Ken3her6days7she.Re:

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ケンサンハロクデナシ(新しい方)

Amebaでブログを始めよう!



今だに。
相変わらず。
ここを訪ねてくれる人が居て、
おっちゃんびっくりだ。


ここには居ないよ。


長い旅に出た。
真実の愛を探しに。
案外すぐ蕎麦にあったりするのが美味い蕎麦屋。いや・・青い鳥現象とゆう。
蕎麦もつゆも両方共美味い蕎麦屋ってのは中々無くてだな・・んなこたぁどーでもいー


ここには何も無い。


愛の欠片。
快楽の残滓。
乾いた涙の跡。
嘘つきの木霊(こだま)
ぼろぼろにかすれて嫁ない約束。
鼻くその瓶、曲がって使えない安全ピン、行った記憶のないラブホのライター、両替残りの外国のコイン、チビた消しゴム、二度と行くことのない店のポイントカード・・
だから何も無いって言ってんだろ。
あ、富士銀行と住友銀行の通帳ならあるよ。残高3桁だけどね。

しょーがねーなー
んじゃ滞在先、教えてやるよ。


http://ameblo.jp/ken3her6days7she/


素晴らしい写真の数々に度肝抜かされるぞ。
『努力』と云う行為を否定する俺の写真は天才の為せる技。

がははは・・


(・(ェ)・)





最初の事象が起きた日 2011年11月18日
書き始め 2012年7月10日(mixi. 転載済)

Who is she kissing? 356話
ken3wa6de7she. 270話
ごじゃっぺがぁっ!! 100話
Ken3her6days7she. 280話

合計 1,006話




どんなに自分が絶好調だと思えても、
「これぞ人生だ」と充実した毎日を過ごしていても、
「カツン。」と躓く日は来る。
止まってしまう。停滞する。それは往々にして外的要因がきっかけなのだけど。

何で? どうして? と考える。
余程の馬鹿でない限り「どこかで自分が間違えたのだ」と気付く(気付かないヤツは幸せだ)。
(俺の様に)反省しないかも知れない。けど、苦しむことは間違いない。
過去どこかで自分がして来たこと。それに起因することだから、どうにも出来ない責任の転嫁のしようが無い。
自分が起こしたことは、それが遥か昔のことであったとしても自分で解決するしか方法が無い。
誰しも必ずそういう時が来る。

『いい時』の無い人が居ない様に、
間違いを犯さない人も居ない。

生きてる限り、それは避けられない。
生きてるって、そういうことだ。




完膚なきまでに叩きのめされ、何も無くなり誰も居なくなって、死ぬことだけを毎日考えてた俺が、立ち上がり、自分をコントロールする様になり、今日、今、こうやってる。それもまた『外的要因(=彼女)』のお陰なのだけど。
これはほんの3年半の間に起きたことなんだ。


決して人を裏切っちゃいけない。
あなたがしたことは相手にとって、あなたの想像を遥かに超えた破壊力を持つ。
あなたがそれの責任を負うことは無い。けれど、あなたはいつかその何倍もの痛みを経験することになる。
だから決して信頼してくれる人を裏切っちゃいけない。


人として駄目にならないこと。レベルを下げないこと。
俺はぎりぎりの所で踏み止まることが出来た。
自分のしていることに、自分の居る場所に、知らず知らず蝕まれていないだろうか?
人生は選択の連続(W.シェイクスピア)で、その何割かは確実に間違える。
正しいと思っていたことが「躓きの第一歩だった」と気が付くこともある。


「直上型の進歩は突発的事象無しには有り得ない」
かつて俺は、他人の話としてそう書いた。
安穏と毎日を過ごしている者に進歩など有り得ない。それはただの『学習』だ。
だからと言ってそれが悪いわけじゃないけれど。
進歩は闘っている者だけにある。


棄てる神が何人居ようと、拾う女神が一人居てくれりゃあ、勝ちだ。
こうやって凌駕することが出来るのだから。




このブログはこれで終わろうと思ってます。
今のところ『5章』は考えていません。
写真だけ貼って行こうかなぁ・・とはちょっと思ったりもしてる。
たくさんの(?)読者の皆様(特に、北海道、宮城、茨城、東京、大阪、高知、福岡のレギュラー)ありがとう。
Who is~から「ざっと」読み返して見た。文章も画像も「う~ん・・これはなぁ」と思うものもある。
けどまぁ、
その時の俺が考えたことなんだろうからそのままに。


誰かの、何かの、琴線に触れることが出来ていたなら、書いて撮った甲斐があった。








嘘紫のグローブボックスに、いつも数冊の文庫本。
一番下に、くたくたになった『一握の砂』
もう二度と読むことは無い。
笑いたきゃ笑え。



巷に雨の降るごとく
我が心にも涙降る
かくも心に滲み入る
この悲しみは何やらん

やるせなき心の為に
おお雨の歌よ
優しき雨の響きは
地上にも屋上にも

消えも入りなん心の奥に
故なきに雨は涙す
何事ぞ 裏切りも無きに有らずや
この喪その故の知られず

故知れぬ哀しみぞ
げにこよなくも堪え難し
恋もなく恨みも無きに
我が心かくも悲し

(巷に雨の降るごとく / ポール・ベルレーヌ)



あの頃なら理解出来たんだろね。
文章としては、解る。
けど響いて来ない。
雨は雨であり、ただの水だ。
感受性が鈍くなったんじゃない。そんなことは有り得ない。
屁垂れでなくなった。と思いたい。
啄木は『破滅的自死願望』
ベルレーヌは『ペシミスティック』で、それを楽しんですら居る。
ま、
啄木だったんだろな。


だってお握り食べれるじゃん?



・・・いやそれ違うから。