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国際派日本人養成講座よりの転載です。

http://blog.jog-net.jp/201808/article_3.html

 

皇室の利他心が伝染して、代々の国民の努力で築かれたこの幸福な国に生まれた我々には、その恩に報いる責務がある。

 

■1.「良き日本人」度のテスト

「国際人」ではなく「国際派日本人」を目指そう、というのが、弊誌の20年来の主張だが、過去40年間で11年を欧米で過ごし、業務、学会、観光などで5大陸、32カ国を訪問した現在、その確信はますます強まるばかりだ。

「国際人」とは、文字通り「国と国との際(きわ)にいる人」とすれば、そういう人は難民でしかない。人は誰しも母国を持っており、母国への愛情がその人の根っことなっている。それぞれの根っこのある人々が、お国ぶりを発揮しつつ交わっているのが国際社会であって、根無し草の人間が国境を越えて飛び回っているわけではない。

 弊誌のもう一つの主張は、良き日本人はかならず国際社会でも通用するので、そのまま「国際派日本人」となってしまう、という事だ。たとえば、拙著『世界が称賛する 国際派日本人』[a]の中で、乃木希典将軍に登場いただいたが、国内で「軍神」とも呼ばれた人物に、アメリカの青年従軍記者がいかに深い敬愛の念を抱いたか、がその一例である。

 ここで問題は、「良き日本人」とはどのような人間なのか、という事である。最近、自分の「良き日本人」度を測定するテストを考案した。それは簡便なもので、次の4首の歌のうち、どれか一つでも心に響くものがあれば、あなたは「良き日本人」の心を持っている、と判断する。

 (雲仙・普賢岳の噴火で、農民が長年かけて作ってきた田畑に暑く火山灰が積もった光景に)
人々の年月(としつき)かけて作り来しなりはひ(筆者補注:生業)の地に灰厚く積む

 (阪神・淡路大震災の際に)
なゐ(筆者補注:地震)をのがれ戸外に過す人々に雨降るさまを見るは悲しき 

 (ハンセン病療養施設・多磨善生園にて)
めしひ(盲)つつ住む人多きこの園に風運びこよ木の香(か)花の香 

 (米国ロサンゼルスの日系人引退者ホームにて)
移り住む国の民とし老いたまふ君らが歌ふさくらさくらと 


■2.日本人の思いやり、利他心の強さ

 前節で引用した歌の最初の2首は今上陛下の御製、あとの2首は皇后陛下の御歌である。それぞれ、国民の苦しみや悲しみに対して深い共感を寄せられた御歌である。

 その共感から、思いやりや利他の心が生じることを、弊誌1067号「最新科学が解明する利他の心」[b]や1071号「最新科学が解明する利他心の共同体」[c]で述べた。

 そこで大事な事は、「利他心は伝染する」ということである。皇室の利他心が国民に伝染し、一人ひとりの国民が互いのために尽くす、そういう相互の利他心のパワーによって、わが国は世界史の中でも特筆すべき発展を遂げてきた。

 東日本大震災でも示されたように、日本人の思いやり、利他心の強さは世界でも冠たるものがあるが、前節の4首の短歌のいずれか一つに感じるところがあれば、あなたの心中に日本人らしい共感能力が潜んでいることを示している。すなわち、「良き日本人」とは、他者への豊かな共感能力を持ち、それによって利他心を持つ人間のことである。

 もっとも、共感能力や利他心は日本人のみに限らないから、外国人でも、その人の母国語でこれらの歌の訳を示されれば、感じるところがあるだろう。したがって、「良き日本人」とは「良き人間」という事にもなる。「良き人間」どうしは、国境や文化を超えて、共感し、助けあう事ができる。


■3.「元元(おおみたから)を鎮(しず)むべし」

 拙著『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[d]では、日本の皇室が神武天皇以来、国民の幸福への祈りを継承されてきた事を述べた。万世一系とは皇室の血筋が代々継承されてきたことを示すが、それは同時に国民の幸福を願う祈りの代々の継承でもあった。

 神武天皇は大和地方に辿りつかれて、橿原(かしわら)の地に都を造るとの詔(みことのり)を発せられた。その中で「元元(おおみたから)を鎮(しず)むべし」と言われている。

「元元」とは人民であり、それを「おおみたから(大御宝)」と読んでいる。大御宝である国民を「鎮(しず)」める事、すなわち人々が安心して暮らせるようにしよう、という事である。国民の安寧を計ることが、皇室が目指された最重要の任務だったのである。

 もともとは天照大神が、この国土、すなわち葦原中(あしはらのなかつ)国は「いたくさやぎて有りなり(とても騒がしい)」という報告を受けて、天孫を降臨させ、その子孫である神武天皇が東征によって、国を鎮めたのである。

 田中英道・東北大学名誉教授の説によれば、高天原とは縄文時代に東北・関東にあった日高見国のことであり、紀元前10世紀頃から気候が寒冷化し、それまで東北・関東に集中していた人口が西日本に移動し始めた。また大陸では周王朝が崩壊し、春秋戦国時代を通じて、大陸から半島を伝って西日本への難民や移民が増えた。

 そうした人口移動による混乱を抑えるべく敢行されたのが天孫降臨であった。神武天皇の東征とは、西日本で多くの部族や難民がせめぎ合って「いたくさやぎて有りなり」という状態だったのを、それぞれが処を得て、安心して「一つ屋根の家族」のように仲良く暮らしていく「和」の世界を実現することだった。


■4.皇太子殿下の決意

 その神武天皇から126代、来年、即位される皇太子殿下は、この皇室の伝統を強く意識されているようだ。平成29(2017)年2月には、次のようなお言葉を述べられている。

__________
 (今上)陛下はおことばの中で「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。(中略)
このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしやったようです。(中略)

 災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。

 私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 皇室の祈りの伝統を継承すべく、皇太子殿下も強く決意されているのである。


■5.皇室をお守りしてきた国民

 考えてみれば、125代も皇位が継承されてきたのは、単なる自然現象ではない。万世一系が自然に「続いてきた」のではなく、代々の国民の努力によって「続けられてきた」のである。

 思えば万世一系の最大の危機の一つが先の敗戦だった。君主国が大きな戦争に負ければ、その君主制は滅びるというのが、歴史の通例である。たとえば、第一次大戦で負けたドイツでは、皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命して、帝政が崩壊した。

 同時にオーストリア=ハンガリー帝国を600年以上統治してきたハプスブルク家の支配が終わり、帝国そのものが四分五裂となった。第二次大戦中に連合軍側とドイツ軍側に分かれて内戦に陥っていたイタリアは、戦後、国民投票によって王政廃止が決まり、ウンベルト2世は国外追放となった。

 これらの君主は政治的権力を振るっていたため、敗戦の責任を負って、その立場を追われたのだった。

 しかし、日本の天皇はその利他心から国民統合の中核ではあっても、実際に政治的権力を振るったことはほとんど無かった。国民も歴代の天皇の利他の祈りを恩に感じていたからこそ、戦況が著しく悪化しても、無条件降伏を要求し、天皇統治に対して何ら保証を与えない米ルーズベルト政権に対して、徹底抗戦したのだった。

 終戦後、ソ連が天皇制廃止を目論んだが、そんな事をすれば日本全土に叛乱が起きて、占領政策が頓挫する事を恐れたマッカーサーがそれを阻んだ。終戦後、昭和天皇は沖縄を除く全都道府県を8年半かけて国民の激励に回られたが、石一つ投げられることもなく、ただただ熱狂的な歓迎を受けた。[e, p213]

 まさに国民が皇室をお守りしたのである。なぜそのような努力がなされてきたのか。それはひとえに皇室の国民のための祈りを国民自身が尊いものと考え、その国の姿を先祖から受けつぎ、子孫に伝えようと、努力してきたからであろう。とすれば、皇室の祈りの万世一系が、国民をして血統の万世一系を護持させてきたと言える。

 そして皇室の万世一系の祈りに応えて、代々の国民が努力して、みなが一つ屋根の家族のように幸せに暮らせる国家を築いてきたのである。このような幸福な国家に生まれたわれわれ日本人には、当然、その恩に報いる責務がある。その責務には、縦軸と横軸の2種類があると考える。


■6.縦軸の責務

 まず縦軸の責務とは、先祖代々、我々の先人のなしてきた恩に報いることである。そのためには先祖の努力の跡を史実を持って辿り、その恩に感謝し、その努力を継承して少しでもより良い国にして、子孫に渡していかなければならない。

 一日1ドル以下で生活せざるを得ない貧しい人々が何億人もいる中で、涼しいエアコンの下で好きな本を読み、おいしいものを食べ、政府を批判してもビクビクする必要はなく、安心して街を歩ける、こんな平和で豊かな暮らしが出来るのは、我々の先人のお陰である。

 旅に出れば美しい自然を楽しみ、豊かな土地の食べ物を賞味できる。本を読めば、万葉集や源氏物語など自国の古典、さらには世界のすぐれた書物を母国語で読むことができる。葛飾北斎の絵画や、運慶の彫刻など、我らが先祖は世界的な傑作も残してくれている。

 美しい自然、豊かな文化、温かい社会、高い生活水準を味わえるのは、これらを大事に育ててきた我が先人たちの努力のおかげである。そのありがたさをよく知って、その恩に報いるよう、我々はそれぞれの場で心掛けなければならない。


■7.横軸の責務

 横軸の責務とは、この恵まれた国に生まれた幸福を少しでも世界の人々に分かち合うことである。我々が日本で生まれたのは、純粋な幸運である。生まれたところが少しずれていれば、北朝鮮で餓死していたかもしれないし、中国で汚職官僚たちに搾取されていたかもしれない。

 ある人間はたまたま日本に生まれて恵まれた環境で育ち、別の人間は恵まれない国に生まれて、苦難の人生を歩まなければならないとは、なんと不公平な事だろう。そう考えれば、われわれは自分の幸福を多少なりとも他国の人々に分かち与える「分福」の姿勢を持たなければならない。

 すでにわが国は世界の多くの国々への経済援助、自衛隊や青年海外協力隊による汗を流す貢献活動、現地での企業進出による雇用の創出や良質な商品サービスの提供などを通じて、国家としての「分福」は相当程度行っている。世界各国の調査では、日本は世界に良い影響を与えている国のナンバーワンに評価されている。

 その一例として『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』では、明治天皇の后・昭憲皇太后が、それまでの赤十字が戦時の傷病兵のみを対象にした救護活動をしていたのを、災害救援や感染症対策など「平時救護事業」に大きく広げることを提案された事を紹介した。

 昭憲皇太后は同時に10万円、現在価値にして3億5千万円を寄付され、世界各国の委員は深い感銘を受けて、この基金を「昭憲皇太后基金」と名付けた。この基金には、その後も皇室、日本政府、明治神宮が寄付を続け、100余年後の今日まで各国赤十字活動への助成を続けている。

 日のもとのうちにあまりていつくしみ外國(とつくに)までもおよぶ御代かな
 (日本から溢れ出た慈しみが外国にまで及ぶ御代となったことだ)

 昭憲皇太后の御歌である。国内で培ってきた利他心を海外にまで発揮することで、その利他心は外国にまで伝染する。現実に東日本大震災では、今まで援助を受けた多くの発展途上国からも、お返しの寄付金が寄せられたのである。

 

昭憲皇太后基金による救命法コースの修了証書を持ち、
皇太后の肖像画がプリントされたTシャツを着たバヌアツの青年たち

 

■8.自分の一隅を照らす

 この縦軸と横軸の責務をいかに果たすのか。自分には到底そんな力はない、と思う人がほとんどであろう。しかしそのような我々のための言葉を最澄が残している。「一燈照隅、万燈照国」である。一本のロウソクはほんの一隅しか照らせないが、そのようなロウソクが1万本も集まれば国家をも照らすことができる、という意味だ。

 我々一人ひとりは、自分の家庭や職場、地域などほんの片隅しか照らせない。しかしその片隅を照らせるのは、自分の外にはいない。

 利他心は伝染する、とは、一本のろうそくの灯が、隣のろうそくに燃え移るということである。そのように灯が広がって、国民全体がそれぞれの片隅を照らすようになれば、国全体が明るくなる。その国の灯が世界の国に伝わって、世界が明るくなってゆく。そのような生き方を示すのが、日本人の責務である。

 

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