緊急手術でした 検体画像あり… | 地震大国に住む神やんの考察

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母親の住む実家と父の眠る墓地が千葉の海沿いの町にある為に、次におこる「房総沖巨大地震」を予測する為日々危機感を持って精度を高めるべく切磋琢磨しております。

こんにちは。 (*^・ェ・)ノ 神やんです。

 

 


いつも「いいね」や「ペタ」、コメントを頂きましてありがとうございます。<(_ _*)>

 

 

 

随分と間が空いてしまいました。

 

 

 

結局入院8日目の朝、先生の回診で検査結果が芳しくないのでその日の夜に緊急手術と言われ、ほぼ心の準備もないまま初めての手術台へ上がることになりました。

 

 

 

両手、両足を30㎝幅くらいのマジックテープのようなもので手術台へ固定されたときに、初めて恐怖を感じました。滝汗

 

 

 

計測器の端子を体の各部に取り付けられ、酸素マスクのようなものを装着されました。

 

 

 

「今から麻酔のガスを流しますから、3回大きく呼吸すると意識が無くなります。いち、にぃ、さん。」と麻酔医から言われたのですが、3回吸っても意識があったので、慌てて追加で2呼吸したら意識を失いました。 (;´▽`A``

 

 

 

その後意識が戻った時には既に手術が終わっていました。

 

 

 

手術中は強制的に体温を下げていた為、震えるような寒さでした。

 

 

 

朦朧とした意識の中で、S女医さんから「終わりましたよ。」と声をかけられたので、「ありがとうございました。今何時ですか?」と擦れる声で問いかけました。

 

 

 

S女医さんは「予定よりだいぶ時間がかかったのでもうすぐ22:30です。」と教えてくれました。

 

 

 

それを聞いて「遅くまでありがとうございました、これからゆっくりとお酒でも呑んで休んでください。」と意味不明なことを言ったことまでは覚えています。

 

 

 

後で聞いた話では、手術が遅くなってしまったため、S女医さんは当直勤務となってお酒どころではなかったそうです。爆  笑

 

 

 

 

取り除かれた検体(ぼかしを入れてます)  通常は2~3㎝のものが12センチまで肥大

 

 

 

その晩、麻酔が切れた後は20~30秒おき位に鉛筆を腹に突き刺されたような鋭い痛みに襲われ、ナースコールで痛み止めの点滴を6時間おきに交換してもらいましたが、痛み止めが効いてくるまでに30分くらいかかり、痛み止めが効いている時間が2時間半程度だったので、残りの3時間強はこの痛みに耐えていなければなりませんでした。

 

 

 

結局痛み止めの投与は3日間続き、熱と嘔吐に悩まされました。

 

 

 

腹筋を右半分切開されていた為、吐くたびに気の遠くなるような痛みが追加で襲ってくるので意識とは無関係に涙が出て止まりませんでした。 (TmT)

 

 

 

術後4日目となると、断続的な鋭い痛みに代わって連続したやや強い痛みとなりました。

 

 

 

痛み止めの副作用による強い吐き気が辛いため、この日を境に痛み止めの点滴を中止してもらい、この痛みと付き合っていく決心をしました。

 

 

そこへ追い打ちをかけるように定期検査の結果で、腸閉塞の合併症が出ているとの事。えーん

 

 

 

栄養剤や抗生物質の点滴とは別に、腸の働きを活発にする点滴も追加されました。

 

 

 

この点滴により今度は昼夜を問わず、1時間おきに下痢に襲われました。

 

 

 

既に食事は5日間取らずに点滴生活だったので、便は出ずに緑色の液体が常に出ていました。ガーン

 

 

 

痛みと副作用が弱まるまでに、更に1週間を要し、22日後の先日退院することが出来ました。

 

 

 

まだ、傷や腹筋の具合が完治しておらず、もう少し休みながら体力の復帰を重点に置いていきます。

 

 

 

徐々に地震関連のデータ収集も再開していこうと思っています。

 

 

 

この間に皆様よりコメントをいたきまして、ありがとうございました。

 

 

 

これからも何卒、よろしくお願いいたします。 m(_ _)m