先日、夜中に「なんか映画が観たいなぁと」とふと思い立ち、Amazon Prime Videoのラインナップを眺めていたら、2019年に公開された『ある少年の告白』というタイトルに眼が止まりました。

 

確か…同性愛をテーマにした作品だったような…公開時に観たいと思っていたんだっけと気づき早速観て観ました。

 

観終わって、色々と思うところがあったので、今日は同性しか愛せない僕の、日頃感じているあれこれを聞いてください。

 

『ある少年の告白』

◎原作:ガラルド・コンリー

◎監督・脚本:ジョエル・エドガートン

◎音楽:ダニー・ベンジー、サウンダー・ジュリアンズ

◎出演:ルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、ジョエル・エドガートン、グザヴィエ・ドラン、トロイ・シヴァン

◎原題:BOY ERASED(消された少年)

◎2018年/アメリカ/115分/ユニバーサル作品

◎配給:ビターズ・エンド/パルコ

 

◎ストーリーを簡単に…。

アーカンソー州のある町に住む、牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)の一人息子として愛情を受けながら、高校生活を送るジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)。あることがきっかけで、自分は男性のことが好きだと気づいたジャレッドは、自ら家族に告白します。父親はジャレッドを矯正施設に入れることを決意し、母親は黙って決断に従うのです。

 

矯正施設で行われていたのは、同性愛を“治す”という危険なセラピーでした。自らを偽り、別人のように生きることを強いる〈口外禁止〉だというプログラム。スタッフの管理のもと、同性愛という「罪」を告白し、自らの無力さを認め、神に自分を変えるよう祈る日々…。

 

セクシャリティを変えるという出口の見えない治療は家族に何をもたらすのか…。施設に疑問を抱いたジャレッドは、遂にある行動を起こすのですが…。

 

原作は2016年に出版されたベストセラー本です。著者のガラルド・コンリーがジャレッドのモデルで、自身が受けた矯正治療の実態やこの問題に両親とどう向き合ってきたのかを書いたものです。

 

この作品を観て、信じ難い!これ実話なの?と思われる方はいるでしょうね。

 

僕なんかもう40歳を過ぎて、自分が同性愛者なんだと自覚してから随分と経ちますし、大概のことでは驚きませんが、この現代でもこの作品のようなことがまだ行われていることに、驚きよりも呆れてしまいました。

 

アメリカなどで同性愛を「治す」矯正治療が行われていることは知っていましたが、詳しい内容までは知らなかったので、今回、興味深く鑑賞させてもらいました。

 

『ある少年の告白』で描かれていたのは、同性愛および性的指向やジェンダー・アイデンティティ(自身がどの性別に属するか、同一感を持つかという感覚)を「治す」という矯正治療(コンバージョン・セラピー)です。

 

コンバージョン・セラピーとは、ひとの性的指向や性自認をヘテロセクシャル(異性愛者)、あるいはシスジェンダー(身体的性別と性自認が一致している人)の基準や規範に当てはまるように変えることを目的として実施される一連の行為で、多くは宗教的動機(神様の教え)に基づいて行われるものです。

 

同性愛者の僕でも、読んでいても、書いていてもなかなか理解できないところもありますよ。

 

治療には会話療法や電気ショック療法、LGBT(Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語)としてのアイデンティティ(「自分は自分である」という自己認識)を麻薬や酒の依存症と同じような問題として扱う手法などが用いられています。

 

会話療法など、一部はメンタルヘルス(心の健康状態)に問題を抱えた人々の治療に用いられる正当な治療法なんですが、しかし、同性愛者であることは精神疾患ではないんですけど。

 

現在、主要な精神医学専門団体はコンバージョン・セラピーをまともな治療行為と認めていないんです。この種の治療を行う人の多くは、免許を持っていないそうです。公的機関による取り締まりを何も受けずに、このような治療行為が行われているのです。これが驚きですよね。

 

アメリカのとくに保守的な地域ではいまだにコンバージョン・セラピーを行う施設が存在していて、現在、強制的にこの治療法を受けさせることを禁止する法律があるのは、 全50州のうち18の州とワシントンD.C.およびプエルトリコのみだそうです。

 

親や親族などによって強制的に専門の施設に入所させられ、数ヵ月間にわたって治療を受けさせられるケースもあるほか、自分自身に対して憎しみや嫌悪感を抱かせる治療が主であるため、治療の過程で心身を病んでしまいうつ病になってしまったり、自殺したりする若者たちが後を絶たないんです。

 

一番の理解者であってほしい親や親族などによって「強制的」に「お前は病気なんだよ」と、ある場所へ隔離されるなんて恐怖でしかないですよね。

 

かつては、精神病院へ隔離されていたんですよね。精神外科の名のもとに爆発性精神病質などの診断を受けた患者や同性愛者に対し、情動緊張や興奮などの精神障害を除去する目的で前頭葉白質を切除する手術(ロボトミー)や、化学的去勢(強制ホルモンの接種)が実施されていたんです。

 

映画「カッコーの巣の上で(1975年)」、『女優フランシス(1982年)』ではロボトミー手術を受け、廃人になる登場人物の姿が描かれていました。

 

僕は自分が同性愛者なんだと自覚した時から、そのことに対して悩んだり、後悔したり、泣いたりなんてしたことはありません。

 

先天的にあまり物事に対して思いつめるタイプではないし、仕方ないじゃない?と開き直って生きてきた様に思います。

 

けれど『同性愛は長い間、嫌悪され、タブー視され、頻繁に暴力の対象だった。』

 

というこの文章をネットで目にした時、何故か涙がこぼれてしまいました。

 

そうだよな〜。僕が同性愛者だと知れば、面と向かって痛い言葉のナイフを投げつける人はいるだろうし、汚いものでも見るような、蔑みの目で見る人もいるはずだと思えたからです。

 

ただ、恋愛の対象が同性だというだけなのに…、前回、黒人差別のことを書かせてもらいましたが、僕たちも謂われない差別をうける側なんだと気付かされました。

 

若い時には気づかなかった、見えていなかったものが、年齢を重ねると否応なしに突きつけられますね。

 

僕は周りに、カミングアウトをしているわけではありません。知っている人は数人いますが、自分から告白しようとは思ってもいませんし、多分、これからもそうです。

 

このblogの中だけです。

 

blogって僕の心の中に溜まる、モヤモヤを吐き出して軽くしてくれるツールなんです。

 

内容に対して、共感してくれる人もいれば、同性愛者だからと侮蔑的なことを言って来る人もいます。

 

まっ、色々な人がいるのが当たり前ですけど。

 

ただ、これだけは言いたいのです。『セクシャリティは誰に否定されるものでもない、性の多様性は認められなければならない』ただ、それだけのことです。

 

性的指向は、煙草やアルコール依存症や麻薬中毒などの様に、施設に入れば矯正できるものではありません。同列に扱うという考えが根本的に間違っています。

 

僕たちだって、そうなりたいと生まれてきたわけではないんです。受け入れるしかないんですよ。

 

本人の意思を尊重することなく、閉鎖的な環境で、“神様”の教えの名の下に、同性愛は間違ったものと信じ込ませようとすることが治療なわけがありません。まるでマインドコントロールです。

 

『ある少年の告白』は、実話を映画化したものですが、小難しいところはなく、主人公に共感できましたし、なかなか完成度の高い作品だったと思います。

 

監督・製作・脚本・出演までを手がけた、ジョエル・エドガートンの映画作家として卓越したセンスを感じましし、真摯に題材と向き合ってる感じがしました。監督は2作目だそうですが、劇中の矯正施設のカウンセラーも演じているのです。

 

出演している俳優が皆良かったです〜。

 

主人公の少年ジャレッドを演じたのは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で弱冠20歳にしてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたルーカス・ヘッジス。可愛かったです(笑)。心の中の激しさを持て余している内気な少年を、繊細に見事に演じていました。

 

ジャレッドの両親を演じた、ニコール・キッドマンとラッセル・クロウのお二人も見事な演技でした。さすがどちらも、アカデミー賞主演賞受賞俳優です!

 

息子への愛情と、牧師としての自身の信条・信念とのせめぎあいに苦しむ父親。息子の処遇を決めた夫に従うしかなかった母が、最後に見せた息子への愛情の深さ…。

 

ニコール・キッドマンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した『めぐりあう時間たち(2002年)』も同性しか愛せない者たちの悲しみを描いた作品でした。

 

ジャレッドをレイプしようとしたヘンリーを演じたジョー・アルウィン。『女王陛下のお気に入り』に出ていました。本作の重要なポイントになるキャラクターです。『わたしはロランス』や『たかが世界の終わり』、「Mommy/マミー」でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、監督としても熱狂的なファンを獲得しているグザヴィエ・ドラン、世界的YouTuberでもあり本作へ楽曲提供(シガー・ロスのヨンシーとのコラボ楽曲)もしたシンガーソングライターのトロイ・シヴァン、ロックバンドのレッド・チリ・ペッパーのオリジナルメンバーの1人であるフリーなど、異色の面々も揃っていました。皆さん、いい味を出してましたよ。

 

グザヴィエ・ドランとトロイ・シヴァンはゲイであることをカミングアウトしています。

 

監督・製作・脚本・出演を手がけたジョエル・エドガートンがこんなコメントをしています。

 

「彼(原作者であり劇中の主人公)に対峙する人々は、誰一人悪い人物ではない。みんながみんな、正しいことをしようとしていたのです。」と。

 

そうなんですよ〜。両親は息子のために矯正治療を勧めたのだし、矯正治療を行うカウンセラーも彼らに正しい人生を歩ませるために仕事をしていると思っているのだし、息子は両親を悲しませたくないという思いだけなんですね。

 

誰もが「悪いことをしていない」「正しいことをしているのだ」という思い込みが生んだ悲劇の様な気がします。

 

自分とは違う価値観を持った人間は理解できない、排除すべしなんていう考えはつまらないですよ。

 

多種多様な人間がいてこそ、世界は美しいんじゃない?なんて思います。

 

『人が誰を愛して生きるかはその人の自由』僕はそう思っています。

 

ありのままに、自分らしく、生きましょうよ(笑)。

 

家族なんて、完全に一つになることはないと思います。けれど、ありのままを受け止めてそれぞれが進むべき方向へ進んでいくしかない…。

 

久しぶりに、自分のアイデンティティを振り返ることが出来た作品でした。観て良かったです。