因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ネットで観劇☆日本のラジオ『ロマンランタン』

2020-05-24 | 舞台番外編
*屋代秀樹作・演出 公式サイトはこちら 5月19日~24日 31日まで無料視聴可(クラウドファンディングによる支援募集あり)
 5月にこまばアゴラ劇場で予定されていた『カナリヤ』が上演中止になったことを受けて、『カナリヤ』と同キャストによるひとり芝居が8回連続配信された。無観客上演の配信でもなく、戯曲のリモート読みでもなく、別の作品として、しかも出演俳優それぞれの一人芝居で、という趣向である。
 
 初日の19日はライヴで視聴したのが、その後タイミングが合わず、最終日の今日8作を一気に観た。配信が始まると、もともと誰かが住んでいた部屋に、あれこれ雑多なものが持ち込まれ、物置のようになっているところが映し出され、いつもの公演のように屋代秀樹が開演前のアナウンスを行う(声のみ)。「いったん暗転します」と画面がしばし暗くなったのち、開演である。
 
 画家であるイリエ家の父が亡くなった。5人の子どもたち(6人とも言える)と謎の男、かつての下宿人の合わせて8人が登場する一編が10分強の短編の連作である。部屋を訪れる者の名が、サブタイトルとなっている。

 第1回(末子(甲)カズヲ)/沈ゆう子…(甲)カズヲという表記が既に謎である。表には次男のタケシがいるようだ。そこへカズヲのスマホが鳴る。が、発信者はカズヲ自身という、いきなりありえない展開となる。籐の箪笥の前に赤い表紙の本が落ちている。以前兄弟たちが「リレー小説」を書いていたものだ。童話のようである。いや、それより電話の相手は誰なのか。観客は早々に謎の中へ引き込まれる。以下各回をできるだけ短く、ねたばれを避けてご紹介する。

 第2回(作家、平田)/シークレット(たぶんあの方だ)…違う部屋のように見えるが、カメラの方向が変わったらしいと気づくのに時間がかかった。亡くなった画家の弟による独白である。彼は「わたしがこの部屋に来たのではなく、部屋がわたしのところに来た」と言う。

 第3回(次女ルミ)/永田佑衣…また違う角度から、右半身だけ見せて複数の友だちとオンラインの雑談配信をしている(相手の声は聞こえない)ルミの様子。途中「闇配信」と言って、家族構成や「実は二番めの兄が~」などもはじまり、実家や家族の持つ呪縛が少しずつ明かされる。時おりルミが右側を見るのは?

 第4回(長男ダイゴ)/木内コギト…喪服すがたの長男が、父の葬儀での挨拶の練習をしているのだが、練習の態を取りながら、家族の思い出、後悔あれこれが溢れだす。堂々のひとり芝居の雰囲気。

 第5回(次男タケシ)/横手慎太郎…今度は左半身を見せ、酒を飲みながら叔父の小説の批評を始めるが、時どき左を向いて「カズヲ」と呼びかけたり、ここまでの回とは異なる奇妙な空気がある。その理由は…。

 第6回(大学生サト)/宝保里実…第5回の奇妙な空気の理由が明かされる回。サトは下から上を見上げている。その足元には椅子が転がっている。衝撃的な場に居合わせながら、サトは淡々と、けっこうのんびりと話している。それは「気持ちと時間がずれているから」。

 第7回(末子(乙)カズヲ)/安東信助…(乙)の登場である。スマホで話す相手はもしかすると?「おれがお前で、お前がおれで」、「そっちの世界では女なのか」。

 第8回(長女ハツエ)/田中渚…ひとしきりリレー小説を朗読し、続きを書き始めるが、小説の主人公である魔法使いの娘ラプンツェルの悩みがそのままハツエ自身の心の様相を照らし出す。

 各回は「このように日本のラジオの『ロマンランタン』は入口もなく始まり、出口もなく終わります」と同じつぶやきで幕を閉じる。劇中で子どもたちが書いていた「リレー小説」ならぬリレー式ひとり芝居であり、終わらない小説、終わらない芝居である。実際に劇場で上演できると思われる作りだが、ひとつの部屋を異なる角度、距離から映すことによって、別空間のように見せるなど、映像の旨みも活かしたところに本作の魅力がある。

 今月はじめ、NHKでリモート制作を謳ったドラマ3作を視聴した。亡くなった妻が画面に出てきたり、オンライン雑談していた3人の人格とからだが入れ替わったりなど、SF風の展開に人々が右往左往する描写が凡庸で、あまり楽しめなかった。『ロマンランタン』も死者と思しき人からの電話や、ひとりの人間に甲乙があったりなど、リアリズムではない設定に始まる。しかしその設定に凭れず、設定の理由の解き明かしに終始しない。歪んだ時空間へいざなわれる危うい快楽を味わった。
 
 ひとり芝居として違和感なく、緩やかと見せて緻密に構成された作品である。自然な電話のやりとり、堂々たる演説、こちらの想像を拒否するかのようなつぶやき、「警視庁捜査資料管理室」の瀧川英次ばりのひとり解説など、俳優の演技は8人8色ながら、最終的には何色でもない劇世界が成立した。『カナリヤ』の初演は2015年で、観客からの再演希望が特に多い作品とのこと。作り手としては満を持しての再演であろうし、初演を見逃した自分にとっても公演中止はほんとうに残念だが、日本のラジオの新しい方向性を示した意義は大きい。もしかすると映像配信から舞台での上演という逆方向の制作も可能ではないかと、早くも妄想を抱きはじめている。
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