私の「信念」形成に「気づき」を与えてくれた英語たち その①「マナー」~私の変わらない想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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       かつて・・悩み悩んでいた時に

  私に「とてつもない気づき」を与えてくれた

        「英語(英単語)」

  その① 「マナー Manner」

        ~私の変わらない想い~   by  入道 

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   今回もさいたま市浦和そして東京秋葉原を拠点として世界への羽ばたきを

        されている私と年の離れた友達、画家の田中拓馬さん

           ご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

                拓馬さんありがとうございます。

     田中拓馬さんのwebサイトも訪ねてみていただければと思います。

 

    http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

 

                     

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

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「マナー」と言う言葉を調べてみると・・・

    マナー:行儀。作法。礼儀。        ☚ 三省堂大辞林

       :行儀。作法。態度。様子。    ☚小学館新選国語辞典

       :態度。礼儀。礼儀作法。     ☚デジタル大辞泉

       :①行儀作法。礼儀。        ☚精選版日本国語大辞典

         ある行為や事柄に関するやり方や態度

        ②風習

 

 この辞書の解説からは「気づき」をえることは全くできませんでした。

 ここからの自分なりの定義は

  マナー=その時その時で「人がとるべき「形」「容」のこと。

却って、寂しくなってしまいました。

 「自然に」ではなく私の嫌いなMUST DOの世界て゜あり、「容」「形」だけ整っていればいい、そんな気持ちにもなってしまいます。

 もちろん、華道・茶道・・・・日本の「道」の世界では「心、精神」を伴う教えであることは知ってはいるのですが・・・やはり「形」「容」を見てしまうことから入ってしまうのでは・・・

 

「マナー」。会社組織においても新入社員研修・教育の中に「マナー研修」の時間が用意されています。

●名刺の受け渡し、電話の出方・かけ方、挨拶の仕方・・・等々。

 

●私もかつて、会社所属の時代、何度もこの「マナー研修」の講師を務めたことがありました。その研修の結びとして「社会人としてのマナーをあたりまえにいつも発揮できるようにしていきましょう」「しっかりと身に着けてください」・・・「マナーです。マーナ(まぁな)ではだめですよ」なんて語っていました。

 

★今回のブログは上記した「マナー」(形・容)のことではなく、30年ほど前にほぼ2年間に渡って悩み悩んでいた時に、「私が勝手に定義づけして」から今日まである意味で私の「信念」の一つとなっている「私の想い」を記していきたいと思います。

                  ☟

           マナーとは

  礼儀作法、容・形、How Toなのではなく

         「人間力」のこと

    ~コミュニティを活き活きと楽しくさせていく原動力

     それは「ひとり一人の持つ「マナー=人間力=」の発揮

                          BY   入道

          

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

●上記の私の「想い」は今から、なんと30年ほど前になってしまいますが、ほぼ2年間、毎日毎日R事件対応に日々悩んで動いていた時に「たったひとつの英単語」が私にとてつもない「想いのヒント・気づき」を与えてくれました。

●それは「マナー」と日本語で表していた時には全く気付くことのなかったことなのですが、ある時にフッと「マナー」を英単語表記「Manner」と紙に書いたとたんに一気に「気づき」(辞書などには載っていない私独自の勝手な自己解釈です)となりました。

 

           MANNER

 

「マナー」「行儀とか作法と教えられ、私自身も正直、そう思っていました。挨拶の仕方とか、テーブルマナーとか、敬語の使い方、お辞儀の角度・・・名刺の受け渡しの仕方・・・どちらかといえば゛「こうしなければいけない」「こうあるべき」「そうしないと笑われるよ」的に子供の頃から教えられ、私もそう生きてきていました。

 

★でも!!!悩み悩んでいた時に「MANNER」と紙に書いてこの単語にぶち当たった瞬間に私の心に感じました。

 

MANNERと言う単語、MANNERと言う英語はものすごい!!!

 

●その時に私が心の中で行っていた作業?はものすごく単純なこと。

 

●今でも、私が習慣的に行っていることでもありますし、次回以降、何回かに分けて書こうと思っている「気づきをくれた言葉たち」も同じ作業気づいたことです。

 

◆今でも・・・私が習慣的にやっている私の「癖」??それは「数式化」あるいは「定義の数式化」とでもいえるのかなと思っています。

定義づけしたい言葉を、対象を「数式の左辺」において、「その定義゛は」と思うことを「数式の右辺」においていき、その二つを「=(イコール)」でつなぎます。つなぐだけです。

 

★この私の勝手なやりかたで「MANNER」と言う言葉を「定義づけ」(まさに私の勝手な勝手な定義づけです。辞書などには頼りません)してみたのが下記となります。

★この定義づけをした時・・・・私自身妙な表現なのですが「感動を覚え身震い」していました。

 

 マナー=MANNER=MAN+(N)ER

            (N)は発音上子音を重ねている

      ERは英動詞につけて「・・・する人」となる言葉。

               ☟

 

マナー、mannerは礼儀とか作法・・HOW Toなんかではなくて

    「人間をする人」

「人間らしい動きをする人」のこと・・・

   「人間力」のことなんだ!!!! by 入道

         

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「MAN」は「ヒト」「人間」。「ER」は英語の動詞に付けると「~する人」となる言葉。Player・Golfer・Runner・・・・・・・・。

 

★これだけで私自身が2年に渡って考え悩んで探し求めていた「答え」が一挙に解決されました。

・Manは動詞ではないので文法的におかしいのでは・・けそんなことは全く関係ありません。気にすることなし、なのです。

 

★「自分がそう想う」これが「正解」なのです。

 

「マナー」とは「人間をする人」「人間らしくを物差しに動く人」「人間をしているヒト」!!!!

         スゴイ・・・すごい・・・・・凄い・・・・

 

★でも・・・では「人間をするって」何なのでしょうか。

 

★ここで先と同じように「人間」に対しての「自分での定義づけ」が必要になります。

 

★これも・・・辞書あるいは諸先輩に答えを求めるのではなく自分で徹底的に考え続けました。

 

●そして・・・行き着いたのがこれもものすごく単純!!!

 

●そうだ、「人間って動物」しかも「単体では生存確率のとっても低い弱い弱い動物」「他の肉食動物に食べられてしまう存在」なんだよな、との想いに至り、それが今でも私の「信念」の「柱」となっています。

 

●この思考過程で更に疑問が出てきました。

「ヒトと人間」何が違うのでしょうか人間・・・私たち両方、使っていますがきちんと意味付けして使っているのでしょうか!??

 

●習いました。『ヒトはホモサピエンス』。「知恵あるヒト」。

ここからまた単純な「想い」が生まれました。

 

困ったとき、困った状況に直面した時に「知恵を出して乗り越えていくのがヒト」。

  「困難直面の時に知恵をださないのはヒト・人ではない」!!!

 

★では???その「知恵」はどこから出でくるのか!!??

 

★ちょっとだけ書籍に頼りました。その学習過程で動物の「習性」や「行動」は「3つに分けられる」との説明に出会うことができました。

  ①  本能行動

  ②  学習行動

  ③  知能行動

 

★感じとりました。感じ取らせていたたきました。

  現代のヒト・人においては「本能行動」はほとんどみられず

  「学習行動」と「知能行動」が特に発達してしまっている。

    ⇒だからこそ「正しい人間教育」が必要!!

      正しい人間教育が必要なのに現実は・・・寂しい!!

 

本来の人の行動は

  ①⇒②⇒③なのに現実、現在では・・

           誤った  ②⇒③

   なぜに誤った、と言えるのか?それは

   大事な土台「本能」=「ヒト・人」がない!!!!!!!!

 

★現代人は動物としての「ヒト」「人」が「本能的に持っている」「優しさ」を後ろに追いやってしまっている!!!!!!!!!!

             私の想いです。

 

学習そして知能「ヒトとヒトとの「間」で生活をして、生活を通して産まれてきたものであるなら問題はない」と思います。でも・・・

「実体験からではない」「学習目的を誤ったバーチャルな学習」と、そこから身についてしまった「誤った知識」。そしてそれを諫めることをしない、諫めることができない大人たちの現代社会・・・。

 

「動物としての「本能」に戻ろう」「動物としての「本能」に戻りませんか」!!

 

単体、一人では生きていくことのできない弱い弱い動物としての「ヒト

の本能をきちんと認識して発揮させていけるような社会にしていきたい」・・そんな想いにもなっています。

 

ヒトの持つ「本能力」こそが「人間力」なんだと感じています。

 

●ヒトの「本能」。前記していますが私の勝手な定義づけを改めて記します。

    「 ヒトは自分一人(単体)では生を重ねていくことのできない

           弱い弱い動物」なのですから

        「生」を重ねていくには「仲間と一緒に生きて」

         「助け合って生きていく」ことになるはず

            私はそう想い続けています。

 

★「助け合って、助け助けられて」。

   これこそが「人間力」の「根本」の「優しさ」なのだと思うのです。

  これが私のもう変わることない想い、「信念」なのです。

                 

  もう20年以上使い続けている・・ちょっと長い私のメール署名です。

 

●では・・・「優しさ」とは何なのでしょうか。

これも正しい、正しくないなんて関係ありません。自分がどう想うか、でいいのです。

 

「優しさ」。私の行き着いている「想い」を記します。

 

  優しさ=(自分以外の存在を)守ろうとする力

 この動き・・・他の動物たちにもみられる動きですが、私は「人間固有?の特徴」が2つあるのでは、と想い続けています。それは

  ①自分以外の存在の「心の状態を感じようとする」動き。

  ②自分以外の存在の「今の心の状態を感じとれる力」を持っている

 

★こう考えていきますと「優しさ」とは「感性」あるいは「思いやり」「仁」「礼」「義」・・・・これらの「力」を発揮して「優しい」動きをしていく、していけるのだと思うのです。

 

●自分以外の人が言葉だけでなく、言葉なくとも・・・手の上げ下げ、方の上下、眼の動き、脚の組み換え・・・・相手の人のあらゆる身体個所の様子、変化から「どうして欲しいのか」の「心」を感じとることができる、のです。私たち、人間は。

 

★そしてその「力」こそ「MANNER」「人間力」なのでは・・。私の定義です。

       MANNER=MAN+ER
            =ヒトをする人 

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

         今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                  ありがとうございます。

     「人間力」、本当にこんな「力」「言葉」があるのかは関係ありません

                        でも・・・

  私たちは「群れ・集団」を形成して=「社会」でしか生きていくことのできない

           弱い弱い動物、生き物、『ヒト』なんです。

 

             とてつもなく長い時間と技術革新が

利便性とは裏腹に人間に与えてしまった「大きな誤解」(一人で勝手にいける)を

                   解きほぐして

     ひとり一人が改めて「人間(社会に生きるヒトby入道)」として

          考え動いていくことが必要だと感じています。

                

)   ありがとうございます。にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)