2/11の舞踏クラスで、ベートーヴェンの第九交響曲の一部分(第一楽章および第二楽章の冒頭部)を踊った。チャンスがあれば稽古で紹介したいと思って音源を持ち歩いていたのだけど、この日の稽古の空気感のなかで、今この曲を、と思って鳴らした。
立ちあがる、ということを捉え直してゆく稽古だったのだけれど、その一人一人の人が自分の身体を立ててゆくプロセスが、とてもドラマチックに感じたのだ。
僕らは毎日まずは立つ、あるいは、立とうとする。立つ、ことから一日は始まる。しかし、その行為を意識的にとらえ、そのプロセスを解体し再構築するとなると、思いのほかいろいろなことを考えたり経験したりすることになる。
単純な行為なのに、実に面白いプロセスが、そして学ぶべき力学が、立つ、という行為の中には含まれている。自重を感じ、空間を感じ、バランスを感じ、何よりも自立への衝動を感じ生み出しながら、身体を垂直にみちびいてゆく。
私はどのようにして立つのか、と同時に、ヒトはいかにして二足で立ち歩行に至るのか、という問いが、稽古の根にはある。そしてそれは、ダンスの最も基本的な美意識にも結びついてゆく。立ち方には心が反映され、立ち方には生き様が反映される。
稽古では、あなた自身がしっかり表現されている立ち方、を、さがすことになる。いい立ち方、ぴたっと来る立ち方、それが決まったとき、ダンスは始まる。そういうことを、僕は教室で言葉にして語るわけではないが、この日の稽古では、非常に沸き起こっていた。そこに、とても本能的に鳴らしたくなったのが、ベートーヴェンの第九の、それも、いちばん最初の持続音から4度下降の繰り返し、それが重なり合って音の波がどんどん分厚く力強くなってゆくところなのだった。
原爆はボタン一つで世界を絶望に陥れることしか出来ないが、音楽はボタン一つで世界を感動で満たすことができる。その典型のひとつが、この第九シンフォニーだと僕は思っている。
エネルギーが発熱して火になり爆発して光になる、そのプロセスが魂の奥底から現れ出てくる音楽だと、僕は第九のことを思う。その音を、と思えるような空気感が生まれているのを、この日の前半の稽古で感じたのだった。
音が鳴り、その波が身体に伝わり、うねり、揺れ、跳ね、まわる。そのプロセスを目の当たりにしながら、踊ることの素晴らしさを、あらためて感じた。次のレッスンがまた楽しみになった。
櫻井郁也ダンスクラス Lesson and workshop
▶クラスの内容と参加方法など
ダンス公演情報 Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo
▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報