透水の 『俳句ワールド』

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一人吟行の勧め    高橋透水

2020年02月18日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  一人 吟行を楽しむ

 

仲間二十人くらいで月に一回は吟行句会を行っている。そのほか誘われるまま十人前後の近郷吟行や、また気の合った俳友数人と小旅行を兼ねての吟行を行ったりしている。この数人の酒を交えての句会が一番楽しい。
 しかし他人のいる吟行ではどうしても時間の制約があり、ついつい観察に没頭して遅刻したり迷子になったりの失態が何度もあり、迷惑のかけっぱなしだ。
 最近、周りの人よりゆっくり歩いている自分に気づいた。これは決して年齢の所為だけでない。無意識に街中の人々の動きや店の佇まい、商品に視線が走っているからだ。
 一人旅行も実施している。時間を気にして、忙しくあちこち歩き回るのでなく、一つの町や観光地を一日もかけて同じ街並みをゆっくり歩くのだ。そうすると一回目より、二回目三回目のほうが、新しい発見があり、立体的な見方もできる。地元の人との会話も楽しめる。なにも遠出でなく、近くでも、季節を変えて訪れるとまた違った発見があるものだ。
俳句は座の文芸であるから、吟行はグループで行うことはもちろん大事だが、一人吟行もそれなりの収穫が多いのでぜひお勧めしたい。
 しかし一人吟行といって、せいぜい数日のことで、漂泊などよりほど遠いことはいうまでもない。つまり現代では表面的な心のなかでの、疑似漂泊で満足するしかないだろう。
   旅人と我名とよばれん初時雨 芭蕉
 今日、旅行していても旅人などと呼ばれることなどまずないだろう。まして山頭火の
   この旅、果もない旅のつくつくぼうし
   分け入っても分け入っても青い山
などの心境は憧れても現実的にはとても無理なことである。漂泊など死語に近く、定住漂泊などといっても帰るべきところがちゃんとある。現今の旅はガイドブックを頼りの先人の疑似体験でしかない。その点、一人旅は自然と対話をしながらの現代的な発見がある。


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