因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝出『ワーニャ、ソーニャ、マーシャ、と、スパイク』

2020-09-24 | 舞台
*クリストファー・デュラング作 丹野郁弓翻訳・演出 公式サイトはこちら 10月4日まで 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
 2月の『白い花』以来7か月ぶりの民藝公演は、2013年ブロードウェイで大評判となった喜劇である。一瞬、本多劇場での加藤健一事務所公演と見まごうテイストであるが、公演パンフレット掲載の訳・演出の丹野郁弓の「雑記」には、ゴリーキー原作の『どん底』を敗戦後の東京に舞台を置き換えた『どん底―1947・東京―』、ロシアの朗読劇である『想い出のチェーホフ』を経ての今回の演目上演である意義がどのようなものであったか、前の2本との連想の助けなしに「この芝居を単体で成立させなくてはならなくなった」という演出家の思いが縷々綴られている。劇団のレパートリーは、中長期的な視野を以て検討されること、複数の演目がひとつの物語を形成する構成、流れを持つこと、俳優、スタッフともに、自分が関わる1本だけでなく、前後の作品とのつながりや交わりを考えて創作に携わっておられることがわかる。

 本作の作品の登場人物名はチェーホフ作品のそのままであるし、湖が見える家、大女優が若い恋人を連れて帰郷したり家の売買の話が出たりなど、本家本元の多くの場面があからさまと言ってよいほど遠慮なしに使われており、「チェーホフあるある」的なところを楽しむのも一興である。といって本作を原作の換骨奪胎、翻案もの等々と捉えてしまうのはしっくりこない。

 100年前に作り手が憂えたことのほとんどが解決しておらず、いまだに人々を悩ませ、それでも人は生きていく以外ないことなどが、このコロナ禍のさなかにあって、より複雑な味わいを醸し出す。たとえば『かもめ』では若い作家トレープレフの新作舞台を、母親で女優のアルカージナが酷評の上、ぶち壊してしまうが、本作では初老のワーニャの書いた芝居に対して、若い俳優のスパイクが不作法な振る舞いをする。懸命に伸びようとする若さを老練が容赦なく挫くのではなく、中高年の涙ぐましい努力を若者が嘲笑する。しかしいずれも、劇中劇が斬新というか独創が過ぎて理解しづらいという点で一致しているところに、作者の皮肉なまなざしが感じられる。

 公演パンフレット掲載のマーシャ役の樫山文枝のインタヴューには、『かもめ』(69年)のニーナ、『三人姉妹』(72年)イリーナを演じた当時の思い出が記されている。いずれも宇野重吉の演出で、台詞の裏を読む、役の人生についてどう考えているかを突き詰め、「今いる自分と役とをどうすり合わせるかが大きな課題」だったという。宇野重吉演出のチェーホフに出会えなかった者としては大変興味深い。宇野演出を経たベテラン勢と、それを知らない若手がぶつかり合うリズムが生まれれば、『ワーニャ、ソーニャ、マーシャ、と、スパイク』の「旨み」が増すように思われる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 演劇集団円トライアルリーデ... | トップ | 追加しました!2020年10月の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事