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久米島の祭&祀【2】

2019年05月10日 00時00分48秒 | 日記

  久米島は緑豊かな森林を有しそのため水が豊富である

以前は稲作が盛んに行われ、米の島と言われていた

 

沖縄の方言で米は「くみ」と言い

米の島「くみの島」→琉美の島→久米島と

呼ばれるようになったと言われている

歴史書にも「くめの島」と「おもろさうし」にも謡われている

 

日本史書「続日記」に元明天皇の時代714年の記事に

太朝臣遠建冶等が奄美、信覚(石垣島)、琉美(久米島)の

52人を率いて奈良に入朝をしたと記されている

 

また、琉球の歴史書にも1264年に琉球王府に入貢したとある

 

久米島は歴史も古く

伝統行事文化など多く継承され守られていて史跡、石碑など有り

 

また祭場となっている、城跡は十三ヶ所確認されている

十五世紀頃久米島を支配していたと言われる

 

按司(城主)達の居城

宇江城跡と伊敷城跡、登武那覇城跡、具志川城跡など

現在も見ることが出来る

 

1511年に琉球の侵攻により琉球の支配下になる

その後、具志川城主だった上江州家が

代々地頭として久米島を統治して来た

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