国立民族学博物館(愛称「みんぱく」)の中は、外とは打って変わって涼しかった。
入ったところには、大きな自動演奏オルガンがひときわ目を引く。
「なぁに、これ?」
「車輪がついているから、馬かなんかで引いてくるんだろ」
「自動オルガンかぁ」
演奏時間が決まっていて、その時間になると動かしてくれるらしいことが横の案内板に記されていた。
おれは惹きつけられたように、目の前の階段を上がると、正面にはガラス張りの中庭があり、そこには巨大な壺が座っていた。
飾りなどはなく、土の地がそのままの、大地から生まれたような土器だった。
近づけばその大きさが見上げるほどであることがわかる。
おれは、こういう圧倒的なものが好きだった。

二階は「ビデオテーク」というブースがたくさん並んでいて、尚子の話では入場券を装置に差し込んで好きな記録映画をブースの中で観ることができるのだそうだ。

最後にビデオテークを観ることにして、下の階から展示を見ていくのが順路らしいから、おれたちは再び一階に降りた。
「こっちからや」
「そうみたいね」
海洋民族の習俗が展示されている。
実物のヨット、つまりポリネシアのヤップ島などで使われる双胴の帆船だ。
「アウトリガー」または「カタマラン」といって、二つの船を平行につないで、その横げたに板を張って、乗ったり荷を積むことができる。
こうすることによって復元力が増すのだそうだ。
帆は三角帆であり、帆柱に斜めに桁が括りつけられている。
彼らは太平洋を縦横無尽にこの小舟で行き来していたと説明されており、そばのガラスケースには彼らが使った海図があった。
海図と言っても、ヤシの葉脈から取った軸で組んだ板状のもので、斜めや円弧を描いて軸を編み入れているのは海流を示しているそうだ。
研究者たちはスティックチャートと呼んでいる。
そしてところどころに大豆ほどの宝貝(子安貝)を結わえているが、これは島々を表現しているのだそうだ。
「すごいね。こんなので海を渡るんだって」
「ああ、おれには無理だ」
おれは、三角帆を見上げながらつぶやいた。
舞鶴の生まれで、海が近所にあり、おれは、泳ぎもそこそこ自信があるものの、船には弱かった。
友人には漁師の息子もたくさんいたが、おれの家は代々、農家であり、子供心に「よかった」と思ったものだ。

「ペニスケースだって」尚子が、おもしろそうに展示品を指さす。
「コサガ」と呼ばれるヒョウタンでできているらしい、細い筒状のものが飾ってある。
ニューギニア高地人の「モニ族」の男性が身に着ける「正装」だそうだ。
かれらは、これっきりしか身に着けておらず、あとは素っ裸だという。
ペニスケースの先端には飾りの「クスクス」という小動物の毛皮で作った球状のものをつけるのがおしゃれらしい。
いくつかそれはならんでいたが、大きさはかなり短いものから、おそらく着けたら首のところまでくるんじゃないかというほどの長いものまであった。
中に入る「モノ」の大きさが問題なのではなく、被せるものの立派さを競うらしい。
そして、人前でペニスケースを外すことは、ぜったいにしてはならないマナー違反なんだそうだ。
ペニスケースを外すことは、この上なく破廉恥な行為だというので安心した。

「おもしろいね」
「ああ、いろんな民族がいるもんだ」
「そんなところに生まれたらどうだったやろね?」
「それなりに、楽しくやってたやろ」
「ふふふ」
そんなことを言い合いながら、展示物を見て回った。
こういうところは、あまり客が入っていない。
まったく展示物だけの世界に自分たちが紛れ込んでいることが、不思議だった。
「みんぱく」では、基本的に展示物を露出して設置してある。
中には手を触れてもいいと書いてあるものもある。
だから、博物館というより、雑貨屋さんの巨大なフロアのようでもあった。
アフリカ地域の展示室では、漆黒の木彫品が不気味に並んでいた。
「なんか、こわいね」
「黒光りしてるで」
「アフリカの人って器用なんやね」
「日本人だけが器用なわけやないんや」
見上げるような大きな彫像もあった。
意匠も独特で、笑っているような、胎児のような、底抜けの陽気さも感じられた。
あの「アフリカの太鼓」の音色が聞こえてきそうだ。
楽器も世界中のものが集められ、その音を聴くことができる。
弦、管、太鼓、木琴、およそ考えられる音の出る装置はみな展示されている。
インドネシアのガムランに使う打楽器に、尚子が見とれていた。
「これ、テレビで見たことある」
「なるほど・ザ・ワールドやろ」
「たぶん」
北米大陸では巨大なトーテムポールに触れ、ヨーロッパ地域ではロマ(ジプシー)の移動住居を見た。
「狭いな」
「こんなんで生活してんねんね」
馬、現在では車に引かせているという「キャンピングカー」風の住居は、かなり窮屈な作りだった。
車の下には藁というか、萱(かや)のような植物の束が結わえらえている。
ロマたちは、行く先々で言われのない差別に苦しんでいるという。
その生業は、一定しておらず、仕事があればなんでもやるという生活だった。
「悲しい生活や」
尚子がぽつりと言った。
中央アジアの少数民族の衣装を着た人形が並ぶところも見どころだった。
ミャオ族の可憐な少女の衣装を、尚子が着たら似合うだろうなと思った。

そして日本の民俗にも立ち寄った。
アイヌの入れ墨文化、イヨマンテに見る熊信仰、雪と接する部分に鮭の皮を貼った橇(そり)、削りかけという木を刀で削り残して幣束のようにしたもの…
ツングース系の文化も流れ込んでアイヌは北の大地で生きて来たのだそうだ。

そしてビデオテークに向かう。
中庭を囲むように二階のフロアにそのブースが並んでいる。
空いているところに入ればいいのだそうだ。
ちょうど車のシートのようになっていて、個室である。
もちろん背中側が開いているので、中に人が入っているかどうかは丸見えだった。
おれたちはブースを一つ選んで入った。
入場券一枚につき、一回の記録映画が見ることができるということだった。
シートに並んで座ると、前にモニターがあり、手元のコントローラーで観たい映画を選ぶのだそうだ。
まず、入場券を差し込むと、コントロール画面が起動して、見たいジャンルを選んでいくという方式だった。
二人分あるから二つの映画が観賞できるのだった。
「どうやんねん」
「こうしてな、地域から選ぶ、とか、衣食住の別から選ぶとかできるんよ」
画面に尚子が言うような字がでてきて、カーソルを合わせて選択するのだった。
おれは、食べ物を選んで、高知県に伝わる「碁石茶」のビデオを選んだ。
ニ十分ほどの長さの映画らしい。
機械がビデオカセットをストックヤードから探し出して、それを再生装置にセットしてくれる。
「へえ、碁石茶ってどんなんやろ?」
「わからん。興味あるから選んでみたんや」
しばらくして、映画が始まった。
山深い、急峻な地形の映像が映り、ナレーションが入る。
壁のような土地に、へばりつくように住んでいる人々がいた。
ある老夫婦が、真っ黒な碁石というより、その辺に落ちている石のようなものを手にしている。
これが「碁石茶」というものらしい。
いわゆる発酵茶であり、このような茶には紅茶やモンゴルの団茶があるという。
茶葉は、山の斜面に自生しているものを使うそうだ。
もちろん、われわれが日ごろ飲んでいる茶の木と同種のものである。
おれはしかし、そんな映像より、となりに座っている尚子に気が行っていた。
尚子の手を取り、おれは股間に導いた。
こんな空間ならだれにもわかるまい。
「ちょっと…」
尚子が手を引くが、強く拒否していなかった。
「あかんて。こんなとこで…」
おれは終始無言で、尚子の手を引っぱる。
「しゃあないなぁ」
そういうと、あきらめたのか、尚子がおれのズボンのジッパーを下げ始める。
もう、硬くなっている分身で、そこは窮屈になっている。
「こら、こんなにおっきして」
幼児に言うように尚子がつぶやく。
パンツの脇からそとに出された勃起は、蒸れて臭いを放っている。
尚子が皮を後退させて亀頭をむき出しにした。
「ほんまにもう。悪い子やなぁ」
ビデオを鑑賞しているふりをして手を動かしてくれる。
「ヒロ君、ティッシュ、用意しときや」
「あ、ああ」
おれは、ショルダーバッグからポケットティッシュを引き出した。
「めっちゃ硬いやん。溜まってんの?」
「うん」
「出るとき、言うてや」
耳元で、尚子がつぶやく。
「前、向いとき」
「わかった」
尚子の汗ばんだ手が、おれをしごく。
反りかえった分身が、外から見えないか心配だったが、まったく人通りがない。
もう碁石茶のことなんか頭に入らなかった。
こんなことをしているカップルはほかにいないだろう。いや、いるかもしれない。
「はよ、出してしまい」
尚子が、ややきつい口調で言う。
そうして、手に力を入れて来た。
おれは尚子の、ふんわりと汗の香りのする髪に鼻を寄せ、興奮を掻き立てた。
「ああ」
「出るの?」
「で、でる。なおぼん…」
ティッシュがあてがわれ、そこに、おれは放った。
間一髪で間に合ったようだった。
乳を搾るように尚子がティッシュに吸い取らせる。
「もう、こんなに出してぇ…手についたやんか」
「ごめん」
瞬く間に、ティッシュのボールができて、ポケットティッシュは空になってしまった。
尚子の分のビデオテークは観ないで、ブースからおれたちは逃げるようにして出て来た。
「はよ、いこ」
「うん」
姉に促される弟のように、おれは尚子について出た。
尚子は近くのごみ箱にティッシュの玉をさりげなく放り込んだ。
鈍い音がした。

「お腹すかへん?」
そこにレストランがあった。
阪急ホテルが経営しているのか、そのマークがある。
「入ろか?おごるわ」
「わ、ほんと?」
「してもろたし…」
「なんぼでもしたげるがな。それやったら」
そんな品のない会話をしながら、おれたちはレストランに入っていった。
やはりホテル系のレストランなので、お高い雰囲気だった。
しかし、食券を買う方式なので、デパートの大衆食堂と同じだった。
「どれでも好きなん押しぃな」
「どれしよう。まようなぁ」
「おれハヤシライスにする」
「えーっ、もう決めてんの?カツカレーでもええ?」「ええよ」
出て来たハヤシやカレーは本式で、ソーサーに入ったルーをご飯にかけるタイプだった。
「本格的やね」
「いっただきまーす」

ポケットには入場券があり、二重丸のスタンプのようなものが押されていた。
「これなんやろ?」
おれは、入場したときにはなかったはずの印に怪訝な顔をしていたのだろう。
「あ、それか?さっきビデオテークを観たやろ、一回だけ見て、二回は見られんように、機械がスタンプを押しよんの」
「へぇ、うまいことできてんなぁ」
「もう一回見たかったら、あたしのあるし」
「もう、出えへんわ」
「なに言うてんの。君は」
そう言って、笑った。