独楽の旅

元気で山野を歩き、心を癒してくれたものは立ちどまって気ままに写し、ブログに載せ、自分で存分に楽しむのが無上の喜びです。

603 -【 長兄が元気で満百歳 】(2020/07/14)

2020年07月14日 | [日記]
私の 実兄・賢策 は私と15歳違いで、1920年生れの兄です
そして今日、目出度く 満百歳の長寿

迎えたのです
[1920年(大正9年)07月14日が誕生日で、私より15歳年長です]

そうです
今日は実兄の満百歳の誕生日なのです

兄は私と15歳余り離れており、今日、実兄・賢策氏は故郷の長州・山口県宇部市で目出度くそれも驚くほどの健やかに『満百歳』を迎えたのです

 如何におめでたいことは云え、他人ごとなので忘れて通り過ぎないように
 日記帳に書き込んでおきました
 今日夕方、兄夫婦2人が夕膳を囲んでいるだろう時間を見計らって お祝いの電話 をしてみました
 電話の向こうから兄の元気な声が返ってきました

以前電話したときは、私の話す声が聴きとれず会話が連がらなかったのです
処が、今日は最初からスムーズに会話が連がり、百歳のお祝ひを伝えることができたのです

これからも元気に健やかに生活して更なる長寿を全うして欲しいとお祝いを交わしました
百歳の兄と85歳の私が元気で電話でお祝ひを交わせた事を喜び亡き両親に唯々感謝するばかりです

兄の連れ(妻)も昭和3年生まれで、満91歳の元気者なのです  先日白寿祝いに帰郷した時も
日々の買い物は、往路の片道約1km余のスーパーへの道も、健康の為に歩いて行き、
帰りは買った荷物もあり、タクシーを利用していると云っておりました  まさに元気そのものです

一昨年の暮れに兄の白寿を祝ってやろうと思い立ち1日泊りで宇部を訪ね、
私も高校まで過ごした両親が残した実家に何年振りかで訪ね一晩泊りで帰郷し
兄の次男らと一緒に祝って来たばかりです(参照:https://blog.goo.ne.jp/oldeeagle/583)

本当に理想的な老後の夫婦生活を実践し、エンジョイしている様子で、羨ましい限りです
 私は独り身の生活になってから既に8年が経ってしまいました

食事を終わって私が帰途につく時には二人して玄関前の道路まで出て見送ってくれました
夫婦揃ってこんなに元気で、病院通いをしている様子も全くなく
何不自由なく楽しく毎日を元気に過ごしている様を目の当たりにしてきたのです

私が最後に歩いた3回目の [四国歩きお遍路の納経帳『百八寺のお遍路(平成18年)』を
長兄に贈って手渡してきました
 尚
  最初に歩いた遍路『初めてのお遍路(平成12年)』の納経帳は 妻百合子(釈尼妙合)の旅立ち(平成24年)に
  2回目の歩き遍路『出会いのお遍路(平成14年)』の納経帳は次兄・懿雄の旅立ち(平成19年)(2007)の棺に納めました

私の慈母マツも平成5年(1993)に享年百歳で人生を全うするまで戦前戦中を通して苦労したでしょうが
達者で人生を過ごしてくれました 残念ながら満百歳を元気で迎えることはできませんでした
八十八歳を迎える時みんなで
 「母の米寿をお祝い しよう」と
末弟の私が提案したのですが、母と兄嫁さんとの間に日々の生活で生まれた些細ないざこざがあったのか
兄の一言で実現に至らず母の米寿の祝いをしてあげられなかったのが無念が今も心の中に消えずに残っております
亡き母に申し訳なかったと残念でならず、父母への謝罪の念が消えずに今も残っております

その母は満九十歳になってから独りで新幹線に乗り、郷里の宇部から私らが住む鳴海の三菱社宅を訪ねてくれ
ひと月を退屈しながらも過ごし、その後次兄の住む富山に送ったことが思い出され、母もそんな元気な過去でした

長寿社会になった今の日本では百歳以上の長生きできる人はこれからどんどん増えるでしょうが
目の前にいる兄夫婦のように日々を楽しく元気に過ごせる夫婦はそんなに多くはないと想像します
彼ら夫婦のように健康維持して楽しい余生を過ごせたら願うばかりです
私のように77歳から独り身で寂しく活きる人生はもうこりごりです
これも私に課せられた私の人生であり私の天命だと悟り、
塞翁が馬と念じ今日まで過ごし、またこれからの日々も過ごしていきます




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