小説鯖街道①~⑤話
この小説は「小説西寺物語」の44話~48話の鯖街道の章だけを分離したものです。小説西寺物語は現在49話まで書けています。

 

小説鯖街道 1話 小説西寺物語 44話 空海若狭の鯖寿司を嵯峨天皇に献上へ、鯖街道①

 空海は都~若狭までの高浜街道の整備と布教に力を入れていたが、2回目の布教の旅に弟子100名を引き連れて高浜にいた。高浜では無住職で漁村にある高浜寺の布教に成功してここを拠点にして西は舞鶴、東は小浜、敦賀に弟子を派遣をして農業指導や農業用水の整備をしていた。高浜漁港では鯖、カレイ、イカの水揚げは若狭湾一だが、なにせ都会である京の都や奈良、難波には遠くて大阪湾や瀬戸内海に水揚げされる魚に負けていた。

 それでも鯖の浜焼きや干しカレイ、イカの加工品にして細々と若狭街道から都へと売っていた。これは漁民やその妻たちが背中にかつぎ都までの18里を歩いて行商していた。高浜から都へは高浜街道が便利だが、その頃の街道は整備されてなくて危険な箇所が何ヶ所もあった。さらに過去には山賊の被害もあっていつの間にか漁民からも旅の商人からも忘れられていた。

 空海は若狭街道を整備して1級国道並みにした。そして都までには5つの集落があるが、この集落の寺はすべて真言宗の末寺になり私の弟子が住職をしているから雨や嵐に遭遇すれば遠慮せずに寺に駆け込んでほしいと漁民を説得していた。それまでは女性だけでは危険だと夫婦で行商をしていたが、それだと男たちは漁ができなく夫が漁に出れば行商はできなくなる。

 そこで空海は女性だけで行商をすることを漁民に提案していた。まず加工して商品化する日にちを漁民で調整して行商に出る日を月に2~3回決める。行商には女性ばかり集めて隊列を組んで都に行く。帰りは高雄神護寺に全員集合してまとまって帰る。また、この行商の隊列の予定日には高浜から都まで1里ごとに地蔵と番屋を置いて僧侶を2名常勤させる。また深夜にかかる峠には神護寺の僧侶が見回りをするからより安全になると漁民を説得していた。

 この空海の提案に喜んだのが、若い娘たちで憧れでもある京の都には一生行けないと思っていたからだ。しかも、行商に行けばそれなりの金が入り着物も買えると漁民の妻たちより喜んでいた。漁村の男たちも空海を信頼していたのでこの女性だけの行商隊には大賛成していた。こうして女性だけの行商隊の第一陣が高浜を出発したのが813年11月4日だった。

 早朝5時に出発した高浜女性行商隊は48名で全員母娘で母親は行商の経験のない娘と組んで24組が参加していたが、高浜街道は初めてということで僧侶10名が先導していた。これより先の高浜街道の各村には女性行商隊が通ることを村の寺の住職が宣伝していたために若い娘の荷物を少しでも軽くしてあげたい気持からか娘の行商から鯖の浜焼きや一汐のカレイ、イカが売れた。

 また若者たちは高浜の若い娘を品定めしょうと行商隊に群がっていた。若い娘が背たろうている荷物は約30㌔から40㌔はあるがこの5ヶ村で半分ほどは売れていた。隊列は深夜になるが月明かりでそんなに歩くには不便を感じなかった。神護寺に着いたのは深夜の4時で寺の宿坊で仮眠をとって朝の8時には出発していた。ここからは都の中心部まては約2里2時間ほどで行商隊はそれぞれのお得意様へ若狭の海産物を母親と2人で売り歩いていた。

 24組の母娘はそれぞれのお得意様へ向かうが、もう都では若狭高浜から若い娘が行商に来ることは奈良仏教や比叡山仏教の僧侶の前宣伝で特に若者の間では噂になっていた。当時の娘というのは15歳から19歳ぐらいまででまだ幼さが残っている女性のことだった。これら若狭の娘さんらは色白美人だけでなくよく働き素直な娘が多いと大店の息子の嫁にほしいと店に若狭から行商に来る夫婦の娘をほしい、または若狭の娘を紹介してほしい意味も込めて商品を買ってくれていたという経緯があった。

 それがまとめて24名も都に来るというので大店の息子ばかりか庶民の若い男までまだかまだかと待っていた。こんなことで24組の持って来た商品はもう昼前には完売していた。もう商品はなかったもののいつも買ってくれていたお得意様へは娘を紹介するがてら挨拶は欠かさなかった。そうなると次の行商はいつになるかは誰もが気になるので今日は5日なので次は15日、その次は25日と毎月5の付く日と決まっていた。

 この母娘の娘はなにせこの日まで高浜から一歩も出ていないのにいきなり都に連れてこられて大店が軒を連ねる朱雀大路や四条大路の賑やかさに怖さを感じて母親の腕を離さなかった。母親が大店の番頭さんに挨拶しなさいと促されても娘は顔を赤らめて下を向いていた。商売の方も母親が商品の説明と値段の交渉をしていても取り囲んだ若者の視線が恥ずかしくて下を向いたままだった。こんなうぶな娘に一目惚れする若者が続出するのは当然で若者たちの間ではこの話しが尽きなかった。

 女性だけの若狭高浜行商隊は日暮れにはそれぞれ神護寺に集まり少しの仮眠をして夜の九時には高浜へ出発していた。帰りの道中は母親は母親連中と娘は娘ばかり集まり都であった出来事を報告し合って歩いていたので疲れや眠気などは感じている暇はなかった。帰りは荷物がないので早くて18時間後の6日の午後6時には全員家に帰っていた。

 行商隊が高浜に帰ると同時に代表各の母親5名が高浜寺の空海に報告に来ていた。空海は恐縮しながら、
「そんな報告などは明日でいいから早く風呂に入って休んで下さい」
「いえいえ、京までは遠くても18里しかありません。娘たちも仲間と歩き物見遊山気分で次の行商を楽しみにしています。それに私たちもいつもは亭主と二人だけでなにかと気を使いますが、女性だけのほうが楽しく行商ができます」
「そうか~それは良かった。で、街道は道に迷ったり、危険な場所はなかったかな?」
「はい、迷いそうな場所には「神護寺3里、京4里」と矢印が書いた石碑や案内板があり安心です」

 そして私らの母親が留守の間に空海さまに食べていただこうと若狭で古くから伝わる鯖寿司を作りました。どうか食べて下さいと出された鯖寿司を空海は喜んで食べたが、空海は、
「これは旨いが、鯖は足が早いというが、何か工夫をしているのか?」
「はい、鯖は腐るのが早いので焼いて京に持って行きます。この鯖寿司は水揚げされた新鮮な鯖を一昼夜塩に漬けてその後、水洗いして今度は酢に昆布や鰹節を入れて鯖を漬け込みます。これだと冬は7日ほど、夏でも3日は持ちます」

 鯖寿司の後には寺の台所で焼いたのか、熱々の鯖の塩焼きが出された、空海は脂がしたたり落ちる鯖を一口食べると思わず「旨い!」と叫んでいた。その時、空海の頭の中にはこれまでお世話になってきた嵯峨天皇や師匠の最澄、それに西寺の守敏僧都、稲荷神社の伊呂具、松尾神社の酒公にこれらの若狭の鯖寿司と鯖の塩焼きを食わしてやりたいと何故か瞬間的に思った。日頃は彼らと私とは思想が違うと思って思い出すことさえはばかっていたのに何故だと自問自答していた。

 そこで空海は代表各の母親の松に、
「松さん、この若狭の鯖寿司と塩鯖焼きを嵯峨天皇に献上したいが、鯖を100本ほど譲ってはくれないか?」
「さ、嵯峨天皇…ま、まさか~天皇さまはこんな下々の物をお食べにはなりません」
「いやいや、私は天皇とは飲み友達で天皇の好みは知っている。いつも天皇が旨いというものは私も美味いと思っている。この鯖寿司も塩鯖焼きも私は天下一品の美味と思ったから天皇もそう思う」
「へえ~~~住職さまが~天皇と友達~へえ~」

 へえ~と思わず5人の母親は板の間に額をこするほどひれ伏していた。空海は、
「いやいや、私は天皇でもないしこの高浜寺の住職でしかないが、もし天皇がこの若狭の鯖寿司を食べて一言「旨い!」といえば若狭の海産物は京の都では高値で飛ぶように売れてこの高浜には「鯖御殿」や「鯖屋敷」がいくつも建つかも分からないが、いかがか?」

 松は、
「それは嬉しい話しですが、この鯖寿司は私の義母の梅さんが作ったものですが、私たち若い母親にはまだ教えていただけません。なんでも塩加減が薄いと半日後にはうじ虫が湧いて食べられません。濃くなれば新鮮味も旨味も風味も消えてしまうそうです。また酢に漬ける時間も早ければ生臭く、長ければ脂も飛んで白くなり見た目も悪くなります。たとえ京で若狭の鯖が売れたとしてもこの鯖寿司には到底なりません」

 そこで空海は少し考えてから、
「それなら梅さんが私の弟子に鯖寿司の作り方を伝授していただけませんか?。私たち神護寺の僧侶は宿坊などの料理のすべてを僧侶が調理しています。その腕は京の一流料亭の花板と同等以上の腕利きです。もちろん先の桓武天皇にも嵯峨天皇にも私どもの僧侶の料理をお召し上がり頂いています。その腕利きの僧侶をさらに選抜して梅さんに預けますから鯖寿司の作り方を伝授してほしい。そしてこれらの僧侶が京の料理人に教えることで若狭の鯖は宮廷料理にも京料理の代表にもなります」

 空海は料理の名人級の僧侶5人を神護寺から高浜寺に集めて梅さんの鯖寿司の鯖のさばき方から塩加減までを習うことになった。教室は高浜寺の台所だが、梅さんは75歳の高齢で梅さんの孫の色白美人の椿を助手として連れてきた。この椿は19で小浜の漁民の嫁になったが、嫁入りの年に夫は海で遭難して亡くなっていたが、まだ22歳の若さだった。子供がいなかったので実家に戻されて兄の船で水揚げされた魚の加工を浜でしていた。

 梅さんと椿は早朝から寺に来て僧侶5人に手取り足取りで教えているが、僧侶たちは元々魚をさばくことは熟しているので梅さんが教えるのは塩加減と酢の扱いだった。椿はいつの間にか空海の食事や身の回りの世話をすることになったが、これは梅さんの年の功の悪知恵で孫の椿と空海がいい仲になるのを見越していた。

 梅さんの鯖寿司教室も10日が経ち僧侶たちは鯖寿司の作りを伝授されていた。この間に使った鯖は100本、米はニ斗を越えてこれらの成果である、鯖寿司を嵯峨天皇に献上する「若狭鯖道中」の日が813年12月5日と決まっていた。この日は高浜女性行商隊の4回目の日で若狭鯖道中の行列にも参加することになった。この日から梅さんはお役を終えて寺には来なくなったが、孫の椿は毎日空海の世話をするために寺に通っていた。
                                (鯖街道②に続く)

小説鯖街道 2話 小説西寺物語 45話 嵯峨天皇へ献上「若狭鯖寿司道中」大成功 鯖街道②

小説鯖街道 3話 小説西寺物語 46話 空海日本初の新婚旅行…嵯峨天皇が鯖街道と命名 鯖街道③

小説鯖街道 4話 小説西寺物語 47話 椿の一言で神護寺都唯一の紅葉の名所に、空海椿の結婚披露宴
小説鯖街道 5話 小説西寺物語 48話 空海従六位文章博士に復活、妻椿御前従六位に 鯖街道⑤完

この小説は私が書いています。

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