コロナ・・別角度から考えてみる。コロナは地球環境の悪化が創り出したもの?~私の想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

<<ブログ 307>>

 

             新型コロナウイルスを

   「自然から産まれたもの」と単純に考えて想うこと

 

 今、私たち地球人全員を脅威に陥れている

       新型コロナウイルスは

            私たち

「人間の今までの自分たちの動きの蓄積」が

 新型コロナウイルス発生可能な環境を

創り出してしまったことから産まれたのでは?

(コロナウイルスにとっては「いい環境」=地球上の「生き物」にとっては良くない状況)

                   

新型コロナウイルスを誕生させたのは人間?

                   

現代を生きている私たちの生き方(働き方)を

     変えていく機会なのでは

                 ⇩

  美しい豊かな地球環境を取り戻して

  「未来人の人たち」に引き継いでいく

   これが私たちの責務なのでは!?

        ~私の想い~      by  入道

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          今回も私のちょっとだけ歳の離れた友達

     秋葉原と浦和を基地として世界への羽ばたきをされている

    画家の田中拓馬さんが素敵な挿絵を画いてくださいました。
       

          拓馬さん、ありがとうございます。

    田中拓馬さんのウエブサイトも訪ねていただければと思います。

      http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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  新型コロナウイルスはなぜに2019年末~2020年初に

             産まれたのだろうか

新型コロナウイルスも地球に産まれたもの、と位置付ける

単純に次のように考えることができるのではないでしょうか。

 

   永い永い地球時間の下で「これまでは新型コロナウイルス」は

   存在してはいなかった

    ⇓

   2019年末から2020年初にかけて「発生」しそして「勢いを

   増して」今、全地球上に存在

    ⇓

   なんで今になって!???

    ⇓

   地球環境・自然環境が「新型コロナウイルス」にとって

   「いい環境」になってきたから産まれそして全世界、

   全地球上で勢いを増すことができた!!

    ⇓  ⇑

   それまで(~2019年まで)は「存在することができなかった」

    ⇓

   おそらく・・・・「ある時に一気に発生」したのではなく地球時間での

   「ここ直近」で「徐々に「発生」したものなのではないのだろうか。

    ⇓

   「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽・・

   「もともとの美しい豊かな地球環境」下では、

   新型コロナは誕生することさえできなかった

    ⇓

    自然環境の悪化、地球環境の悪化

    ⇓

   「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽光     

   私たち「にんげん」がこの地球上に誕生してきた「源」でもある

   大切な大切な「地球資産」「自然資産」を「にんげん」、自分たち  

   が、自分たちで悪化(環境破壊)させてきてしまっている

    ⇓

   「文明」そして「豊かさ追求」の名の下での自然破壊・環境破壊

   の継続

    

   人間を初めとして地球に産まれた「生き物たち全て」にとって好ま

   しくない状況

      「汚れた空気」「汚い水」そして「熱い陽光」

    ⇓

   新型コロナウイルスにとって「好ましい状況」「新型ウイルス

   が産まれる環境」になってしまった、「(人間が)してしまった」が

   故に、新型コロナウイルスは地球上に出現して「人間にとりつき」

   (感染)、たくさんの人たちの「命」を奪ってきている

         ⇓

   にんげんは地球環境の守り人(前回のブログ306参照)

   なのに!!

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●私は生きて行く時、仕事をしていく時そして経営していく時に「変わらない一つの『ものさし』」を持っています。

●その「ものさし」は、いつもいつもにんげんとしての『あたりまえ』」の「ものさし」です。

●この「ものさし」は、これまでもたくさん私のブログに書いてきている「変わることのない想い」=「信念」です。

 

★人間としての「あたりまえのものさし」。私の想いの結論だけを記します。

★「あたりまえのものさし」それは「助け助けられ」でありべつの言葉で言い表しますと「やさしさ(優しさ)です。

 

◆人間が仲間(自分以外の人間)と一緒に「生きていく」「人間社会」の「あたりまえ」、それは「やさしさ」であり、人間は生まれながらに持っているもの、だと私は信じているのですが、どうして人間はその「やさしさ」をどこに置き忘れてきてしまったのでしょうか。

 

◆探しにいこうよ、取り戻そうよ、取り戻さなければ絶対に「いけない」と思うのです。「人間がきっと本能として持っている『やさしさ』」を!!

 

●私は「にんげんが生きていくにあたっての心配がなくなった先進国と言われる国の「身勝手」な人間たちが「本来あるべき産業形態を飛び越えてしまった、大きく大きく変えてしまった」(=ものさしの目盛りを変えてしまった)ことで「やさしさ」を置き忘れてきてしまった」、そう感じています。

 

産業・経済は「ひとが社会と言う群れ・集団で生きていく(=生活していく)ための「支え」となる動き」である、これが私の勝手な自己定義です。

 

★私の「造語」で恐縮ですが「産業は『生業』であるべき」、そう想うのです。

生業」とは「ひとが生きていくために必要な仕事」「生活に関わるものであること」、「生活産業」「生活経済なのだと思います。

 

●産業革命、文明の発達、利便性追求等の言葉の「裏」で、いつしか人間は「生きていくこと一生懸命になる必要がなくなり」、(先進国の)人間は「身勝手な人間」「自分が良ければのにんげん」にいつの間にか変わってきてしまった、そう想うのです。私たち、日本人も当然にここに入ります)

 

●19世紀から20世紀・・・・「技術革新」の言葉で代表される「人間の『賢さ』」で私たち人間は「物的豊かさ」を追求し続け享受し続けてきています。

 

●でも・・・それが「生きるために」からいつの間にか「際限なき貯めこみ」なってきてもしまった、のです。

 (賢さの追求が人間から「やさしさ」を奪ってきている、のでは)

 

●そんな人間の「心の変化」が「産業の変化」「経済の変化」「ビジネスの変化」の変化となり、20世紀の後半には人間が「頭かしこさ」で創り出した欲望経済(みんなで、ではなく「自分だけ」そして「際限なく」)主流の世の中となってしまい、その結果、「勝ち組」と「負け組」を明確に分類するような地球社会(国際的にも、そして一国の中でも)になってきてしまっています。

          

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そんな「動き」に拍車をかけたのが、今も拍車をかけているのは「人間の『頭(かしこさ)』が創り出した『金融ゲーム』(私の勝手な言い方で恐縮です)である、と私は思っています。

 

●「生活産業」育成のための「金融ビジネス」は必要な領域、実需の領域(=生業)なのですから否定はいたしません、必要なビジネスです。

 

★私が否定的なのは、「なくてもいい」「なくした方がいい」と想い続けているのは「投機的な金融ビジネス」(一瞬にしてどでかい金額を手に。長期育成視点での「投資」ではありません)です。表現を変えると「コンピュータと通信技術がなければできない(金融)ビジネス」となります。(私の感覚では実のビジネスなのではなくバーチャルな世界、ゲームの世界・・・バーチャルビジネス

 

★そして、投機経済の勢いを増した、増しているのは「オイルマネー」、そう思います。

 

★全世界がエネルギーとしての石油そして石油製品を使い続けていることで産油国が得られてる博大な莫大な金額のお金・・。

 

★そして・・・人間が発明した「コンピュータと通信技術」がなかったら、今の国際金融ゲームビジネスはできません。できない、のです。

 

★単純に・・・勝グループだけでは投機的金融ビジネスは成り立ちません。どこかに「負けている」グループの存在が必要です。

 

★他人を「負かして(やっつけて)」自分が「勝つ」・・・コンピュータゲームの世界と同じと感じてなりません。

          

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

★そして、そんなマネーゲームの「対」として永い永い時間で蓄積されていたのが「地球環境破壊」「自然環境破壊」である、そう想うのです。

 

欲望産業・欲望経済がなくとも人間は生きていくことができます。生活していけます。

 

●なので・・・私はこのようなコンピュータと通信技術がなければ存在しえない「投機的ビジネス」「バーチャルゲーム的ビジネス」は絶対に「生業」ではない、と想い続けています。

 

「欲望経済」「ゲーム経済」を捨てて、「実経済」「生活産業」に改めて転じていく、この動きそしてこの転換が「にんげん本来の『やさしさ』回帰」、更に「地球環境」「自然環境」復活の入り口なのではないのかな、と感じています。

 

21世紀、「これから」を「やさしい時代」にしていき「未来の地球人」の人たちに「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽光」の地球を引き渡していくことが「今を生きている私たち『大人』の役割」「今を生きていく私たち大人の責任」なのではないのでしょか!

そう思います。

 

★永い永い時間での中で、ですが「人間が変えちゃった、変っちゃった」・・・・それだけなのですから「にんげん本来の『やさしさ』」に戻りさえすれば人間誕生の「母体」である「美しい豊かな地球環境」「美しい豊かな自然環境」を取り戻していくことは絶対にできる、そうもおもいます。

 

●現実・・・・・コロナによる全世界的な「Stay Home」「通勤自粛」「外出自粛」のほぼ2カ月の「動き方の変化」で「空気」「海」「河川」等々の地球環境・自然環境はきれいになってきているのですから。

 

で難しく賢く考えるのはやめて、「心」を使って「人間としての『あたりまえ』」に立ち還りましょう!!!

 

★     みんなで

  「にんげんしましょう!!」

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます

 

     なかなか出口のみえない新型コロナウイルス感染対応

         ワクチン開発あるいは治療薬の開発などの

            動きに注目が集まっていますが

           ワクチン、薬が開発されたとしても・・・

          この新型コロナの後、例えば50年後

     さらに更に汚れた地球環境・自然環境となっていけば

                 きっときっと

         今のコロナよりももっと強烈、強いウイルスが

                 人間を襲う・・

              そんな気がしています

 

                    根本・・・

    地球環境、自然環境の改善、回復が大事なのではないのか

          別の角度からコロナを考えていきつきました。

 

                ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)