カテゴリー;Novel
ひと月くらい前だったろうか。
昔、一緒に働いていた人のことを口にした。
『長濱さん。今、どうしてるかな』
決して答えを聞くことのない問いかけだった。
「さあ。もう最後に会って二年くらい経つかな」
穂積遼一がそう言った。
その二年前に遼一が聞いた内容は、かなり悲しいものだった。
村崎和音の知る長濱徹は、とても恰幅のいい男性だった。スーパーで働いていた時の職場仲間で、最初から手取り足取り教えてくれた優しい人だ。偶然、遼一と同じ誕生日で年は彼の一つ上で、和音とは五年違い。店長が厳しい人だったから長濱の優しさは仕事を始めた頃の和音には救いだった。
長濱を通して、遼一も同じ店で働いたこともあった。遼一との出逢いはそこだったから。
暫くして和音は両親の介護で、昼間に働くことを諦めた。短い間だったが、その期間に長濱は転勤となり会わなくなっていた。
二年前。
遼一が会った時、恰幅のよかった長濱は見る影もなく、すっかり痩せ細っていたという。聞けば、内緒にしてと前置きされ癌だと告げられたのだと。ステージⅣ、末期だということだった。
それでも手術は成功し、職場にも戻ったという話に胸をなで下ろしたと話した。
それから忘れた頃に、どうしているかなと話すようになっていた。ひと月くらい前も、それまでの流れだったような気がする。特に意味もなく、遼一もどうしてるだろうねと返してきた。いつものように。
―長濱さん。亡くなったよ。
「え?」
珍しく遼一から電話がかかってきた。開口一番というわけでなく、取り留めのない話をした後、次の話題の一つという感じだった。
「亡くなったって。どうして分かるの」
スーパーにはもう知り合いはいない。長濱の家族とも付き合いはない。
―電話があった。少し手伝ってくれないかって。
「店長から?」
―そう。
「手伝うって、シフトに入ってくれってこと?」
―うん。コンビニ、社員になってること知らなくて月に一回でもいいから入ってくれないかって言われた。
「そっか。あの頃はバイトだったからね」
遼一は長くバイトのままコンビニで働いていた。それが昨年、コンビニの店長から社員として契約したいと申し出があったのだ。
真面目な人だ。助けて欲しいと言われた時は必ずシフトに入ってあげている。もう十年を過ぎただろうか。報われてよかったねと祝杯をあげた。
でもそのことをスーパーに知らせることはない。当然だ。長濱が転勤した後、数回行っただけで連絡はなかった筈だ。
「これまでも来て欲しいって言われてたの?」
―いや。あの頃だけだよ。急に人が辞めちゃって、どうにも回らなくなったらしいよ。
それで長濱さんのことを聞いたのね。
―こんなことでもなかったら、一生知らないままだったね。
「うん」
正直、知らないままの方がよかった。ずっと元気にしてるかなぁと話していたかった――。
翌日。
「ちょっと買い物してくるね。すぐに帰ってくるから」
介護をしてはいても寝たきりというわけではない母は、一緒に行きたがることもある。でも今日は和音が一人で出かけたかった。
夕焼け。
どこまでも赤い空。
もうお空の上に行っちゃってたのね。
転勤前、最後の仕事の日。送別会もできないからとお餞別に千円を渡した。最初は遠慮して受け取ろうとしない長濱だったが、遠慮しちゃ駄目と渡したのだった。
あの時の顔を忘れていない。
いつも頑張ってた人、お父さんの借金を代わりに返していた人。仕事を掛け持ちして結婚もできなくて、彼女もいないって笑ってた。
赤い空を背に歩いてくる人影を見る。
あの姿……。
『あれ。和音ちゃん、こんなところでどうしたの』
「それはこっちの科白だよ。ここ、うちの近所だよ」
『何か、和音ちゃんの顔を見たくなって早引けして来た』
何それって言いながら、思わず涙ぐんでいる自分がいる。遼一が来てくれて、初めて自分がどんな顔をしているかを考えた。
うん。
淋しかった。
そう。
逢いたかったね。
「ありがとう」
『買い物か』
そうだと言いつつ、何処に行くかも考えてなかった。折角、荷物持ちが来たからスーパーに行こうと赤い空に背を向けた。
二つの影が居る。腕を組むと影も腕を組む。当然だけど。
「こうしてくっ付いてると影もくっつくね」
当たり前だろうと笑う遼一に救われた――。
遼一も一緒に台所に立ち、ハンバーグを作る。鶏肉で作る我が家のハンバークは彼に言わせると、つくねじゃんとなる。いやいやハンバーグって思えばいいんだよ。
「鶏肉を丸く作ってるんだから、つくねだよ」
まあ、母の口に入ることを考えると、小さめに丸く成型する方が安心だからね。それに大根おろしでソースを作るため、よく言って和風ハンバーグということだろう。
「食べられれば、何でもいいよ」
結局、遼一のその言葉に落ち着いた。確かに美味しく食べればいいんだよね。
母は遼一を認識できない。
その場にいる優しい男の人くらいかな。和音とどんな会話をしていても理解できない。
「今夜、泊まっていって」
明日は土曜日。土日が休みの遼一はこのまま泊まったとしても困らないはず。
「うん。そのつもり」
そして語り尽くそう。
長濱さんのこと。
思い出したように、昔はこんなこともあったねと二人で話していれば供養になる。
施設にいる父も、家にいる母もまだ生きていてくれる。死は近いかもと思っていても、まだ時間は止まらない。
思い出になってしまった長濱も、忘れなければいい。
「あとで散歩しよ。コンビニにアイス買いに行こうよ」
遼一が母を寝室に連れて行きながら、そう言ってきた。
「さっきスーパーで買えばよかったのに」
「スーパーでは他のものが多くて無理だったでしょ」
確かに嗜好品を選ぶ余裕はなかったかも。
「うん。行こう。少し離れたとこのお店にしようね」
母をベッドに寝かせながら振り返ると、和音の大好きないつもの優しい微笑みが其処に在った――。
【了】 著 作:紫 草
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2019年10月小題:夕刻
※このお話は『夏だけの恋じゃない』の姉妹編となります。