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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教の勧め【21】人生の目的は【無明の闇】=【死んだらどうなるか判らない心】を解決する事です

2020年09月11日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教の勧め【21】人生の目的は【無明の闇】=死んだらどうなるか判らない心を解決する事です

私の姉(90才)との話の中で『親鸞聖人は死んだら大船に乗せて極楽に連れて行ってもらえると聞いているので何の不自由もなく安心して毎日を過ごしている』と信じて居る様でした、私は『その親鸞聖人の話は間違っているよ!死んだらではなく生きている今、大船に乗せて頂いた人だけが其の大船で極楽行きが決定するのですと親鸞聖人は教えられて居るのだよ』と言いましたら、もう歳だから難しい事は分からないし聞く耳も考える力も尽きたと申しました。兄も88才で全く姉と同じような親鸞聖人の教えを誤解しています、聞く耳も考える力も尽きたとも申しました。残念ながら間違って親鸞聖人の教えを信じているのです、私も83才で善知識から仏法を聞く機会に恵まれた身を真から幸せと思っています、2600年前の釈尊の時代から邪教が多く真の宗教を教える人もなくブッタが真の宗教を開かれたのです、人間は悪の塊であると教えられたブッタの教えは理解しようとする人が少ない事がお経にも書かれています、親鸞聖人の尊敬される7人の高僧方もその時代時代では極少数派で有った事がよく語られています、真実を聞く事は煩悩の塊である人間には難しい事なのです、人生の目的を間違えて人間が幸せに成るには世の中が進歩し便利になり長生きになり、お金や財産を沢山集める事が幸せの条件と言う人が今も昔も多くの人間の考えです。各人が自動車を持ち、今では大きなテレビでグーグルやユーチューブが即、利用でき本当に便利な世の中に成りましたが真の幸せに成ったかと言いますと全く幸せにはなっていない事に気が付きます、

人間の幸せ絶対の幸福の為には死んだらどうなるかと言う事がハッキリさせる以外にない事がよく判ります。絶対の幸福になるにはブッタの教え=親鸞聖人の教え以外には無いのです、この教えに従って一日も早く絶対の幸福に救われる為に聞法に励みましょう。真の平和で全ての人が幸せに暮らせる世の中を作る為に全ての人が絶対の幸福=変わる事のない幸福な世界を作る為に聞法しましょう         合掌


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