小説西寺物語 30話 女帝(薬子)西大寺爆破命令で大炎上
809年5月18日嵯峨天皇が即位、同じ日に平城天皇が上皇となられたその明くる日の19日に平城宮からすぐの西大寺で臨時幹部会が開催されていた。貫主の長元は74歳で執行役員12名も65~70歳だった。この臨時幹部会で議決されたことは貫主と12名の役員のすべが辞表を提出してそれが全員賛成で認められていた。
13名の元役員僧侶はその日の内に自坊(出身寺院)に帰っていた、本山に残されたのは本山勤務の30数名の僧侶とまだ修行期間が10年未満の見習い僧侶が100名ほどだった。元貫主の長元は自坊へ引き上げる途中に大安寺の順法に面会を求めて順法に、
「西寺の三塔頭に派遣している僧侶の13名を本山に返してほしい。そして西大寺筆頭塔頭の長喜を貫主にしたい」という要望だった。
順法はこれを認めて奈良に派遣されていた西大寺塔頭の工作僧侶の道行を西寺塔頭から13名の僧侶が西大寺に入るまでの間の仮の責任僧侶に任命していた。この西大寺貫主の長元が急遽臨時幹部会を開催した理由は西大寺が平城宮から徒歩15分ほどの近い場所にあり、いつ何時従三位の藤原忠成からの使いが来て宮殿に呼ばれるかは分からない。
呼ばれたら呼ばれたで何か指図や命令があればそれにしたがう道しか選択肢はない。それがやがて災いして京の都からすれば朝敵と見なされば我ら執行役員全員は処刑される心配があったからだ。この長元の心配が的中して5月20日には宮殿からの使いが来た。
訪れたのは従四位藤原成行で応対に出たのが、今朝から西大寺の仮の責任僧侶の道行で、
「貫主の長元は5月19日付けで貫主を解任されました。それと同時に執行役員僧侶の12名も解任されて現在西大寺の幹部は一人もいません」
「そか、全員逃げたのか?。それなら次の貫主はいつ決まる?」
「まず、本山の全僧侶が13名の執行役員を選挙で決めます。その13名の中からまた選挙で貫主が決まります。我が宗派は末寺が全国に約500寺院ありますが、それが九州から東北まで広がっていますから通常は貫主が選ばれるまでは約2年ほどかかります」
「に、二年?…二年も貫主がいないのか?」
「はい、私はただの留守番役の僧侶で何も難しいことは分かりません」
成行はこの留守番役とされる僧侶が只者ではないと感じてか?、成行は、
「道行はどこの寺の僧侶かな?」
「私は15歳でこの西大寺の修行僧になってもう20年になります。その後、官営西寺の西大寺の塔頭に派遣されて西寺造営工事の基礎工事及び礎石工事を担当していました。そして今回の平城上皇の平城宮入りの警備を担当した攘夷大将軍お預かりの奈良警備隊の一員の従十位の道行と申します」
「ほう、それなら坂上田村麻呂の配下になるのか?」
「はい、私はこの日本国が再びおろかな戦争という権力争いを防止するために官営西寺官主の守敏僧都から奈良仏教会を監視するために派遣された僧侶でもあります」
「ほう、おろかな戦争を防止するために派遣されたか?」
「はい、戦争で犠牲になるのは最も弱い農民になります。農民を救い、幸せにするのが私たち僧侶の最大の仕事になります」
この従四位藤原成行は従三位藤原忠成の弟で姉は平城上皇の愛妾の薬子でこの三人が平城宮貴族の大幹部に事実上なっていた。成行は西大寺からの帰り道に色々考えていた。道行から聞いたことを兄の忠成や薬子にそのまま伝えるかをだが、それは成行が何となく気が合う道行の事を案じて道行の存在を消して薬子に報告をしていた。そして忠成と薬子には、
「西大寺には留守番の僧侶しかいなくて貫主の長元ら執行役員僧侶13名は全員自ら役員を辞任して逃亡しました」
これを聞いた薬子は絶叫しなから、
「おのれ~奈良の糞坊主が~上皇のお陰でこれまで散々贅沢三昧してきたのに~クソ~これは上皇に逆らうばかりか静野(嵯峨天皇)に組した裏切り者になる。これも奈良仏教会の責任でもあるので官営西寺大安寺と東寺東大寺を取り消し恵慈の官位と権燥の官位を剥奪する。そして奈良仏教に約束していた寺領(荘園)の五割増しを取り消します。さらに、西大寺のすべてを廃寺にした上で跡形も無く木っ端微塵に爆破しなさい…そして逃亡した13名の僧侶は佐渡ヶ島に島流しにする、わかったか!成行」
さすがの成行も薬子の厳しい処分に驚いたが、薬子の命令は上皇の勅命になるので成行は武士の従四位藤原佐治に西大寺の爆破を命じていた。西大寺爆破は809年5月30日と決まり佐治は武士100名で行うことを内外に告知していた。
その薬子の西大寺爆破計画を知った朝廷から派遣されている従四位の藤原冬嗣は順法と話し合っていた。冬嗣は、
「なにせ薬子の発案だが、建て前は上皇の勅命になるので我々にはどうすることも出来ない」
「そうなると貫主の長元と執行役員は処刑はともかく島流しは確実になるが、なんとか出来ないものか?」
「それに本山は焼けても末寺500寺院はどうなる?」
「末寺と本山勤務の僧侶30名は大安寺が預かることになる。修行僧の100名は西寺の守敏僧都が引き取ります。しかし、この西大寺を見せしめにして残りの六本山は薬子に逆らえなくなり予定されていた貫主の交代ができなくなった」
5月30日の早朝には西大寺の金堂が爆破されてその火で講堂、食堂など七つの伽藍、30の塔頭と三重塔が焼け落ちていた。その火の粉と煙は天高く舞い上がり、奈良全土ばかりか摂津や難波の地にも灰が振り降りていた。
さらに薬子は、上皇を警備するという名目で朝廷から派遣されている近衛隊の100名を京の都に帰せという上皇の勅命を出された。その理由は上皇が奈良に連れて来た貴族の武士団従四位藤原佐治が率いる300名で上皇の警備は万全ということだった。その勅命を持って従四位成行は近衛隊が駐屯している大安寺に上皇の特使として来た。
近衛隊の隊長の従四位冬嗣は成行に、
「承知いたしました。隊は一両日中に都に引き上げます」
「そか、それと警備隊預かりの奈良警備隊の解散を命令する」
「はい、そういたしますが、彼らは元々奈良仏教の僧侶で本山勤務の僧侶になります。したがって解散しても奈良に残りますが…」
「その奈良警備隊というのは西大寺の留守番をしていた僧侶の道行が所属している隊なのか?」
「はい、その通りになります」
「そか………それなら上皇は奈良警備隊の解散命令を出されただけと私は理解している」
「それは、それは誠にありがとうございます」
こうして順法ら21名の西寺塔頭工作隊の奈良警備隊は解散したが、隊員は成行の配慮で奈良からは追放されなかったが、もしこの配慮がなかったら日本の歴史は大きく変わっていた。順法は近衛隊が奈良を引き上げると同時に新たに工作隊員100名を奈良に派遣してほしいと西寺の守敏僧都に要望していた。守敏僧都はすぐに若手の武術に自信がある僧侶を組織して奈良に送っていた。これで順法の工作隊は121名の大部隊になっていた。
もちろんこれらの大作戦は冬嗣と順法との共同戦略で近衛隊の持ってきた武器のすべてと戦費を隠密に大安寺のある塔頭に保管していた。つまり、西寺の工作隊は朝廷公認の隠密工作隊に格上げされていた。
西大寺は焼け落ちたが、全国に広がる約500寺院の末寺は大安寺預かりになった。大安寺の貫主の惠慈は薬子の無慈悲なやり方に震えていたが、もはや頼りになるのは順法しかいなかった。惠慈は順法に大安寺の副貫主になって西大寺の末寺の面倒を見てほしいと懇願していたが、順法は宗派が違う僧侶が面倒を見ると後々それが引き金となり派閥争いになる。
順法は同じ宗派の道行を推薦していた、この道行は西大寺西寺塔頭の住職になる。この道行の塔頭寺院の名前を「新西大寺」として元西大寺の末寺の本山にすれば西大寺の名前は西大寺がいつかまた再興されるまで末永く残る。そして、元西大寺の幹部の自坊はすべて奈良近郊にあり、檀家も多くて裕福な寺ばかりだった。その寺に西大寺の西寺塔頭の僧侶13名を選抜して住職にしていた。
新しい「新西大寺」の貫主は当然ながら道行になるが、道行は奈良で副工作員として残すようにとの命令が西寺の守敏僧都からあった。それは薬子の弟で奈良仏教への特使の従四位成行と道行がなんとなく気が合うことを順法の報告で知っていたからだ。この奈良と西寺との情報伝達は一日に午前と午後の二便でどんな些細なことでも守敏僧都に届けられていた。
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