今回は、1969年に書かれた柏原兵三の『長い道』という小説を手がかりに「いじめ」問題について考えてみたいと思います。
長い道
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『長い道』は、藤子不二雄の漫画、のちに映画化された『少年時代』の原作としてご存じの方も多いかと思います。この映画の主題歌が井上陽水の『少年時代』でもありますね。
『長い道』は、都会から疎開してきた主人公 潔が村の子どもたちにいじめられる、その様子が主人公の視点から書かれた小説です。
戦争という特殊な状況下の設定ではあるのですが、都市対農村の構図、学校が知識による差別をもたらすということが見事に描かれている作品です。と同時に、子どもたちの力関係を教師が教室支配に上手く利用している様子がうかがえます。
都市が農村漁村あるいは山村から搾取する(このことは昨今の沖縄の基地問題をみてもわかるのですが…)。この構造が戦争という異常事態で逆転するのですから、村人が食糧を乞いに来る都会人をいびったり、食糧を高く売りつけるという気持ちはよくわかります。大人である村人が都会人を「いじめる」のですから、子どもたちも都会から疎開してきた子どもをいじめる。それも、村の子どもたちが正義感を持って「いじめる」のも当然でしょう。
ひよわで、喧嘩も弱く、村で生きていく知恵も技術も持っていないのに、勉強だけはよくでき、身のこなしやしゃべり方だけは品が良いとあっては、村の子どもにとって疎開っ子が恰好のいじめの標的になるのは明らかです。戦争が終われば、都会は元通り村を支配するのですから、今のうちにやっつけておけとなるのでしょう。
そして、もう一つ気になったのが、この小説の中で教師はどうも子どものボス争いを学級支配に利用していたようなのです。
ボスAをのさばらせておいて、その力があまりに大きくなりそうだとBをAに対決させAを失脚させる。新しくボスになったBは教師の力を知っているので教師には服従…という古典的支配の方法をとっているのです。政界やどこかの会社でもよくある方法ですね。
このようにみてくると、学校で「いじめ」が横行するのも、今日の大人社会の状況が異常だからなのではないか、とも思えてきます。
会社の中で「のけ者」にされている人、近所から「村八分」にされている人、日本にいる外国人に対する声なき差別も、マスコミを通じて芸能人を吊し上げる我々もまたそうかも知れません。
「いじめ」の問題は、子どもの世界のこととしてのみとらえるのではなく、大人たちの社会のひずみとしてとらえ、もう一度見直してみることも必要ではないのかと思います。
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