美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ 11/2~1/12 主催 せんだいメディアテーク

2019-11-06 11:48:16 | レビュー/感想

2011年3月11日、巨大な何かが、たくさんの生命を呑み込んで通り抜けていった。記憶という名の霊となって物質に張り付いているそれらの痕跡を、仙台の卓越したアースダイバー、青野文昭さんのアンテナが捉え、掘り起こし再生し、見事に視覚化している。あの出来事への美術家からの初めての深く内的な反応だと思う。古くから霊が越える場所だった八木山越路(「こえじ」は、仙台市南面の住宅地となっている。伊達政宗も、江戸、東京と同じく、近世に仙臺を造るとき、霊的な設計をした)から、今も見えざるものたちは、ついにはクルマとスマフォだけが残ったように見える、プラスチック都市の未明の暗闇にもボウボウと吹き下ろしてきている。いや、近代人の眠りを揺さぶる常人を超えた力仕事にびっくり。今年二番目の収穫。一番目はウチでやった野中&村山展😅 この作品の背景として次のささやかな経験を追加で書き留めて置く。震災の翌々日、車で妻と海辺へと向かった。高速道路の下を通るトンネルを抜けると、見慣れた風景は一変して、うず高く積まれた瓦礫の山が延々と続いていた。夢のようだった。かろうじて一台取れるぐらいの道を農家の人の軽トラだろうか、被災した住居との間をただオロオロと行き来していた。その切迫した様を見ながら、黒沢明初のカラー映画「どですかでん」で六ちゃんがゴミの山の間で電車ごっこしているシーンを思い浮かべている、変な自分がいた。信じ頼っている合理性に基づいて作られた文明も、実は一瞬のうちに崩壊する不条理な、しかしあまりにもリアルだから、むしろ夢のような現実の唐突な出現。この展示は、その時の目と心を蘇らせる。一人の美術家を通して、様々な生活の痕跡とともに再生された「霊」の宿る街。これがわれわれの住む街の真実の姿かもしれない。1月までやっているようだから、ぜひ遠方の方も来仙の際は立ち寄ってほしい。


青野文昭インタビュー


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