mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トロイ一周とカッパドキアの旅

2019年11月02日 | 旅行記
 久しぶりに記事を書いています。
 何をしていたのか?パソコンが嫌いになったから止めた?
 そうではなく、mugifumi夫婦の海外旅行の中の「バルト三国美しき古都と城を訪ねて」の執筆が忙しくてご無沙汰していたのです。
 現在、リトアニアのカウナスで杉原千畝さんが命のヴィザを発給した部分を書いていますが、「こういう素晴らしいことをした日本人がいたのか!」と感激のあまり筆が進んでいません。

 さて、今日は執筆途中の「トロイ一周とカッパドキアの旅」続きをレポートしたいと思います。

 ▲ トロイ遺跡2

<Mugiko>
 Ⅵ市の城壁を見て見学路を進んで行くと、次に見えてくるのは、Ⅷ時代に建立されⅪ時代に再建された「アテナ神殿」だけれども、「これが神殿だ!」というものが見当たらないのよ。
<Mugio>
 一番新しい時代のものだから、その遺跡があっても良さそうだけれど、この時代のものとしては、アテナ神殿をオデオンの手前にある「聖城」くらいらしいよ。

 ≪アテナ神殿付近の光景≫

 ≪大理石の天井≫


<Mugiko>
 写真がぼけているけれど、大理石に彫刻を施されたものが転がっていたわ。下の写真(大理石の天井)は、Ⅷ市時代の「アテナ神殿の天井」みたいね。
<Mugo>
 ここを過ぎると、低い通路になっていて、そこに屋根がある赤いレンガ造りの城壁の後のようなものが目の前にありました。
 簡単に手に触れることができますので、持って帰ることもできますが、もちろん、そんなことはしておりません!

 ≪レンガ状の城壁≫


<Mugiko>
 この赤いレンガ状のものは、Ⅰ市時代の紀元前3000年から2500年頃のものといいますから、すごいものですね。
 でも、ご覧のように簡単に触れることができますので、もしかしたらレプリカかも知れませんよ。
<Mugio>
 Ⅰ市は、初期青銅器時代で「石壁と長屋のような小集落が残っている。」という説明からすると、このレンガ状の城壁は、次のⅡ市時代のものかも知れないね。
<Mugiko>
 というように、私たちの知識では不明なことが多くて、このレンガ状のものを「メガロン式住居跡」だという説もあるのよ。
<Mugo>
 メガロン式住居(Magaron House)というのは、「石組み土台の上に赤土レンガを積み上げて構築された4500年前の密閉構造の住居跡」という説明もあり、これからすると写真の構造物は「まさにその通り!」だと思えるね。
<Mugiko>
 先ほどから二人とも的外れのことをいっているかも知れないけれど、見学コースに従って歩いたはずだから、それを頼りにするしかないわよ。

 ≪トロイ遺跡の地図≫


<Mugio>
 そうだね。はじめからこの案内図を掲載しておけばよかったな!
 地図の中央に薄い橙色の横線があるけれど、我々は、現在、そこの城壁(1)というあたりを歩いているということだね。
<Mugiko>
 そうだけれども、Ⅰ時台の城壁を撮影していなかったようね。仕方がないから「シュリーマントレンチ」といわれる場所の写真を掲載しておきましょう。
 トレンチとは、「考古学では発掘溝。適当な長さと幅を持った帯状の区域を設定し、その部分を掘り下げて調査する。」ことだから、シュリーマンが発掘調査した溝ということかな?

 ≪1市の城壁付近の光景≫

 ≪シュリーマントレンチ≫


<Mugiko>
 Ⅰ市の城壁付近の光景?、この写真の場所は、シュリーマンが発掘したという溝の手前だったので、あなたとしては掲載したかったのでしょうね。
<Mugio>
 ところで、この発掘溝を勝手に「シュリーマンのトレンチ」などといっているけれど、トロイ遺跡の発掘者のシュリーマンが掘り進んだ場所が下の写真≪シュリーマンのトレンチ≫のようだね。
 この上にあった何層もの遺跡は、破壊されてしまって、残っているのは、Ⅰ市遺跡のみだという話だ。
 よく見ると、横に並んだ石積みの列がいくつか見えるけれど、これは、住居の基礎部分らしいね。
 でも、「わがまま歩き」では、この写真の「下に見えている石組みはⅡ市もの」と説明しているので、Ⅰ市時代なのかⅡ市時代なのか分からなくなってきたよ。
<Mugiko>
 そうね!でも、あなたの写真とは撮影した方向や角度などが違うから、そういう石積みが写っていたのかも知れないわ。
 それよりも、ここのことを約5000年前(Ⅰ市)の住居跡で、「メガロン式住居跡」だと説明している資料が多いわね。
<Mugio>
 ということは、先ほどの赤レンガ状のものが、この場所の石積みの上に乗っていた、ということになるの?
<Mugiko>
 謎が深まったわね。
<Mugio>
 次の写真2枚は、トレンチの近くにあったものですが、様々な時代の層が複雑に重なっている様子が分かるね。

 ≪多くの時代が重なる地層≫

 ≪時代を表示しているプレート≫


<Mugiko>
 地層には、時代を表す番号がふってあって、どの時代のものか分かるようになっていますが、何度もこの地層に都市が築かれたということかしら?
<Mugio>
 きっと、そうだろうね。
 下のプレートは、この地層の手前に置かれていたので、地層に番号を振って観光客が分かるようにしたのだと思うな。
<Mugiko>
 写真の写りがよくないけれど、中央の黄色の表札には「Ⅱ」と書いてあるみたいね。その真上の白い表札には「Ⅲ」、そしてその左上の白い表札には「Ⅳ」と書いてあるように見えるわ。
<Mugio>
 写真がボケているので、はっきり分からないけれど、きっとそうだよ。
 右下のプレートの部分が「Ⅱ」、その上の白い部分の下から「Ⅲ」、「Ⅳ」、「Ⅴ」、「Ⅵ」、「Ⅶa」、「Ⅶb」などと表示されているからね。
<Mugiko>
 次は、先ほどの地図でいうと、Ⅱ市後期の城壁や城門、斜道(ランプ)があるはずですが、どうもよく分かりません。

 ≪Ⅱ市後期の城壁?≫

 ≪見学路と傾斜路≫


<Mugio>
 下の写真≪見学路と傾斜路≫の左に見える路がランプと呼ばれている傾斜路です。
 分かりやすくいうと、「大理石で舗装された坂道」といったらよいのかも知れません。
 シュリーマンは、この手前の溝でプリアモスの宝と呼ばれる黄金を発掘しています。
<Mugko>
 次は、Ⅵ市の城壁を越えて「聖域アルターなど、Ⅶb~Ⅸ」と表示されているところに向かいました。



 <本日の記事は、理解しがたい話が多かったのですが、ここで終了とさせていただきます。次回はトロイ遺跡3をお伝えします。>


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