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富沢赤黄男の一句鑑賞(10)  高橋透水

2020年03月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
切株はじいんじいんと ひびくなり 

 初出は「太陽系」(昭和二十三年十月号)。
 「虚無の木」のなかの一句。〈切株はじいんじいんと 鳴り潜む〉が原型である。
 切株がひびくのであるが、赤黄男が特別聴覚に優れていたというわけでない。表現したいなにかがあって、それを事物や事象を借りて詩的に表現するのに長けていたのだろう。
 「じいんじいん」はいかにも斧で伐られた傷口がうずいている様子が見えるようだ。その傷がいつまでも疼き空気感染のように赤黄男の耳に届きやがて共振し共鳴するのである。
 現実的な伐採は、道路や宅地開発であったり、家屋の資材やときには神社仏閣の材料として平和使用され、はたまた船など軍需目的で伐採されたこともあろう。もちろん赤黄男の見た切株はそうした伐採を連想させたりするが、「じいんじいん」は樹木の痛みを想起させ、もっと深い意味をかかえている。
 やはり、「ひびくなり」は切株の痛々しい姿を超えた、赤黄男の心の痛みがみえてくる。長い軍隊生活で、赤黄男もまた戦争によって体に見えない傷を負い、精神も極限に追い込まれたのだ。心身の傷はじいんじいんといつまでも体を駆け巡るのである。赤黄男には切株の句が十二句ほどあり、すべて戦後の句というがそれを証左している。
 〈切株に 人語は遠くなりにけり〉
 〈切株の 黒蟻が画く 黒い円〉
 〈切株に腰をおとせば凍みいる孤独〉
など代表的に挙げることができる。これらは一概にはいえないが、赤黄男のメタファーないしシンボルである。つまり苦悩である。戦争で負った傷などたやすく癒えるものでない。
 そして時おり赤黄男の内面が吐出する。〈地平線 手をあげて 手の影はなし〉〈葉をふらす 葉をふらすとき 木の不安〉〈寒い月 ああ貌がない 貌がない〉
 「影はなし」「不安」「貌がない」などに赤黄男の戦中戦後の精神の不安感や喪失感、あるいは虚無感などがみられる。が、俳句に純粋詩を求める態度は一貫し保ちつづけた。
   俳誌『鷗座』2019年12月号より転載

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