詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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世に倦む日日 PCR検査へのバックラッシュ - PCR検査しない体制と国策はなお続く

2020年05月15日 | 政治
PCR検査へのバックラッシュ - PCR検査しない体制と国策はなお続く

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14日、緊急事態宣言の39県での解除の発表があり、専門家会議による説明があった。岡田晴恵や玉川徹から批判されているように、具体的な判断基準が不明瞭で、今回もまた科学的な根拠が何も示されていない。宣言解除の説明材料に持ってきた「10万人当たり0.5人」という数字も、疫学的意味や数理的内実を伴ったものではなく、政治的なさじ加減で置かれたものであることが、15日のモーニングショーの中で新聞報道を引用して解説されていた。

驚くことに、再宣言する際の目安は数字として示さないと、尾身茂が14日夜の会見で堂々と言いのけている。あれほど専門家会議の非専門性と非科学性が批判されながら、尾身茂は今回も堂々と開き直り、エビデンスは何も示さないという出鱈目で傲慢な態度を押し通してきた。今後も「総合的判断」でフリーハンドで決めると言う。4月からの国民からの轟々たる非難に対して何も反省しておらず、態度を変えていない。


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モーニングショーでも問題点として提起されているが、今回もまた、PCR検査の体制構築が対策として示されていない。検査拡充を口にしながら、専門家会議・諮問委員会・対策本部の発表の中には具体的な中身が盛り込まれていない。結局のところ、今回、尾身茂によって示された対策内容は原始的な「ハンマー・アンド・ダンス」で、感染が再燃・再拡大すれば宣言を再発出して自粛のハンマーで叩き、新規感染者を減らして行くというものである。第一波への対応と同じことを何度も繰り返すという趣旨であり、自粛すなわち都市住民の外出制限・行動制限が基本となっている。

PCR検査を増やすことで感染を抑え込もうという発想はなく、韓国方式を採り入れようという契機がない。PCR検査センター(発熱外来)を全国隅々に配置するとか、保健所と衛生研をコロナ対応の実務機構から解放するとか、そうした国民が期待する方針転換の政策課目がまるでない。この点は玉川徹らによって看破され批判されているとおりで、全く同感だ。


PCR検査へのバックラッシュ - PCR検査しない体制と国策はなお続く_c0315619_14232414.png今回、なぜPCR検査体制の整備が盛り込まれなかったのか。なぜ、専門家会議は反省の態度を示さなかったのか。そこには二つの理由と真相がある。第一は、彼ら(安倍晋三=厚労省=専門家会議)が、3月から現在までの経過と結果を感染対策の成功例として総括しているからだ。自らの対策を成功として定義しており、失敗ではないと結論しているから、方針を変える必要がないのである。その認識の根拠は死者数の少なさであり、「ジャパン・ミラクル」などと喧伝されているものである。4月以降、安倍晋三はずっと諸外国と比較しての日本の死者数の少なさを強調していて、それを自らの正当化の根拠にしている。5月に入り、発表される新規感染者数の減少傾向が明確になると共に、5chなどネットでの右翼によるPCR検査不要論が再び活発になっており、安倍晋三と専門家会議を擁護する声が喧しい。4月にはPCR検査不要論や抑制派はすっかり影を潜め、論破されて影が薄くなっていたが、またぞろ復活して3月時と同じプロパガンダを繰り返している。


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いわば、PCR検査へのバックラッシュが起きている。しかも、興味深いことに、専門家会議を美化し支持するネット右翼の声に、しばき隊活動家たちが左から唱和するという倒錯現象が生じていて、専門家会議を左右で翼賛する大政翼賛会の状況がネットで組み上がっている。そうした左右からの反動の攻勢があり、またしてもPCR検査推進論は世論上の相対化を余儀なくされ、政策的に座礁する危機に見舞われている。

数を見れば、確かに欧米先進諸国と比べて日本は死者数は少ない。死者数だけでなく感染者数も少ない。だから、その点に焦点を当てて対策の「成功」を言い上げる主張はあるだろう。しかしながら、死者数が圧倒的に少ない感染状況の一方で、各地の医療体制が実質的に崩壊し、「疑い例」の患者が救急搬送でたらい回しにされ、岡江久美子や28歳の力士が命を落として行った。名だたるブランド病院が次々と院内感染を起こして閉鎖に追い込まれ、介護崩壊の深刻な危機にも直面した。その余波は大きく、命に関わる国民生活のダメージの度は決して小さくない。


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欧米先進諸国よりも圧倒的に感染者数や死者数は少ないのに、医療崩壊の深刻度は同じレベルで、ほとんど危機一髪だったと言える。日本では、医療機関や厚生施設がPCR検査で身を守ることができなかった。医師や看護師や介護士が感染の脅威から自らを防衛することができず、ウィルスの侵攻に対して無力だった。

危機一髪で難を逃れ得たのは、ほとんど偶然の幸運に等しく、私見では小池百合子の働きが大きい。このままでは「首都封鎖」だと小池百合子が警告の一喝に出たのが3月23日で、例の3連休が明けた直後である。前にも紹介したが、2月末から続けていた禁足を解き、安倍晋三が岸田文雄と飯田橋グランドパレスの「千代田」で会食の宴に興じたのは、3連休の2日前の3月18日夜だった。

安倍晋三が率先して国民の気分を緩ませる挙に出て、3連休の油断と感染爆発に繋がる進行となる。そこを一気に引き締め直す冷や水を浴びせたのが、五輪延期決定と並行して行われた都知事会見であり、「首都封鎖」の脅し文句だったことは間違いない。小池百合子のハンマーが奏功した。


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専門家会議が開き直り、PCR検査の不作為方針を貫徹する第二の理由は、彼らが安倍晋三の方を向いて仕事しているからである。シンプルな論点だが、ここが急所だ。専門家会議は安倍晋三と一体であり、すなわち日本ではPCR検査はしないという国策方針は、安倍晋三の意思であり総理大臣の指示なのである。方向転換は安倍晋三の誤謬と否定を意味してしまう。安倍晋三が、PCR検査はしないという断固たる決意を持っていて、下僚である尾身茂や厚生官僚にその遵守を指示している。それが真実だ。

総理のオレが責任とるから構わないから最初の方針と体制で行けと命令を下している。韓国の後追いをするのが屈辱でイヤなのだろう。PCR検査しなくても、死者数が少なければいいのだ、結果オーライだという考え方があり、そこで「日本独自の対策の成功」を正当化できるという計算がある。総理のオレが責任とるからと言われると、官僚は指示に従うのであり、それがどれほど国民を傷つける国家犯罪であっても、卑劣な人権侵害であっても、平気で敢行するのである。それが今の日本だ。


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尾身茂ら専門家会議と厚生官僚は、総理大臣の安倍晋三に対して責任を果たしているのである。彼らが責任を果たす先は安倍晋三なのであり、国民ではないのだ。仕える主は安倍晋三だ。国民に対しては責任を果たすフリをするのであり、ゴマカシの詭弁で言い凌ぎ、田村憲久のようにスリカエを重ねてやり過ごし、問題が起きてないように見せかけることが国民に向けての仕事なのである。

安倍晋三のパフォーマンスと同じで、「やってる感」を演出して巧く騙すのが仕事なのだ。その責任の履行の構図は、県の保健局長と各地の保健所長と保健所の職員の業務においても相似形である。「オレが責任とるから構わないからやれ」の指揮系統の口上が言われ、免罪符が示され、相談窓口の電話に出た職員が非情に検査を拒否し、泣いて検査を懇願する発症者を拒絶し、4日ルールでたらい回しにするのだ。そこが業務上過失致死の犯行現場だ。保健所職員は、自らがBC級戦犯だということを自覚し承知している。


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だが、倫理と葛藤を欠くため、組織人(サラリーマン)として反逆せず、忠実に組織決定に従って冷酷非道な虐待業務を遂行する。保健所長や県の保健部長に対して公務の責任を果たしている。彼らの内面では、指示を遂行しただけ、上が責任をとってくれる、自分は何も悪くないと、そう自己正当化ができる。こうした逆方向の責任遂行、すなわち無責任の体系とそれが惹起する膨大な弱者の犠牲と恨み嘆きは、戦前日本と同じであり、日本の宿痾と言うべき本質的な病理の問題である。

検察庁法改正の問題も同じで、官僚が誰の方を向いて職責を果たしているかという矛盾が根本にある。責任は安倍晋三に対して負われている。安倍晋三への奉仕がネイティブな職務になっている。そのシステムが構造化し固定化して回っている。これが独裁制であり、この国の政治体制である。官僚たちは - マスコミ人もそうだが - 外面は民主制の顔をして国民の方を向き、実際の動機は独裁制の下で安倍晋三に奉仕しているのである。


そうした政治システムの国を民主主義の国と呼び、独裁政体の中国とは異なると言い、安易な二項対立を描いて満足する内田樹のような議論が、どれほど幼稚な認識と思考であることだろうか。衆愚制(オクロクラティア)と化した民主制(デモクラティア)は実質的に独裁制を機能させる。今の日本の政治システムは北朝鮮と大差ないのだ。アリストテレスの民主制=衆愚制の政治学から学んでもらいたい。


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