僕と父と木の花ファミリー(2)

僕と父と木の花ファミリーに書いたように、僕はつい最近、自分の中で両親と再会する体験をしました。それはこんな感じです。

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近くで暮らしていた頃、僕はずっと「両親は僕が幼児のようであることを望んでいる」と思っていました。そうすれば、僕の世話を思う存分に出来るので。そして、子どもの頃の僕のイメージに固執していると思っていました。僕の世話をしたいという意味で、そういう面は確実にあったと思うのですが、今思うと、彼らの僕への愛着は理屈を超えたもので、だから、僕に対するイメージも特にはなくて、僕がどんな人間でも構わなかったのだろうと思います。そして彼らの僕に対する愛着は彼らの現実で、思うように伝わらないことで苦しんでいたんだろうなとも思います。そういう愛着を誰かに向け、苦しむことは僕にもあって、そう思ったトキ、自分の中で両親と再会したように思えました。

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僕の両親は、僕の想いとは関係なく、僕に愛着を持っていて、そこには共有できるものがありませんでした。そして、僕が大きくなるにつれて、実際の心の距離はどんどん膨らんでいて、そこには冷たい空気が流れていまいした。僕と両親とでは、見ている世界が違っていました。両親の僕への愛着は絶対的でしたが、そういう現実を直視することはなくて、感情の交流という意味では貧しいものでした。そして、それは僕がずっと抱えてきた理屈を超えた愛着にも言えることで、現実の中で他者と共有できる価値のない愛着は彩りがなく貧しいものです。そして、それが僕の人間性の原点となっています。

僕の中での両親との再会は、僕の人間性との出会いであり、それは痛みを伴いましたが、現代社会の反映でもあり、そこと向き合うことが大切だと思いました。人は、便利な世の中を作ることで、好き勝手に想いを持つことが出来るようになりましたが、その結果、社会には分断と孤立が溢れています。物質的には豊かになりましたが、人々の関心は欲得に集まり、精神的にはとても貧しい世界となっています。自分の願いを叶え、何かを獲得することに価値が置かれ、他者と共有する喜びは蔑ろにされています。そういう世界を反映して自分の人間性があり、だからこそ、自分の人間性にメスを入れることは世界にメスを入れることになるのだと思っています。

木の花ファミリーは、すべてを共有することを心掛けているコミュニティです。すべてを共有した上で調和して暮らすためには、一人ひとりが自分の立場を離れ、みんなで共有できる価値を育む必要があります。そのような心を育むことで、分断や孤立へと繋がる貧しい想いを超えていくことが出来るのです。

「本当はそういう暮らしが大切なのかもしれないな。今の社会は全然違うけれども。」

僕を木の花ファミリーに送る道中で、父は僕にそう呟きました。その瞬間、僕らは大事を共有し、心の距離は近づきました。物理的には離れ、それぞれ全く別の道を歩んでいますが、お互いを尊重することで心は近づいているのです。

人は、宇宙や自然の仕組みの中で生かされている。

それはすべてのヒトが共有出来る真理です。そしてそれは「ひとつならりのいのち」を表現していて、この世界の豊かさは循環の中で表現されます。その真理に基づき、みんなが共有できる価値を育んでいこうと思っています。


今朝のお月様。昨日はふたご座満月でした。

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