今日はちょっと僕の思い出話にお付き合いください。

 

10/21(水) のYahoo!のエンタメニュースにこんな記事がありました。

 

「ヅカの革命児」真矢ミキ、薄メイク・長髪にした真相明かす

 

真矢ミキが、10月18日放送の『おかべろ』(フジテレビ系)で、宝塚歌劇団時代の伝説を語った。

 

宝塚時代は男役で長髪に挑戦し、日本武道館でソロコンサートを開催するなど「ヅカの革命児」と呼ばれた。真矢は「男役だけど身長はあまりない。何か違う玉を持たないとダメだという危機感があった」と回想。

 

そこで一人だけ「薄メイク」にしたところ、「浮いた。めちゃめちゃ怒られた」と周囲の風当たりはきつかったが、宝塚に新風を吹き込んだ。

 

男役なのに長髪にしたことは、「5人トップがいるから、1人くらいはよくない?」という心境だったという。日本武道館でつんく♂プロデュースでソロライブをおこない、シャ乱Qの『ズルイ女』や『すみれの花咲く頃』のロックバージョンなども披露した。

 

退団後は映像の仕事を求めたが、舞台のオファーばかり。舞台仕事は断り続けたため、仕事はほぼない状態。事務所から「あなた、まだトップを引きずっている」と “戦力外” を告げられた。

 

転機となったのは、事務所移籍後に出演した映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年公開)だった。スタッフからは「大きい役だけど(役柄の)性格が悪い。やめよう」と止められたが、「これを逃したら(他の作品に)出られない」とオーディションを受けて合格。

 

男勝りな管理官役を演じ、「男の人をはねのけるくらいガツンとしていた」という。「男役をやっていたことって、何も使えない札だと思っていたけど、最終的には使えるかもしれない」と宝塚時代の経験を活かせたことを明かした。

 

宝塚の経験を活かして女優としても成功した真矢に、SNSでは絶賛の声が多数。

 

《宝塚の異端児真矢ミキさん。舞台化粧に疑問を持ち薄メイクしたら振付師に怒られた。 当時流行っていたロン毛にしたらまた怒られた。現役タカラジェンヌなのにつんくプロデュースで武道館ソロコンをしてギャルのファンが増えた》

 

《真矢ミキ意外と苦労人なんだな》

 

「真矢さんは、宝塚時代、写真家の篠山紀信氏による撮り下ろし写真集『Guy』(1997年)を発売しています。この写真集は『ふだん宝塚を見ない人でも手に取りやすいように』という思いから誕生したものです。男役ながら女性らしい姿の写真もあり、『男役の女装はNG』という当時のタブーも超えてみせました」(芸能ライター)

 

 

この記事がどうしたの?と思われるでしょうが、この記事の中にある、写真家・篠山紀信さんによる撮り下ろし写真集『Guy』(1997年)のことについて少し書いておきたいのです。

 

この写真集については過去にこのblogで書かせてもらった記憶があるのですが、久しぶりにこんな形で記事に取り上げられていたので、懐かしくなってしまったのです。

 

この写真集で真矢さんのヘアメイクを担当したのが、このblogで度々、折々、登場する僕の人生に大きな影響を与えてくれ、志半ばで病に倒れ、天に召された元彼だからです。

 

彼の名前は『横畠明(よこはたあきら)』と言います。姓名判断に凝っていて、画数の問題で『明良』と表示して(あきら)と読ませていた時期もあります。

 

彼と出会ったのが1998年の10月頃でした。

 

12月に「宇多田ヒカル」さんの1stシングル「Automatic/time will tell」が発売になり大ヒットした年です。

 

写真集『Guy』の発売が前年(1997年)で、直近の大きな仕事だったからでしょうね。出会った当初、よくこの仕事の時のことを聞かされたんです。

 

 

大変だったけれど、とても遣り甲斐のある仕事だったと興奮気味に語っていたことを覚えています。

 

真矢さんが望んでいる事、目指しているもの、トップスターとして成し遂げたい事…。

 

たくさんの想いを形にしてあげるのが、この仕事の為に集まったスタッフの使命ですからね。でも大きな壁があったんです。

 

宝塚には『すみれコード』と言う歌劇団の規範があります。

 

理念である「清く正しく美しく」にそぐわない、劇団の品格を損なったり観客の夢を壊すような内容の演出を行わないし、求めないという暗黙の原則です。

 

政治・宗教・セックス などの過激な内容は自粛されていますし、舞台では濃厚なラブシーン・下ネタ・政治表現はタブーとされています。

 

現場には、歌劇団の方もいらしてて、戦いの日々だったそうですよ〜。

 

 

でも、それらに縛られず『真矢ミキ』らしく、『真矢ミキ』にしかできない表現で今の自分を残しておきたいと言う強い想いの結晶がこの写真集なんです。

 

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、当時の真矢さんは全てを賭けてらしたんです。

 

そのスタッフの一人として、力になれたことを彼はとても喜んでいました。

 

真矢さんは今でも、女優『真矢みき』の原点はあの時のベトナムでの撮影の日々だったとおっしゃっています。

 

 

それを聞いて、彼も天国で喜んでいると思いますね。

 

この写真集の成功が『宝塚GRAPH』へとつながっていったのですから。

 

 

彼が亡くなったのが2008年。

 

彼と知り合って、愛しあえた10年間(最後の半年は入院していましたが)彼は膨大な仕事を残しました。たくさんの方を美しくすることに一生を捧げた心の綺麗な男でした。

 

のろけだと思われても構いません(笑)。

 

彼が天に召されてもう12年になります。

 

僕だっていつもいつも、死んだ彼のことばかり思い出しているわけじゃありませんよ。じゃないと新しい恋なんてできやしない(笑)。

 

でも、彼が心を込めてやり遂げた仕事の一つが、こうやって今でも誰かの心や記憶に残り、語っていただけることに感謝したいなと思います。

 

彼に代わってお礼を言いたいです。

ありがとうございます。

 

残された僕には、こんなことしかできませんしね。