おはようございます!

今朝、興味深い動画を観ました。

https://www.youtube.com/watch?v=Ox8gJEIe5Ac&t=214s

なぜこの動画を知ったかというと、偶然おすすめ動画に出てきたからです。

夜中に目が覚めて、これは眠れないな、となったとき、ついついYouTubeに
つないでしまいます。

その日もひとつ観たあとにこの動画がでてきて、「お!なんだこれ」と
観始めたのですが、「カブトムシ」のとこらへんで寝落ちしてました。(めっちゃ序盤w)
それが3日前くらい。

で、早く目が覚めた今朝「あ、そうだ、あれ観たい」と思い出して鑑賞。

とても興味深い内容で、おもしろかった


お気づきかと思いますが、いつものように前置きが長いです。

自分がなぜその動画を観ることになったかを長々と書いてしまう。
これは私を知って欲しいという焦燥感からくるもの。
あるいは、自己存在の確認。

これらの感情は全て、後付けのものだなあ、と最近よく思います。
自分で自分を追い込むためのもの。

私は、ずっと自分で自分を追い込んでいたなあ、と思うのです。
いらんし、それ、と気がついてよかった。
(前置きが長い文章はあえてそのままにしておこう。)


20200628nemunoki



ここから日付け変わります。


今朝は、7時過ぎに夫が起きた気配で目が覚めました。
いつもは、遅くても6時台には勝手に目が覚めるのに、今日はぐっすり寝てました。
起きれなかった理由は、昨日根詰めたことと、家族に風邪気味のものがいるので
風邪の症状も・・・要は、しんどかったということです笑

お弁当作らなければと思いながらも、起きれない頭の中に出てきたのは
『息子の英検の受験申込料払ってなかった件』。

どういうことかというと、息子が高3のときに学校で英検の申込みをしたという
報告がありました。
「ほお、頑張れ」と言ったっきり、しばらくそのことを忘れていたんです。
・・・いや、実は頭の片隅に残っていました。
「受験料いつまでに払うんやろ?」という、報告を聞いたときに真っ先に出た疑問。

聞こう、聞こうと思いながらも、息子からの請求がないのをいいことにスルーしていたら
受験日の2週間くらい前に「先生が申し込み忘れてて受けられない」という
まさかの報告が!

「ええぇぇ??」
先生とのやり取りの詳細はわからなかったのだけれど、受験はできなかったのです。

今朝「弁当作らなきゃ、、作らなきゃ、、」の思考の隙間に
その時のことが、シュッとすべりこんできて・・・

そこから、あのとき英検受ける為に勉強時間とってたら、
第一志望の大学に入れたのではないだろうか?と妄想が広がります。

ああ、私のせいだ。
申し込みをしたと聞いたときに、さっと受験料を先生に渡すようにと
持って行かせたらよかったのに。
他の支払いを優先して、後回しにしたせいでこんなことになってしまった。
私がお金を稼いで余裕のある生活をしていたらこんなことにはならなかった。
そして今尚、余裕のない生活から抜け出せていない自分ってやっぱりダメだ、ダメだ・・


ストーっプ!!

あほかと。
5年前のことです。

5年前のことを思い出し、その時の自分を卑下し、
そして、現時点での自分も卑下して落ち込む。

もっと言えば、申込みに関しては息子の領域のことです。
自己卑下に加えて、アドラーさんの言う『課題の分離』もできていません。

もう1回言います。
あほです。

しかし、不思議でもあります。
なぜ、お弁当となんの脈略もない
英検受験の記憶がシュッっとすべりこんできたのでしょうか?


冒頭で紹介した動画では、脳の不思議な機能について
『小人さん』を登場させることで、わかりやすく解説してくれました。

意識がフォーカスするのではなく、無意識からの信号。

ネタバレになるのでここまでにしておきます。

意識と無意識の関係性について、
私の知らなかった、違う視点での解説がとても興味深く、
もっと知りたい気持ちがムクムクと湧いてきております。

図書館のHP調べたら著書が2冊あったので、今度借りてこようと思います。

しかし、この動画10年前の講義ですよ!
世の中にはまだまだ知らないことがたくさんある。
おもしろいね。

師匠にシェアしたら、偶然にも最近観たとのこと。
すごいね。


「おもしろいね」と「おもしろいよね」
「すごいね」と「すごいよね」

「よ」が入ることで、読み手の受け取り方はどう変わるんだろう?と気になりました。

仕事のアプローチの仕方が変わってから、とある意識が変わりつつあります。
このことについてはまた、別の機会に書こう。


最後に「いいタイトルだな」と自己満タイトルの解説を。

小林聡美さんの出ているドラマを続けて観た。
素敵な女優さんで、物語には引き込まれるのだけれど
観ていてどうにもモヤモヤする。

( ゚д゚)ハッ!

「間」だ!
話しているときの「間」。

え?なんでそこ無言なん?
え?もう次いくの?(シーンが変わる)
え?なんで?なんで?

私は根がせっかちなので、受け答えがない、空気でわかって、的な
演出にモヤモヤしていたのである。

いや、せっかちだけでなく、「えーそれは卑怯やん」とも思ってる。

裏を返せば、私は人に卑怯者と思われたくないから、あれこれ先走って、
敬語を使えばOKという勘違いもして、あれこれしちゃってきたのだ。
それは楽チンではない。

また、違う映画からは
「( ゚д゚)ハッ!そうくるか!白黒はっきりつけなくてもいいのか」とか、
ある本からは
「( ゚д゚)ハッ!そうそう!この言語化は凄い!ありがとう!」などの
気づきがあり、芸術の秋を楽しんでいる。(ちゃう)


話を戻して、師匠の「マ」さんは、存在自体が楽チンだ。
(能天気という意味ではなく・・いやいい意味でそれもある)

「間」に関しては、時々戸惑うこともあるが
それはそれでとても自由を感じる。

そのありように触れることで、楽チンになりつつある私は
「マ」さんを見つけた過去の自分を今日も褒めている。


以上です。
お読み頂きありがとうございました!