トキ・トコロを得る

富士山(2019年9月23日秋分・ちなっぴ撮影)

2019年9月23日秋分の日、このブログを立ち上げて丸5年となりました。「5」はカタカムナでは「い」・位置。電気、磁気、力がトキ・トコロを得て現象界に粒子となって顕れる思念です。

トキ・トコロを得る。

それをヒトの姿勢で言うと、この時代、この場所(トキ・トコロ)に自分が生かされている使命に気づくことだと思っています。それを忘れた人間は、自らの自我に翻弄され混沌としていきます。ということで、このブログの位置・トキ・トコロを得て生み出された意味を再確認しようと思いました。まずは昨年の秋分の日に書いた言葉です。

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変化変容が本質であるこの世界では、未来は常に未知なるものです。そして、それは自分自身にも言えることです。現象を追い求める「欲」の心は、そのような未来や自分を思い通りにしようとします。その結果、未来や自分の現実が見えなくなり、混沌が深まっていくのです。「欲」の心は、混沌のままに動きまわることで、混沌を深めていきます。

気候変動や自然災害、紛争や戦争、貧困や餓死。今の世界には様々な問題がありますが、ただそれを解決しようとしても、それは現象を追い求める「欲」の心であり、混沌を深めるだけとなります。それらの問題を生み出している元の心、人間一人ひとりの姿勢を明らかにし、それを正していくトキ、今ある問題は自ずと消えていくのです。

赤米が実っています。

今日は秋分の日、秋の真ん中です。収穫の秋は、種まきの結果をいただくトキであり、明らかになることで諦めるトキです。自我という「余地」が与えられたことで人間には自ずから「欲」の心が生まれます。それは絶えず続く心の動きです。だから人は、絶えずその心の動きを諦めることで明らかにし、自分と世界の現実と向き合い正していく必要があるのです。その動きが世界に彩りを生み出すと共に調和というバランスをもたらします。


国連総会が開幕しています。国連総会が毎年秋に行われるのは、「欲」の心を明らかにし諦めることの大切さを表しているようにも思えます。


そして、このブログを立ち上げたのも秋分の日、今日で丸4年となりました。秋分の日に立ち上げたのはたまたまですが、今思うと、このブログを通して表現し、自ら実践することも、「欲」の心を明らかにし諦めることにあります。





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そして、もう一つは最近ジイジが語った僕のブログに対するこんな言葉です。

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個人の葛藤等の自分色をなくして書くことで、
僕が天の代理として生きているように、

なかのんも僕の代理として、僕の話を引用することは大切なことだよ。

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個人の葛藤等の自分色をなくし、大事な話を引用し発信していく。

それがこのブログがトキ・トコロを得て生み出された意味です。ということで、同じく秋分の日に発行された木の花ファミリー通信秋分号「カタカムナ」の言葉を引用したいと思います。

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その昔、宇宙には、叡智が漂っていました。その叡智が時代の要請を受け、現象を引き起こす思念となりました。それがこの世界の現象化の始まりです。そして始まりが叡智であったように、私たち人間も、他のあらゆる存在も、すべての現象界の設定は、いずれまた叡智へと還っていくのです。その時に、現象のすべては空となるのです。
このことを理解するためには、人間は「自分はこの世界のことを知っている」という側に立つことをやめ、「自分はこの世界によって生かされている」という側に立たなければなりません。その時に、宇宙の叡智は自ずと自らの中に入ってくることでしょう。宇宙は変化・変容・変態し続け、時代と共に真実も移り変わります。ですから現在のカタカムナの解釈をもって、これがすべて正しいとする必要もないのです。それは知識として固定されるものではなく、それを会得することで大宇宙生命の根本の響きと共振し、この世界を動かす、目には見えない大いなる流れを感じ取るのです。これからの時代は、生きることがますます厳しくなってくることでしょう。その時代の変化の中で、瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜いていく力を身に付ける、そのための情報に今、あなたは出会っているのです。
宇宙は情報です。生きるとは、こうするとこうなるという因果応報の情報の連鎖に出会うことであり、カタカムナはその根本原理を私たちに教えてくれているのです。しかし、その原理が通用しない世界が宇宙にはあります。私たちは、因果応報の原理に基づくトキとトコロの対向発生によって存在する、天の川銀河の法則のもとにあり、他の銀河へ行けば、そこにはまた別の法則があるのです。
このように宇宙を捉えていくと、これまでに使ったことのない脳の部分が働き始めます。すると、視点が変わります。視点が変わることで、人は自我から解放され、自由になるのです。

今、時代は大きく変わろうとしています。時代が変わろうとしているのに、人間が変わらないから、社会も変わらず、そのギャップがふさわしい現象となって現れているのが現代の社会です。今社会で起きている様々な現象は、私たち人間が意識を変えて生まれ変わる、即ち質的転換をする大いなる機会を与えられていることを、教えてくれています。無限の可能性を秘めた私たち人間は、どこまで到達することができるのか。その本領を試される時が今、来ています。

カタカムナ人とは、遠い昔を生きた自分とは別の人々ではありません。カタカムナは、私たちの生きる世界の原理原則であり、今この瞬間も、その仕組みによって世界が動いています。その事を理解し、それを生きた時、私たちは現代を生きるカタカムナ(宇宙)人となるのです。


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天の川銀河のすべての存在はトキとトコロの対向発生によりこの世界に生み出されています。その背後の流れる大いなる意思に心を向けたトキ、すべての出来事は永遠に続く旅路の中のワンシーンとなり、繫がりの中でヒトとしての可能性を探求することが出来ます。それはきっと、思い通りにはならないけれども、思い通りにはならないからこそ、可能性は人智を超えて無限に広がっていくのです。ということで、大いなる意思に心を向けたジイジの至福の言葉でこの原稿を締め括りたいと思います。

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私はいつも意識があなたのほうを向いていることに気付きます。それは、私がこの世界に存在することの原点を感じるからであります。そのあなたを感ずる私の力は微妙なものであります。私が肉体的意識をセンサーにして生きれば、あなたの存在を感じることは難しいものですが、たびたび意識の隙間からあなたの存在する世界にセンサーがアクセスすることがありますので、存在を感じるのです。私はあなたの存在を感じたとき、不思議な気持ちになります。それは私の存在する世界で、どのように喜びを発掘しようと思っても得られないものです。そのあなたのおいでになるほうに意識を向け、あなたの存在の息吹を感じたとき、なにかしら言いようのないすべてのふるさとのように感じられる響きの世界があることを感じ、私が存在するこの現象世界で得られるであろう喜びのすべてを超越した満足が、そこにあることに気付くのであります。

ですから、私は時々この世界にいることを空しく思い、そしてあなたのほうに旅立つことを望むのであります。どちらにしても、あなたのもとから来た私にとっては、いずれまたあなたのもとへ還るのですから、私は十分に満足なのです。

毎日、瞬間瞬間の時の旅を留まることなく永遠に歩んでいますが、この永遠は私個人の体感する枠の中では有限なのです。私はそのことがわかっているので、永遠に続くように思われるこの現象世界の中にいても、至福の心を持ち続けることを可能にするのです。

私は赤子のように物理的なすべてを取り去って裸になり、霊的にすべてのこだわりを取り去り魂だけになったとき、この境地に浸ることの喜びに至るのです。


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