お棺が閉じられて、男たちがお棺を持って車に乗せる。
車が出るのを見送り、火葬の式場へ各々の車で向かう。
いよいよ、身体が天に還るのか。
しみじみとした気持ちで一連の流れを見ていた。
棺が中に入り、扉が閉まる。
胸が締め付けられた。
お骨になるまで、一時間くらい。
その間の会食。
そんな強制的に取らされる時間が、遺族にとって必要な気がした。
会食が済んで、支払いとか、位牌はどれにするとか、仏壇は、とか、そういった現実的なことをこなすことも、気持ち的に必要なことなのかもと思いながら、きょうだい皆集まって話し合いながら進めていった。
ちけもバギーに乗りながら、代わる代わる面倒を見てもらっていて、大人しく過ごしていた。
お骨は、とても良い形で残っていた。
実父、そして叔父と、立て続けに亡くして、それぞれの葬儀に参列してきたけど、ここまで綺麗に形が残っていた記憶はない。
葬儀で皆が不思議なくらい和気藹々としているのも、お骨が綺麗に残っているのも、何だか義母が穏やかな気持ちで最期を迎えたという証のような気がした。
実父も、叔父も、最期の時まで、もう何年も会わず交流もなかったのに、葬儀の時は何故か悲しくて涙が止まらなかった。
義母の方が頻繁に会っていたし、尊敬していたし、大好きだったから、別れが辛くて悲しいのに、涙は出なかった。
もしかしたら、亡くなった人の悲しみとか、悔しさとか、苦しさのようなものを遺族が感じている、ということも、あるのかもしれない、と思った。
火葬式担当の女性が、お骨を壺に入れ、最後の最後にトレイに残った灰の粉までも、注意深く集めて入れるのを見守る。
何か一緒に入れたものの色が移ったらしいのだけれど、頭の骨がエメラルドグリーンやピンクの宝石のような色に変わっているのをみんなで不思議がった。
葬儀が終わると、卒業式のあとのような雰囲気で、それぞれの土地へと解散した。
九州の義妹も、最期の病院での時間を過ごしたあと、一度帰って、また葬儀前の儀式から葬儀が終わるギリギリの時間までいることが出来た。
さいたまの親戚も同様に。
そして、私も何故かぽっかりと予定が空いていて、全て立ち会うことが出来た。
近くに住んでいるほかの義きょうだいたちも。
子どもたちも、夏休みでなければ、これほど最期の時を一緒に過ごすことは叶わなかっただろう。
うちのダンナだけは、喪主なのに、相変わらず仕事で儀式に遅れたりしていたけれど、彼は義母との不思議な繋がりがあるから、これで良かったんだろうと思った。
続く。