。

 自分のためには利権やゴマカシは仕方ない、あるいは、「むしろよし」と考えてきた勢力が、ルイ16世の下に集まって、チャリオ的頭脳を振り回してきた結果、その王様が鎮座している泥船が沈み始めました。

 船が確実に沈み始めて船内への浸水があちこちで発生しているのに、贅沢な休暇や祝宴を催しているのですから、その悲劇に喜劇が加わって、ますます混乱の度合いが深まっているように思われます。


 さて、児玉先生が指摘された「コロナ自警団」を結成させるだけではなく、それを持続的に発達させて「コロナ克服団」にしていくことが大切です。

 ここで気になるのが、「コロナ『へたり込み』」と、それに続いて起こる「コロナ『あきらめ』」です。

 毎日のように「夜の街」に出かけていた方が、自宅で自粛するようになりました。


 そのかぎりにおいては、健康的な生活に戻ったことになりますが、その自粛と共に「へたり込み」が起き、何も考えないようになりました。

 毎日、気になるのはメディアのコロナ情報ですので、これだけはテレビで欠かさず見ていて、これが習慣になりました。


          現代メディアの本質

 ここで気を付けなければならないことは、現代メディアの本質です。

 その第1は、かれらは、政府や都の代弁者であり、その代弁を広報しているにすぎないことです。

 
時々、キャスターが批判めいたことをいうこともありますが、そのほとんどは、悪質な忖度評論家と従順なキャスターばかりですので、きちんとした批判ができないばかりか、メディアとしての報道姿勢も明確にできないのだと思います。

 第2は、短期間の取材の結果のみを報道していますので、どこに本質的な問題があるのかを追究できなくなっていることです。

 たとえば、今の東京都における新型コロナウイルス感染において、もっとも深刻な現象は、感染経路不明者が急増しているにもかかわらず、それを追求しようとしないことです。

 昨日の結果でいえば、東京都の新型コロナウイルス感染者309名のうち、その経路不明者は190名近くありました。

 その3分の2が経路不明者であり、これは、東京の広範囲において市中感染が起きていていることを示しています。

 しかも、この経路不明者の割合は、先々週において約4割、先週にはそれが5割を超え、今や62%にまで達しているのです。

 これは、東京のあちこちでエピセンター(コロナ震源地)が発生していることを示しています。

 この見えない惨状が進行していることを、テレビに出てくる専門家が、なぜ指摘しないのでしょうか。

 また、その指摘に基づいて、その惨状予測をしないのは、なぜでしょうか。

 さらには、その惨状を克服する方法を、なぜ、示さないのでしょうか?

 どこのテレビ局も、残りの3分の1の経路が解っている発表データを示し、家族感染が増えた、夜の街関係の感染者数が減ったという説明に終始しています。

 「夜の街」といえば、東京都の「緑のタヌ〇」さんが、盛んに、それをいい続け、あたかも「夜の街」関係者と訪問者を論(あげつら)っていました。

 あれほど、毎日のようにようにいっていたのに、今や、それをダンマリ、当に変幻自在の「タヌ〇」さんですね。

 もっと自分の発言に重みを持たせないといけませんね。

 以上のような特徴を持ちながらも、メディアとしては、視聴者が、その報道に関心を寄せていただくことが重要です。

 これが第3の本質問題です。

 上記の2つだけでは、その視聴率を稼ぐことができません。

 ここには「半沢直樹」のような「英雄」が登場してくることはありません。

 それに代わる「英雄」が欲しいのです。

 その英雄さんとは、何でしょうか?

 それは、「大変だ、大変だ」といって恐れを増長させることです。

 視聴者は、今の東京の惨状やこれからやってくる「目を覆うような状況」を想像し、「これは大変なことになった」、「自分は大丈夫か?」と思うようになります。

 このかぎりにおいては、何も問題はありませんが、これが毎日のように報じられると、その「大変だ!」が脳内に刻み込まれ、やがて、次の2つの行動パターンが生まれてきます。

 ①この大変で深刻な状況に危機感を覚え、どう、そこから脱出して克服していくかを模索する。

 ②「大変だから、これはどうしようもない」、「いったい、どうすればよいのか!」と思い、その否定的情報の氾濫のなかで、ますます「へたれ込む」ようになる。


 
 おそらく、前者の①の思いで、真摯に、その解決を試みる方は、ほんのわずかではないかと思います。

         「リストラ」と「あきらめ倒産」


 これに対し、②のパターンに陥る危険性がある方は、かなり多いのではないでしょうか。

 このパターンに陥ることが心配なのは、その「へたり込み」が、やがて「あきらめ」へと
転化していくことです。

 これまでは上のいうことに従っておればよかった、重要なことは上が決めるので、私には責任はない、今だけ儲ければよい、で済まされていたのです。

 報道によれば、ニューヨーク市における飲食業の約半分が、この「あきらめ」倒産をするのではないかといわれています。

 日本においても、近い将来に、このような流れが形成されることになるでしょう。

 全日空、日本航空は、相次いで約1000億円の赤字を明らかにしました。

 いずれも、来年度の新卒採用を中止しましたが、それにとどまらず、多くの社員が自宅待機をさせられています。

 この次には、おそらく、アメリカのように大量のリストラの嵐がやってくるのでしょう。

 この「へたり込み」から「あきらめ倒産」に至る問題は、決して他人事ではなく、今の私どもにも突き付けられている問題です。

 この回避とその抜本的打開は、本主題の「いのちと健康の『ものづくり』」においても、真正面に立ちはだかっている課題といえます。

 この課題は、十分すぎるほどに広く、そして、どこまでも追究しがいのある深さと奥行きを有し、命と生活を救うという価値においては本質的です。

 人生の終盤において、このような課題に出会うとは夢にも思いませんでしたが、これは、ある意味で「天命である」と考えたほうがよいと思えるようになりました。

 この「天命」に人生を捧げる、それが可能になることは、真に、自由でゆかいなことではないかと思います。

 この観点から、「命と健康の『ものづくり』」の道を、少しも怯(ひる)むことなく歩んでいきましょう。
 
 (つづく)

midori-558
宇佐市の山並み