風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

さまよえる石

2019年04月19日 | 「新エッセイ集2019」

ほとんど毎日、近くの自然公園をウォーキングする。
通学路で小学生たちとすれ違い、古い池に沿った遊歩道の途中から百段ほどの石段をのぼる。
上りきったところで、荒くなった息を整えるため休憩する。いまは、椿の花が落花して地面を華やかにしている。
その場所は石庭のようになっていて、手頃な腰掛け石がある。
かなり以前から、その石にすわって瞑想(?)することが日課となっていた。石は動かないので、まるでぼくを待ってくれているようで、その石との関わりは楽しい約束のようだった。
その場所で、あるときは心を乱し、あるときは心を鎮める。とりあえずは、そうやって一日を整えるのだった。

昨年暮れの冷たい風が吹きはじめた頃に、ぼくの瞑想の椅子が突然ホームレスの男に奪われてしまった。彼は汚れた大きなリュックを脇において、どっかりと石に腰を下ろしていた。
寒い朝は、石の周りをせわしなく歩き回っている。そうやって体を温めているのだろう。彼の足が刻みつける石庭の小さな円は、いまや彼のテリトリーを誇示しているようにみえた。

かくて、慣れ親しんだ庭を失ってしまったぼくは、新しい石をさがして歩き回らなければならなくなった。
公園には石のベンチがいくつかある。石の形はさまざまで、なかなか落ちついてぴったりなものが見つからない。居場所を失くしたぼくは、この公園のホームレスになってしまったようだ。身も心も落ちつかない。瞑想もさらに乱れに乱れる。

ぼくの指定席を奪ったホームレスのことも気になる。彼もどこかで、きっと何かを失ってきたのだろう。
ぼくが知るかぎり、彼はこの公園での3人目のホームレスになる。
最初は、大きな犬を連れた老人だった。犬には首輪もリードもついていた。彼はいつも身ぎれいにしていた。たまに散歩者の誰かとしゃべっているとき、その口調には威厳があった。虚勢を張っていたのか、それとも身についたものだったのかは知らない。彼は3年ほどもこの公園に居つづけた。その間に、彼は少しみすぼらしくなり、犬は立派になった。

ふたりめは、よく太った若者だった。いつも公園のベンチで寝そべっていた。雨の日は近くにあるトンネルの中や、駅の駐輪場で異臭を放って寝ていた。彼は短期間で姿を消した。その傍若無人さが疎まれて追い出されたのかもしれない。
3人目のことは、まだよくわからない。ただ、公園でのぼくの居場所が奪われたことだけは確かだ。
おかげでぼくは、石をさがして放浪する身となった。
この身と心に添ってくれる石は見つかるのだろうか。ひたすら石をさがして、瞑想ならぬ迷想する心が乱れている。

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4 コメント

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Unknown (aya7maki)
2019-04-19 09:31:19
お気に入り、とまで言うと、語弊があるかもしれませんが、いつもの場所がないと、戸惑いますね。
公園に入ると、ゆるやかな坂道、でも私にはきつい。途中にペンチがあり、そこでひと休みしてから、また進むのですが、いつからか、ホームレスがいるようになり、戸惑ったことを思い出しました。
勝手に自分のベンチと決めていて。
Unknown (yo88yo)
2019-04-19 20:16:25
aya7makiさん
コメントありがとうございます。

いつも歩いていると、そこが
いつのまにか自分の道になっているんですね。
いつも休憩する場所が
自分のいちばん落ち着く場所になったり。
慣れなんでしょうね。
鮮度を求めるならば、習慣が壊されることも
だいじなことかもしれない。
Unknown (hana1346yh)
2019-04-20 10:48:33
凡句と駄句を詠んでいる者です。
失礼ながらフォローさせていただきたく
コメントいたしました。
私もよく散歩に行きます。野良の猫に会いに行っているようなものです。
干潟に一匹だけ居ついています。
よろしくお願いいたします。
Unknown (yo88yo)
2019-04-20 17:07:40
@hana1346yh hana1346yhさん
コメントとフォローありがとうございます
どうぞよろしくお願いいたします。

ぼくの散歩道にも野良ネコが何匹かいます。
互いにほとんど無干渉です。
野良として生きることができるネコは
とても賢い動物かもしれませんね。

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