今年の全日本選手権は、当初、新潟での開催予定でしたが、地球規模の未曾有のコロナ禍の影響で延期。
Jシリーズも次々にキャンセルとなり、BMXレース自体イベントが皆無という状態に陥りました。

が、なんとなんと、そんな中でも、全日本選手権は、大阪の大泉緑地公園で10/25に開催されました!

今年、公式戦初レース!!!

イチロは6度目の挑戦です。

過去5年間の戦績は、

2015 茨城7位
2016 大阪 優勝
2017 伊豆 準決敗退
2018 茨城 6位
2019 広島 予選敗退

とまあ、4年前の優勝以来、全日本はおろか、Jシリーズを含めても表彰台から遠ざかっています。

語りたい事は山程ありますが、まずは今回の結果をご報告いたします。

予選 3-3-3
準決 1
決勝 3

で、なんとなんとなんと4年ぶりの表彰台です!!!

毎年のように、悔しさで号泣はしてますが、とうとう帰ってきしたリアル嬉し泣き!!!




まずは見てやってください。
JCFの超かっちょいい公式動画を。




コロナ禍の開催のため、入場制限があり、満足に写真や動画を撮る事も、表彰式に参加する事もできませんでしたが、公式動画でしっかり見れました。感動〜。永久保存版でしょ〜。

写真もTakao Fukudaさんがしっかりパシャリ!
View this post on Instagram

全日本選手権2020 @tara.fff

A post shared by @ ichiro51bmx on



いっちゃん、ようやった!!!
泣け、泣きまくれ!
って、30分はちょっち、泣きすぎかな…。

■謝辞
コロナ禍の最中、いろいろな困難を乗り越えて、世界レベルの大会を開催してくれた、大会実行委員の皆様に最大級の感謝。

介護関係の仕事していてなかなか外出できないのに、応援にかけつけてくれたじぃばぁに感謝。

JCF実行委員でもあり、ドゥールースエリートチームのコーチでもあるGANさんに感謝

一年半にわたって毎週毎週指導してくれたユータ先生に感謝。

膝痛に付き合ってくれたしんえい接骨院、肉体改造のためにパーソナルトレーニングしてくれたおおえのき接骨院に感謝。

半年に2度も決戦ホイールを組んでくれたオガワサイクルに感謝。



BMXレースが大好きなすべての人に感謝。

ここからは、あとがきという事で、思い出せる限りのエピソードをつらつらと書き残しておこうと思います。長文駄文で失礼します。

■号泣
毎年号泣してた頃くらべると、さすがに頻度は減りましたが、相変わらず事あるごとに号泣するイチロ。
最近は、うまくいかなくて泣いてる事が多かったけれど、今回は久しぶりの嬉し泣き。懐かしい。

大会前日の深夜にモトシートが発表され、冗談を超える激戦モトにイチロが入った事が判明。思わずホテルの一室で絶叫してしまいましたが、翌日、機を見て恐る恐るイチロに伝えると、ただえさえ、緊張してるところに…。イチロフリーズ…。

という事で、予選からナメナメ走法炸裂。
あれだけレースシミュレーションで、こなしをしっかりする練習してきたけどリセットされました(苦笑)
まあ、これは直前の転倒と影響してるので、詳しくは別のエピソードで。

ほぼほぼ決勝メンバーだったので、予選を無事に3位で通過できた事に、本人も、私もほっと一息。

逆に、準決勝はだいぶリラックスして望めた感じでしたが、想定外のホールショート獲ってしまい…。
これまた必死のナメナメ走法(苦笑)

しかも最速タイムだったらしく、なんとなんとなんとなんと準決勝を奇跡の一位通過!!!

この時点で、私はすでに涙腺緩む緩む。

イチロは、カッチンコッチンに固まる固まる。
ゲートを自由に選べる権利を得てしまったがためにライバル達に挟み撃ちなるイメージしか浮かばず…。

召集場所でも、緊張で不動。でもまあ、よくよく見るとすべてのライダーが異常な緊張感に包まれていましたね。

決勝は、予定通り挟まれて、いつもならチーンになるところでしたが、ここからはBプラン発動。いつものイチロと違うのは、ベストじゃなかった場合でも、どうするか考えることができるようになった事。徹底してインラインを死守する作戦で、第一バームの入り口でしっかり3位のポジションを死守。
そっから過去最高の死ぬ気ナメナメ走法で、ゴール!
自称ナメナメ走法最速ラップを記録し、3位表彰台!!!

ここで、私は、コースから退出通路へ出迎えに。
決勝が続いてるせいか人少なく、しかも、表彰された三人で出てくるかともおいきや、イチロが一人で出てきた。声をかけると、すでに泣きじゃくりで、私ももらい泣き。誰も見てないので、よけ〜に激しく号泣。
無理やりにメダルを見せて貰ってパシャリしたのが冒頭の写真。

で、そのあとは、一人、テントに戻って、ママの出迎えで、再び号泣。決勝で盛り上がる会場をよそにしばらく泣き続けるというイチロファミリーでした。

あとで、イチロにどっから泣いてのか聞いたら、

『パパの顔が見えたら涙が出てきた』

っていうもんだから、再び私が号泣です。

男は泣くな、と、よくいいますが、「悔しかったら泣け、でも、嬉しかったらもっと泣け!」を渡邉家の家訓とします。

■目標
今年度の目標。

「表彰台」


コロナ禍で一発勝負となりましたが、達成!!!

イチロの仕上げも、マシンの仕上げもひと苦労。

マシンはJシリーズ開幕にあわせて、ホイールを新規に組みましたが、一戦も使うことなく解体。
コロナ禍も想定外でしたが、成長期も想定外。
expertで全日本に望むつもりが、延期と成長期が重なり、160cm近くまで急成長し、声もおっさん化。
とてもexpertでは窮屈すぎてどうにもならず、急遽、proフレームを入手し、来年用に集めていたパーツと、今年用決戦ホイールも組み直し、マシン一新!


慣れるのに数ヶ月を要しましたが、慣れてしまえば、proのが走る走る。

全日本に向けていい仕上がりになってきた二週間前の笠岡。


最終ストレートのキャメルで飛び乗りでゲシってボトムに落下。右足付け根をハンドルで強打しチーン…。


運良く骨には異常がなかったものの、しばらく痛みで運動できなかったせいで、右脚の太ももやふくらはぎの張りが引かないわ、風邪ひいて熱が出るわで、満足に走れないままに当日迎えるという…。


そんなこんなもあって、本人は練習の成果も捨てて、超必死のナメナメ走法に徹する選択をしたのです。

やっぱりフルコース走ると右脚が棒になるようで、レースが進むにつれて、スタートヒルタイムがどんどん遅くなるという状態でしたが、ラップタイムはどんどん上がっていくというど根性を見せて、


今回の結果に繋がりました。

4年前からの前の2年間は膝痛に苦しみ、後の2年は結果が出ない事に苦しみ、その苦労を知ってるだけに、嬉し泣きの気持ちはすごく分かる。

振り返ってみれば、膝痛でほんと引退も考えたし、思いっきり走りたいのに、思いっきり走れないもどかしさもあったけど、体つくりや食事の大切さを知る事ができたし、

結果で出なくて、私も何もBMXについて助言できなくと途方にくれてたけど、原点であるgonzo parkで基礎スキルや取り組み方を学ぶことができたし、

心身ともにいい成長ができた4年でもありました。

全日本に引き続き、Jシリーズも岡山大会は開催される事に決まりましたし、引き続き次の目標に向けて応援していきたいと思います。

ではまた。