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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教の勧め【22】高校時代の友人から『わかりやすい講話を進めてはいかがですか?!』とのコメントを頂きました

2020年09月16日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教の勧め【22】高校時代の友人から『わかりやすい講話を進めてはいかがですか?!』とのコメントを頂きました

早速、仏教の勧め【21】を読み返してみました、自分では最も判り易く書くように力を入れたつもりでしたが、仏教に興味のない人には,つまらない難しい文章である事が良く判りました。私の文章は仏教に相当興味の有る人でないとつまらない文章である事を痛感しました。友人にコメントのお礼を述べました処、『ご自分の成功談を載せられては』とのご指導が有りました、本当に有難いお言葉ですが、私は日本の経済学の間違いにより日本がどんどん後進国化している事について,お金やGDPやPBやMMTH(現代貨幣理論)について書いていた時のブログは日毎の平均で250人に読んで頂きましたが、仏教を書くようになって平均で120人に減少しました、仏教は確かに難しい心の問題で今日だけ今だけ金だけの時代には特に必要な事であると私が痛感し、一人でも仏教に興味を持って、ご自分が【絶対の幸福】崩れる事のない幸福になられる事、即ち世の中を明るくすることに貢献したいと思って余生を仏教について書く事に決めました。私の力で一人でも菩提心(仏教を知りたいと言う心)を起こされる事を願って書こうと思っていましたが、このこと自体が間違っているとお釈迦様も親鸞聖人も教えられて居ます、『全ての人を必ず救うと言う本願を実行できるのは全宇宙で阿弥陀仏だけである』と教えられ7千余巻のお経には一向専念無量寿仏(阿弥陀仏だけに其のお力がある)との教えだからです、仏教を聞こうと言う考えが起こるのは無常観と罪悪感であり、親鸞弟子一人も持たないと教えられて居ます。【火宅無常の世界=軒に火のついた家に住んでいる事=無常観】【煩悩具足の凡夫=欲の塊が人間である=罪悪感】に目覚めたとき人は仏教を聞こうとするのであり、人に勧められて仏教を聞こうと言う心が起きるものではないと教えられています。親鸞聖人は晩年を真の仏教を伝えるために(教行信証)(正信偈)(高僧和讃)(和讃)等沢山の文章が残されています。正信偈は全て漢文で書かれてる事に高校時代に習った漢文が懐かしく思われます。私は今後も親鸞聖人や蓮如上人の生き方を、お手本に今後はもう少し判り易く書こうと努力しますが私の力では無理ですが一生懸命書きますので今後も是非読んでご感想をお願いいたします。読者の数は今後は問題にしないつもりです、このブログは自分が親鸞聖人の猿真似をして生かされている事の証です。      合掌

 

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