以前に予告していたシリーズ、ようやく始動。
大体が全5回以内で収まるくらいのボリュームだと思います。
小松未歩の時のように話がすぐに脱線してしまう私の癖(?)もかなり抑えてスピーディーに進めていく予定。あくまで予定(笑)

ここで一つお詫びを。
お知らせの時点では『avex系』と括っていたのですが、

そもそもシリーズ初回予定の華原朋美はavexじゃありませんでした。
私の完全なる勘違い。申し訳ありません。

という事で、『avex系』を『90's』としてちょっとゾーンを広げたシリーズにしてみたいと思います。
お知らせの回もちゃんと訂正しました。

では、改めて本題に入りたいと思います。

90's女性歌手シリーズ第1弾

華原朋美

まぁ、パーソナルデータ的な部分はいつものように某事典サイトにお任せするとして、
元々は1992、93年辺りからモデルやグラビアアイドルとして芸能活動をスタートしたわけですよね。
いくつかの名前を経て、『華原朋美』となる直近までは『遠峯ありさ』という芸名で活動していたと。
そんな時に、小室さんが遠峯をテレビで見ていて「会いたい!」となり、

関係者を介して実際に会って、ほどなく交際に発展。

会いたいと思ったら会えちゃう小室さんの力も凄いよね。

で、遠峯の歌声を聴いた小室さんは「これはイケる!」と直感的に感じて、

すぐさま歌手デビュー決定。
なので、小室さんの私情ガッツリ込み込みで自分の恋人を歌手デビューさせるという、
結構強引で、ある種の暴挙的始まりだったんですよね。

これ以後、こんなパターンあるんでしょうか?
いや、これ以前にもこんな露骨な出方はほとんど見聞きしない。

ただ、90年代の女性歌手って前歴のある転向組が結構多いのが

一つの特徴だったかもしれませんね。
特に、avex系とビーイング系はこの流れが実は多い。
avexだと筆頭はもちろん浜崎あゆみ。最近は、音楽活動外でのお騒がせばっかりの残念な人になっちゃったね。
hitomiや持田香織も前歴がありますよね。(※hitomiは華原の次に取り上げる予定)
ビーイング系の筆頭はZARDの坂井泉水。前歴の話題になると、岡本夏生がしゃしゃり出てくる事を坂井はどう思っていたのでしょうね?
坂井の他にも何名も女性歌手がデビューしましたけど、ビーイングではZARDに続くヒット歌手を中々生み出せませんでしたね。
それと何の告知も無くいつの間にか切られているパターンが多く、幻の歌手化しているケースが多い。
因みに、大黒摩季は最初から歌手スタートですので同じ括りに入れちゃダメですよ!(笑)


1995年。事務所移籍と共に遂に『華原朋美』に改名。
”朋美”は本名。”華原”が芸名なわけですが、イニシャルが小室さんと同じ「T.K」になるという気持ち悪い狙いが(笑)

1st Single:keep yourself alive
 

1995年9月8日発売

小室さんがテレビで華原を発見してから1年半足らずでCDデビューまで漕ぎ付けちゃいました。
小室さんが立ち上げたレーベルである「ORUMOK RECORDS」からの

第1弾シングルとしてリリース。
もちろん、小室さん専用レーベルであり、

結局これも華原の為に立ち上げた意味合いって絶対にありますよね。
他に所属したアーティストでは『dos』

テレ東系の番組『ASAYAN』から誕生した小室さんプロデュースの3人グループ。
今では、KABA.ちゃんが所属していたグループと言った方が通じるのかな?
加えると、後に小室さんと『Kiss Distination』というユニットで活動したり、挙句デキ婚した女性も所属していたという何とも濃度の濃いグループでもありました。
結果的に、ボーカルだったtaecoが一番存在感薄くなっちゃって…今何してるんだろう?
因みに、「ORUMOK」は”小室”をローマ字表記にして逆さ読みにしたもの。

で、これはレーベルってことでその上にレコード会社があるわけですが、

これがパイオニアLDCという会社でした。
多分、avex系列のレーベルだったと誤認している人って結構いるんじゃないかなぁ?

このパイオニアLDC。
元々はレーザーディスクの制作が目的の会社だったのが、自前で音楽制作をする方針を打ち出したことにより、会社設立の数年後にこの会社名となったようです。
あまり知名度的には高くないかもしれませんが、実はビーイングも最初期に関わりがありました。
織田哲郎やビーイングのドンが学研と交流があり、ビーイング自前のレコード会社設立の際にも学研出のスタッフが尽力してくれていたんです。
で、パイオニアが学研と共に立ち上げたレコード会社「ROCK IT RECORDS」にT-BOLANが所属していて、その後、ビーイングの自前レコード会社を設立した際に、ZAIN RECORDSというレーベルを設立して、T-BOLANを移籍させたんです。
小松未歩の復習も読んで頂いている方ならピンッときた方もいると思うのですが、

そうなんですよ。まさかのここでZAINが登場。不思議なもんで話って繋がってくるんですね。

で、元から主力の一つでもあったアニメ事業を20世紀に入ってからはアニメ専門レーベルを立ち上げてさらに強化し出したのですが…
親会社であるパイオニアの業績が傾いてしまい、子会社であるパイオニアLDCの全株式を電通に譲渡することに。
それによってパイオニアLDCはジェネオン エンタテインメントに商号変更となりました。

ここでジェネオンにピンッときた方、いますか?
実は、当ブログでも既出済み。
どこでこの名前がでたか?
TWO-MIXの時に実は出てたんです。
それもTWO-MIXの活動晩年のⅡMIX⊿DELTAの時に。
ジェネオンで「J・A・W・S Records」というレーベルにてリリースしていたんですね。

で、さらにその後、米NBCユニバーサル傘下ユニバーサル・ピクチャーズ・インターナショナル・エンターテインメントが電通よりジェネオンの株式を過半数取得。
既存会社であるユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンとジェネオンが合併し、
ジェネオン・ユニバーサル・エンターテインメントジャパンという面倒臭い長い名称に。

さらに、2013年にはNBCユニバーサル・エンターテインメントジャパンに商号変更。

ジェネオンの名前が取り除かれてしまいました。
ということで、「パイオニアLDC」は現在「NBCユニバーサル・エンターテインメントジャパン」として生き残っています
このレコード会社名は今では特にアニメファンによく周知されているんじゃないですかね。
以前から今に至るまで、声優やアニソン歌手が多数所属しています。
名前を出すとさらに話が長くなりそうなんで今回は控えておきます。

というか、この会社は変遷が結構複雑で説明が面倒ですね。
これでもかなり掻い摘んで大まかな説明にしたのですが、もっと詳しく言及するなら、ワーナーミュージックも絡んでくるようで。
「ワーナー・パイオニア」って会社もあったくらいなので。
何だか実態がぼやけてて掴みにくいですね。

という事で、いきなり話が華原朋美から脱線してしまいましたが、
つまりは、デビューはパイオニアからってことが言いたかったわけです。
テレビではほとんどavex系のアーティストと絡んでいたし、当時の小室ファミリーは大方avex所属だったので、自ずと華原もavexに見えちゃいますよね。
もしかして、敢えて別の会社で自前レーベルからデビューさせたのって「君は他のアーティストとは違って特別だよ」を演出したのかな?

さて、ようやく楽曲についての説明に移りましょう。
基本的に、OMUROK時代の楽曲は華原と小室さんのラブラブ期にあたる期間ということもあり、
小室さん渾身の楽曲が沢山詰まった期間とも言えます。そういうわけで名曲がいっぱいあって聞き逃せません。
このデビュー曲はそんなハイレベルな楽曲群の中でも、売れ線を突いてきたとは言えません。
どちらかと言えば、華原朋美のポテンシャルを示す挨拶代わりの楽曲と言えるでしょうか。

イントロは何かが始まる初々しさが出ていて、これをデビュー曲にするって意図して制作したのかな?とも感じます。
面白いのは、歌い出しがまさかの小室さんの「keep yourself alive」というコーラス。
サビ始まりでもあるんですが、華原の声で始まるんとちゃうんかいっ!って感じです。
で、このラブラブ期の華原楽曲。
名義こそ華原朋美単独ですが、実質は<with t.komuro>状態。デュオでいいんじゃないか?ってくらい小室さんの声が聴けます。
<with t.komuro>と言えば、この前年に大ブレイクを果たした篠原涼子に元々くっついてた名義なわけですが、【恋しさと せつなさと 心強さと】より断然、華原の楽曲の方が<with t.komuro>感強いです。

 

考えてみりゃ、PVも小室さんが当たり前のように出演していて、知らない人が見たら男女ユニットにしか見えませんよ。
テレビのランキング番組で流れるサビの所だと華原のヘアスタイルやメイクがちょっと先鋭的と言うか変わってるんで
「何なんだ?この子?」って感じで最初の引っかかりがルックスにいかない(笑)
全体通してみると、通常メイクで髪を下した綺麗な華原が垣間見れるんですけどね。

テンポは速く、メロは90年代前半の小室さんのクセが入っているかなという感じ。
小室さんの楽曲って年代毎に明確とまではいきませんが大まかに作風が分かれてますよね。
サビよりもメロで小室さんの充実度が感じ取り易く、
やはり、90年代前半~中盤辺りはメロのバリエーションが豊かで改めて唸らされますよね。
90年代末期辺りになると、アレンジに関心が移ったのかメロにメリハリが無くなってきて、単なるサビの繋ぎというレベルのものが散見されるようになってきたなと個人的は思っています。

で、当時のメインストリームとして売れる曲って大体はカラオケを意識した作りになっていたのですが、この楽曲はそういう狙いは無視だったと思いますね。
この歌、歌うのは難易度高いですよ。
特にサビ。キーの乱高下と音符に言葉が詰まった早口口調で、容易に歌唱する事を妨げています。
となると、これを歌いこなした華原朋美は新人ながら歌唱力抜群なのか?って印象になるじゃないですか?
多分、そういう印象操作もこの楽曲の狙いの一つにあったような気がするんですが、
実際、テレビで歌う華原朋美は歌唱不安定。世間的には「上手くは無いよね」という印象に落ち着いた感じになりました。
このデビュー曲の頃はテレビ歌唱があまりなかったんであまりバレなかったんですけどね。
次作が大ヒットしちゃったもんで、テレビ露出が一気に増えてバレちゃいましたね。
今じゃ当たり前のように口パクが横行していますが、
90年代ってそれを許さない空気と言うか風潮があったんですよね。
全く無かったわけじゃないんですけど、ほとんどの人が生歌だったんでやりにくい雰囲気も出てたのかもしれませんね。

なので、レコーディングの時は細目に区切って録音したり、

歌声調整してあげたりしてたんでしょうね。
でも、今、当時のテレビ歌唱聴いてみると、その当時感じたよりは下手でも無い気がします。
当時ってとにかく歌が上手い人だらけだったんで、相対的に下手の部類に括られちゃったのかもしれませんねぇ。
90年代の日本の音楽界ってかなり実力社会でしたからね。そこだけはちょっと不運だったかも。

そんなデビュー曲の成績ですが、初登場9位。その後に8位に順位を上げて、累計は約37万枚。案外悪くない出だしでした。
正直、タイアップは小室さんと共に出演した『日本オラクル』という企業のCMということでそれほど好タイアップでは無かったんですけど、
写真週刊誌にて、デビュー前に小室さんとの関係がすっぱ抜かれてその存在が大々的に広まった効果が良くも悪くも出たのかもしれませんね。

そうそう。c/wですが、この当時の小室ファミリーのシングルって基本的にc/wに別の曲は入っていません。リミックスとインストゥルメンタルの3曲入りが標準って感じですかね。
何だか費用対効果の良いシングルの出し方だなってちょっと思っちゃったりもするんですが、
今考えると2曲目のリミックスが現在では意外と入手困難で貴重だったのかもとも思えます。
この収録形態もまたavexのそれらと同じだから華原もavexと混同しちゃうんだよなぁ。


さて、初回でファーストアルバムまで紹介できるかなと浅はかな予定は立てていたのですが、
やはり、初回は前段部の説明が長くなってしまいがちですね。
文量が想定を遥かに超えてしまいました…
という事で、全盛期突入の2枚目のシングルは次回に持ち越し。
今回はここで一旦締めます。
でも、第1回と第2回を同時に公開しますんで興味ある方はこのまま第2回に突入して下さい。
次回に続く!


と、書き終えた頃に嬉しい一報が届きました。
2019年8月30日。朋ちゃん。無事にお子さんを出産したんですね!
中々の高齢出産なので、心配もちょっとしていたのですが、近年、体を鍛え直していたのが功を奏したのかな?
何よりめでたい!おめでとうございます!