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山口誓子の一句鑑賞(8)高橋透水

2018年06月20日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 海に出て木枯帰るところなし誓子

 昭和十九年作であるが、句集『遠星』(昭和二十二年六月)に収録。作句時の誓子は胸部の疾患で伊勢湾に疎開と療養をかねて居住していた。誓子五十歳の頃の伊勢湾の情景を客観的に詠んだ句なのだ。が、脚色された解釈がでた。それは、吹きすさんだ木枯が野山を通り吹き荒らしつつ太平洋に出たが、もはや帰るところがない、決して日本に戻ってくることのない特攻隊であると歪曲されたのだ。
 こんな解釈になった背景には、作句時の頃は太平洋戦争の敗戦色が濃厚になり、日本軍に遂に人間魚雷や特攻隊が出現し、優秀な若者たちが片道燃料しかない戦闘機に乗り込んで米艦隊に突っ込み、若い命を散らしたことなどが連想されたからだ。
 すなわち掲句は「神風特別攻撃隊」を連想させ、命を散らした若者を海上に吹きすさぶ木枯らしに例えて詠んだのだろうと、拡大解釈し論評されたわけである。これには特に西東三鬼が特攻隊を描いた句だと評したことが世間に広がり一般化されたのだが、誓子自身も作句時の意図と異なる方向に句作の動機を述べるようになった。誓子が後日書いている次のような文は評論に押された形になっている。なぜなら当時の誓子は芭蕉や子規の研究に没頭し、写経を日課とするほど、日常は戦争から遠ざかっていたからだ。
 それなのに誓子は「この句を作った時、私は特攻隊の片道飛行を念頭に置いていた」と後日書いているが、次の自解のほうが真相に近いようだ。「私は、海の家にいて、頭上を吹き通る木枯の音を聞いて暮らした。その木枯は陸地を通って、海にでる。すぐの海は、伊勢湾だが、渥美半島を越えると、太平洋にでる。太平洋に出た木枯は、さえぎるものがないから、どこまでも、どこまでも行く。日本へは帰って来ない。行ったきりである」。
 このように作句時は特攻隊のことは、念頭になかったのである。因みに昭和十七年に、〈虎落笛叫びて海に出で去れり〉があるがこれが下敷きの一つであったと考えてよいだろう。


  俳誌『鴎座』2018年6月号 より転載

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