横浜映画サークル

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『喜劇・大風呂敷』と上映された南区公会堂近くの看護学校女子寮宿直の思い出

2019-03-04 21:19:05 | メンバーの投稿

喜劇・大風呂敷』(1967日本 監督中平康):南区公会堂での横浜キネマ倶楽部自主上映で3月2日に観た。

映画は大阪的i喜劇の残念な面、身体的特徴や弱者を笑いものにする、わざとらしい、表面的で深みがない笑いが多かった。例えば黒人がただ大阪弁を話すことで笑いを取ろうとするところ、何が面白いのか不明。当時は珍しかったとは思うが、珍しいことの色物と言われるのと喜劇とは違う。四国を独立国にするという野望にまい進する造り酒屋の息子(先代の円楽)が出てきて、失敗破産するが、なぜ独立しようとするのか理由らしい理由は一度も出てこない。円楽に途方もない夢を語らせればいいのに、その場面がなく、ヨナヨナした御曹司役で笑いを取ろうとしているが中途半端で笑えない。主人公藤田まことは、バクチ運が良く、建設会社の社長の夢は運良く実現する、運が憑いている男であるが、ただ運がいいだけで笑いを誘うところはない。台風が近づきライバル建設会社社長の家が壊れないように縄で屋根を支える場面があるが、私なら藤田まことが間違えて縄を張り家が壊れてしまうようにするが、そのようなドタバタはなく、家は壊れない。ドタバタ喜劇としても中途半端な作品。終盤で四国独立の野望が破れ、家をヤクザに取られ、あばら屋住まいの先代の円楽と夫婦になっていた憧れの女性芦川いずみのためにヤクザから家の権利書を奪い、権利書をあばら屋にそっと置いて去っていく。私ならここで先代の円楽が感謝して涙するアップの感動的な場面を入れ、円楽の出番を作り盛り上げるが、その場面はない。人情話としても中途半端な作品になっている。この映画は懐かしい出演者を見るという範囲で楽しむ作品に思える。映画に桂歌丸はあまり出てこない。

下の画像左は左端が建設会社社長役の花沢徳衛。左から2番目に社員役の桂歌丸と柳家小痴楽後の春風亭梅橋がいる。右端は雇われることになる藤田まこと。その隣の女性は社長の娘役の木の実ナナ。画像右は四国独立の話に乗る役の先代の円楽。隣は藤田まことがあこがれていたが、円楽の嫁になった役の芦川いずみ。

画像出典左と右:アパッチの映画EXPRESS喜劇大風呂敷https://ameblo.jp/bareras/entry-11568257582.html(閲覧2019/3/4)

映画の後の講演佐藤利明氏の話が興味深かったので、要点と思うところを以下に記しておきます。

桂歌丸は南公会堂のすぐそばの真金町に当時の郭(売春宿)がありその一つの富士楼の息子として生まれた。富士楼には柳家金語楼が弟子を連れて来たことがあるとのこと。歌丸は春風亭柳昇の落語を聞いて感動し落語家になることを決め、15歳の時に5代目古今亭今輔に弟子入りした。「笑点」の名称は立川談志が当時有名になっていた『氷点』(1966年監督山本薩夫、TVドラマ化もされた)のパロディーで名付けられ、歌丸は1966年の今から53年前の1回目から笑点メンバー。

落語を映画にした落語映画はあるが、落語家が出ていることは少ない。落語映画としてまとまった作品は『幕末太陽伝』(1957監督川島雄三、主演フランキー堺)『運が良けりゃ』(1966監督山田洋次、主演ハナ肇)の2本。

他に長屋3部作(熊さん・八っつぁんもの)『長屋は花盛り』など。『金語楼の大江戸千両祭』『落語天国紳士録』など東宝が年1本のペースで制作していた。

 以下は、直接映画には関係しないが、南区公会堂近くの看護学校女子寮宿直のアルバイトの思い出

私は学生の時、学費生活費はすべて自分で稼ぐ生活をしていて、警備会社に宿直の仕事の登録をしていた。宿直の仕事は夜間に見回りをすることをしっかりやっていれば、勉強時間が取れるので学生の私には都合がいい仕事だった。県立商工高校の宿直が先生の負担を減らすということで、警部会社に任さられるようになり、私に回ってきた。しばらくすると看護学校もやってくれと言われ南公会堂近くの看護学校寮の宿直を行うことになった。そこで印象的な次の3つの出来事に会った

1、寿町の兄弟入浴作戦

夜の11時過ぎに見回りをしていると、会議室で10人近くの人が会議をしている。こんな夜に何の会議と聞くと、寿町に小学生くらいの兄弟がいて、昼間居るから学校に行っていないらしい。服は汚れ、髪の毛もごわごわで風呂に長い間入っていない。会議はどうやってその兄弟を寮の大浴場の風呂に入れるか、というものだった。理由なく風呂に入れれば、両親が怒るかもしれない。そこで寮生が考えた方法は、一緒に遊ぶふりをして、わざと兄弟に泥水を掛けて汚し、申し訳ないので風呂に入れた、というストーリにしよう、と言うものだった。

ある日寮生たちは実行する。兄弟を風呂に入れ、服を洗濯機で洗ってあげて帰した。両親からの苦情があったかどうかは聞いていないので、たぶんなかったと思われる。

寿町は東京の山谷、大阪のあいりん地区と並ぶドヤ街で、昼間から酒を飲んでいる人がいるなど、独特の怖い雰囲気があり、私もつい避けて通る地区であった。看護師の卵たちの勇気ある行動は、今でも忘れられない出来事です。看護師には点滴に毒物を混入するような人がいるが、圧倒的に多くはこの寮の人たちのように魅力的な人たちです。

2、門限過ぎの看護学生

看護学校は高校卒業後2年間の学校。地方から来ていて貧しい家庭の人が多い。ある日門限10時だけれども、11時頃に内緒で門を開けてほしいという寮生がいた。伊勢佐木町付近のバーでアルバイトをして、どうしても10時前には帰れないとのこと。酒はウイスキーと称してウーロン茶を飲むのだそうだ。守衛室は建物の裏側の1階にあり建物に入らないでも窓のところには来られる。以後守衛室の窓を11時ころになると叩く人がいて、そのたびに正門入り口のドアを開けてそっと入れてあげて、規則違反をしていた。あの人は立派な看護師になったに違いないと、勝手に思っている

3、寮自警団の強力さ

寮は160人ほどの寮生がいて、寮生たちで自警団が組織されていた。ある日の夜、2階の窓伝いに男の人が寮生の部屋に入ったことがある。寮生の悲鳴で、自警団が暴漢対策の道具をもって動き、侵入男性はボコボコにされた。この話は私が宿直担当ではなかった時のことで、詳細は不明。また、自警団がどのようなものか私が直接聞いたことはなく、実態は自治会のようなものだったかもしれない。それにしても自警団は宿直員よりよっぽど頼りになる

 映画「喜劇・大風呂敷」を観た後で南区公会堂の近くの看護学校寮のところを見に行った。いろいろ変わっていている。後で調べると横浜市立大学付属病院(市大附属病院)は金沢区へ移り、看護学校は市大医学部の看護学科に吸収され金沢区へ一緒に移っている。移る前に南区公会堂のすぐそばに在った市大付属病院跡地は現在市大付属市民総合医療センターと言う名称で以前と変わらない医療の中心的施設になっている。看護学校寮の跡地は横浜中央病院付属看護専門学校になっているところではないかと思うが、横浜市立中村特別支援学校があるところかもしれない。いずれにしても寮はなくなっている。

以上、S.Tでした。

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