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ドリアン助川氏講演「生きることの新しい意味~積極的感受~」(東京いのちの電話 主催)

2020-09-20 17:00:22 | 生き方/考え方
ドリアン助川氏講演「生きることの新しい意味~積極的感受~」東京いのちの電話主催(2020/9/19)
 こんにちは。たくさんの方にお越しいただきありがとうございます。3月から今までの講演30いくつが飛んでしまいました。久しぶりの講演です。大学も新入生が入学したけど、リモートで授業でした。ようやく対面授業が始まります。
注)入る前に手指消毒。体温測定。マスク必須。一人空けて着席などのコロナ対策下実施。

積極的感受は造語ですね。
「結局明けない夜はない」
「今日よりより良い明日を」
この二つの言葉は嫌いです。右肩上がりの志向が自分を苦しめます。
今日より明日がよいと纏めないで欲しい。
「あけぼの缶詰」は中東では売れなかったです。
太陽は恐ろしい。太陽のマークのついた缶詰は皆買わなかった。太陽より月が安らぎ。
自殺は夜ではなく、明け方。冬よりも春に自殺者が多い。
明けない夜はないと言いたい気持ちはわかります。でも人間はその言葉を超える人生を迎えることは難しい。なので言葉で簡単に言って欲しくない。今日より明日だと今日は悪いのかということになります。今日の今が大切なんです。

「あん」について。フィンランドから翻訳が出て13国になりました。。
フランスの市民が投票する文学賞で1位になりました。

 色弱なんです。でも実生活で苦労したことはない。担任の先生から「助川、おまえ今は良いが、将来お前は苦労するだろう」と言われました。美術では内申書10.0をくれていた。美術学校も考えたくらいで色弱は日常生活に影響していなかったのです。
就職活動で、テレビ局、出版社、映画会社などほとんどが、“色弱”で受験拒否です。受けれるのは商社くらい。色弱は男性に多く20人に1人が色弱です。今でも自衛官や医療関係は相手にしてくれません。
仕方なく一人で生きることを決意しました。クイズ番組。ネタを考えたり。フリーの放送作家を目指しました。
クイズ「ニューヨークの自由の女神は灯台として登録されているか? 〇が×か」
〇です。×の人はお帰り下さい。今日は帰らないでください。

 ベルリンの壁崩壊、それを生で見たいと思った。さらにユーゴスラヴィアやチェコスコバキヤで大きな変革の現場へ。カンボジアの地雷。田舎から帰って人々が都会へバスで輸送されて戻って来た。200人に一人が地雷を踏んだ。地雷を踏んだ人に話を聴いたりした。
何をすべきかを考えて、バンドを組んでそれを訴えデビューしました。そしてラジオのパーソナリティもしました。

 今日有楽町からてくてく歩いて来ました。その時に昔の苦い体験を思いだしました。僕たちのバンドのPRのチラシが明日からでる前日にギタリストがドラッグで捕まりました。全国ツアーで大阪にいて、全て中止になってしまいました。まさにここでした。築地署に捕まりました。何千万円の借金を抱えてしまいました。皆元気をなくしてしまったので、元気を取り戻すためにインドに行こうと思って、皆でインドに行ったら皆お腹を壊しましたが。

 夜は人を守る面もあります。変化に人は弱いです。。10数年前NHK総合テレビ「未来観測 つながるテレビ@ヒューマン」で、1分45秒の新曲を作っていました。月火にインタビューして水曜日に毎週作成。仕事がハードで急性甲状腺炎症になってしまいました。

 中居君とユーミンの番組の中間に時間を貰った。何でも電話してきてとの番組。指の爪10本を虐めで剥がされたとの話もあった。当時にも、「いじめに立ち向かえ」という大人がいました。しかし、「とりあえず逃げろ!」です。当時援助交際が流行っていて、都立高校女子高生の10人に1人が経験したとか。彼女たちにはお金がない。どうしたらよいか? 一緒に先ずは悩みました。オーストラリアは売春合法的。ドイツやオランダも合法。売春は人類最古の仕事。もちろん勧めているわけではない。万引きをやる人とも一緒に考える。ダメとは誰でも言える。表面的な解決ではなく深く考えて行く。そうすると「ダメなものはダメと言え」と批判がくる。いじめられている人50人集めて話し合いを行いました。連絡先交換するが、その中でいじめが始まりました。

 私たちの人生には意味があるのだろうか? 生き抜くとはどういうことなのだろうか?
と若者に質問しました。彼らの答えが多様性にとんでいない。「役に立つために生きている。社会のために役に立たないといけない」と返答してきました。きっと周りから言われたのでしょう。明治学院大学でも、周りの人にために生きなさいと。キリスト教の学校なのでそういっています。それは確かに意味がある。でもそれがないとだめなのだろうか?
今日より明日を。明けない夜はない。立派な言葉には裏があります。疑わないといけない。正義のタイトル、正義のジャンベルジャン。ニッポン放送で、ベネッサがスポンサーだった。正義の言葉は削除したいと提案したが、「タイトルは変えないで欲しい。そう思うなら番組内で言ってもらってよい」と言われました。でもそれは難しい。

 そんな中で思ったのがらい病、ハンセン病。らい病は差別要素がある。プロミンが開発され、世界は通院治療に変わりました。しかし日本は隔離法で病気が治っても社会に出られませんでした。この人に「社会のためにならないといけない」と言えますか?
バンド仲間の女の子が2歳で亡くなった。生まれてからチューブがつながったまま。年取って生まれた子でした。両親の悲しみはとても深かったです。この2歳の子には意味がなかったのか?
戦争で多くの若者が亡くなりました。ツインタワーが攻撃され、それから米国では軍事が優先して行きました。戦争が忍び足で近づいて来ました。社会がいつも正しいとは言えない。社会に丸投げすることはリスクが大きい。自分の人生を考えたい。

 ハンセン病患者さん、2歳で亡くなった子にも意味があったのではないか。そこでハンセン病のことを書きたいと思いました。1997年に思って出版されたのが2013年。16年かかりました。「あん」は女性作家が支援してくれました。角田光代さんや中川京子さん。そしたら売れ出してきた。映画を撮りたいとの依頼も受けるようになりました。
映画の紹介
 徳江さんはハンセン病の療養所に住んでいる。永瀬さん演じる仙太郎は人を殺して刑務所に入った後に出てきた。そしてどら焼き店を雇われ店長でやることになった。そのどら焼き店が、徳江さんの美味しいあんで人気店になった。ところが徳江さんの指が曲がっているのを見て、ハンセン病とのうわさが広がってお店でどら焼きが売れなくなった。高校生の若菜ちゃん。家が貧しい。どらやきのパンの部分の不良品を貰っていた。徳江さんと仙太郎さんの間に入ってくる。

 積極的感受を映画にするのは難しい。河瀬監督の映画に出演したことがありました。その時の経験からこの映画を撮るのは河瀬さんだと思って、本とレターを出して監督をお願いしました。大手出版社から13回書き直しされました。結局その出版社からは出ませんでした。昨日も国立多摩全生園にいました。北條民雄著「いのちの初夜」。北條民雄さんを取りあげた朗読をする。竹下景子さん、中井貴恵さんと一緒に。

(参考 本のページはすべて、新たな世界へ通じている ドリアン助川教授の「扉をあける読書」https://book.asahi.com/jinbun/article/13690195)

 映画「あん」にはスポンサーがいないと言われた。病気は難しいよ。特にハンセン病は難しいよと希林さんに言われた。河瀬監督は作品は素晴らしいがお金には縁がない監督です。
でもありがたいことにスポンサーがついた。

 9月27日にオンラインライブもやりますので、関心ある方はぜひお願いします。
(参考 ライブは、9月27日(日)の午後8時より2時間ほど。
アーカイブに録画されますので、10月11日(日)まで、同じチケットで視聴可能です。
チケットは2000円です。

10月10日(土)、ジャズバー「ナージュ」にて、レモンチェッロ(三咲順子、ピクルス田村、ドリアン助川)のライブをやります。
http://durian-sukegawa.com/blog-category-3.html)

 カンヌ映画際は世界でも注目されています。ナチスに対するレジスタントがフランスの南に集まった。なのでそういう人々が多い。カンヌ映画祭では映画の権利を買いにバイヤーが来ています。
多くのスタンディングオベーションは拍手しながら帰っていく。でも「あん」は皆帰らない。希林さんが「帰りましょう」と。「拍手している人が手がいたくなるでしょ」と。

 13回書き直した大手出版社から出版を断れました。遠藤周作「私が棄てた女」もハンセン病のことを書いていますが非難を浴びました。ハンセン病を当事者や医療関係者がドキュメント風に書くのはあるけど。小説として書くのはなかったのです。ハンセン病だった人からインタビュー受けて、必ず出版しますよと約束していたので出版を断れた時は、約束を守れなくて申し訳ない気持ちが大きかったです。結局ポプラ社が拾ってくれました。「大手が棄てて、小さなポプラ社が拾ってくれた」と言ったらポプラ社の社長がちょっとむっとして「うちもそこそこ大きいよ」と言われましたが。

 森元美代治さんが偶然私のライブに来ていました。ハンセン病のことは既に当事者が書いている。でもハンセン病のことを書きたいと話しました。そうしたら「療養所に来たことある? なかったら来たらよい」と言われて行きました。森元さんは奄美出身、勉強して鹿児島の療養所から岡山の療養所に高校があったので移動しました。ハンセン病患者は貨車で運ばれました。人として扱ってもらえない状況でした。最近森元さんが大腿骨を骨折されたので、お見舞いに行ったら、英語の勉強されていました。森元さんは高校卒業後勉強したいと思っていたが大学に行けませんでした。多摩全生園だと勉強できるよと言われて移って来ました。消灯後、皆が勉強ができるように協力してくれました。その仲間が製菓部の仲間でした。ハンセン病は神経が麻痺してくる。目が見えなくなる。舌で点字を舐めて読む。どんなひどい状態になっても、最後に残るのは口の中。だから最後に甘さを感じることができる。そのとき稲妻が自分に落ちたのを感じました。
当時、パティシエが人気。お酒が甲状腺治療で禁止になった。それまでは甘いものが何であるのだと思っていた。お酒が禁止されローソンの大福の前で立っていた。パティシエに関する話の本を書こうと思ってパティシエの学校に入った。でもそれも難しいと思いパティシエになろうと思学校に通いました。そんな経験があって製菓部の話を聴きました。

 昭和30年後半から40年。夫婦寮が建てられた。優生保護法で子どもを作るのを禁じていた。結婚するには男性は断種手術を受けないといけない。
ホロコーストとフランクルの話を大学で教えています。虐殺の対象者はユダヤ人ではなく障がい者から始またのだと教えている。
女子寮と男子寮しかない。男女が一緒になるには紙のパーテーションしかなく声を殺してやらないといけない。
国民に排除する思想がある。
「差別のない国日本に生まれて」と平気でレポートを書く学生がいます。学生を連れて多摩全生園に連れた行ったりしています。台北のハンセン病の寮も訪問しました。

 積極的感受は世界で受け入れられた。
ウクライナに映画祭に招待されたが当時ロシアがクリミヤに入ったことで危険だった。
「そういうところだからこそ行ってあげたいね」(希林さん)
「行きたいということですか」
「そうとも言えるね」(希林さん)
行ったら大歓迎を受けました。
希林さんは素晴らしい人。
お酒が禁止の国では、お酒を飲まない世界は甘いものを楽しんでいる。晩餐会で、アイスクリーム6種、お菓子が他にもいっぱい。キャラメルを煮詰めたようなものもあった。
希林さんは挑戦していました。

 「あん」には世界の人に理解してもらうには難点が2つありました。
1つは皆「あんこ」を知らない。
どら焼きも知らない。もちろん食べたこともない。
西洋の人は映画で何を食べているか分からない。きっと東洋のお菓子だろうと思うだけ。
あんとどらやきの単語が長い言葉になっている。
もう1つは何で隔離されていたのか? 病気が治っていないのね? いや治っている。だったらなぜ隔離されているのか?
深夜12時過ぎてもインタビュー続く。皆写真を撮ると皆写真を撮り、それが広がって行った。
フランスでは大ヒットしました。ある時、「アンネの日記」を抑えて1位を数か月維持しました。フランスの日本文学でずーっと1位で、2位が川端康成の「雪国」でした。
コロナ下でこそ、「あん」はぜひ読むべき本だという人もいます。なぜなら高齢者は死んでよいとの思いがこのコロナでもあるからです。
日本文学での1位は4年数か月で村上春樹に1位を譲りました。世界の村上春樹さんですから、1位を取り戻すのは難しいかと。
TV番組「You 何しに日本に来た?」の質問に、「あん」でどら焼きを知って来たと答えた人がいました。世界にどら焼きを広めましたが、和菓子協会から表彰されていません。笑

 ある学校で「あん」が副本になり講演に行ったこともあります。韓国の延世大学の教科書になり、講演に行きました。
海外のサイン会で10歳の子どもを亡くした女性が、「毎日泣いている。10歳で亡くなったけど、話を聴いて亡くなった子どもにも意味があると感じ少し楽になった。メルシーボク、メルシーボク」と言われました。「メルシーボク」と思ったのは僕の方こそ。

 徳江さんの最後のレターを朗読。
 学校の先生になりたかった。垣根の外に出たかった。世のため人のために働きたいと思った。何度も死にたいと思った。世の中に生きることができなかった。
その気持ちが変わった。
園の夜感じた。月が私にささやくように感じた。私がいなかったら月もなく、風もなかった。ものを感じる人がいないと世界は消えてしまう。私たちは世界を見るために生まれてきた。そこに意味がある。
2歳の子が感じたことがある。そこに意味がある。生きる意味があるのだとはっきりわかる。

 積極的感受
 いのちに意味なんかないという学生もいる。だった意味がないということで世界の再構成?の意味を言ってごらんと言うと言えない。
認識があって存在している。宇宙があるという感じる心がないと感じない。古くから「人間原理」。その欠点は人間だけに限定している。
人がいなくても宇宙はあるという人もいるが。でもそれは生きているから感じることができる。単独で存在しているものでない。月もそう。人もそう。存在は関係性の中にある。
若者相談、朝日新聞で13年間やった。「自分探し」という言葉がある。引きこもったり自殺する人には「自分探し」がある。自分は何だろう?とのぞき込んでも深淵の中を覗くだけ。虚無。引きこもってもよい。でもその時に本を読みなどして欲しい。人生には関係性がある。

 多摩川を歩いた。コスモスが咲いている。そのコスモスも自分と不可分です。夜だってたくさんの恵みを与えています。今日、この瞬間にも世界と結びついています。
ずーっと自殺者3万人が10数年続きました。延べ40万人になります。日本は若年層の自殺者は世界でも高い。自殺者は減っているが若い人の自殺率が高い。若い人が自殺するのは自分の存在意義がわからないからかと。何のために生きているか。

 会津若松市内に映画館がない。郡山の映画館に2時間かけて行かないと見られない。
会津若松で年に1回映画を上映している。
そこに希林さんと二人で行った。映画を見た後に話をしました。
ビッグバン(宇宙のスタート)。
ビッグバンの前はどうなっているかわからない。
自分のビッグバンはあなたが生まれたとき。少なくともあなたが認識した社会はあなたとの誕生で生まれ、死ぬことで亡くなって行く。この世を皆が背負っている。皆の関係こそが存在。猫は色弱。光に鋭敏。それぞれが違う。皆が仲間なんだと。
障がい者施設で殺人がありました。障がい者のために役だちたいと思って働いたが、障がい者は役立たないと気づいて殺したとのことです。ネットではそれ支援する書き込みもあります。
今松尾芭蕉がいたら、「働きなさいよ」と言われるだけ。元禄時代に私たちが忘れてしまったことがある。障がい者も存在意味があります。

 右肩上がりの社会でないといけないと思っている。人助けしている人にそういう思いがある。そうでなくて良い。
(曖昧な個所や誤解した個所もあるかもしれません)

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