ぼっちでオペラを観に行く会開催記

突然オペラを主に生で観始めた人の観賞日記。しかし頻繁じゃないので映画観賞も+してみる

10月12日「魔笛」チケット

2015年10月07日 | 番外編
急募

ご無沙汰しております。
突然ですが、9月12日 東京文化会館「魔笛」に行けなくなりそう…なので、多少の安値で買い取ってくださるかたがいらっしゃいましたらよろしくお願いしたく!
ちなみにもちろんD席 7000円です。

公演名:ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場オペラ
公演日:2015年10月12日(月・祝)
会場名:東京文化会館 大ホール (東京都)

サイトこちらです。


すみませんが9日の昼頃に内幸町か夕方頃に新橋駅、10日か11日に総武線駅で手渡し可能な方で、
さらに勝手ですがお一人照会中の方が不可だった場合の以降先着順としてお願いします。

近況なのですが転職をしたせいで、今年前半ほどに頻繁にはオペラには行けていません(;_;)
コンサート自体も7月の芸術劇場チャイコフスキーが最後な。
オペラは6月「フィガロの結婚」以来だったのですが、友達のダンスの発表会と被ってしまったのでした。

こうもり@新国立劇場 2月6日

2015年02月08日 | 舞台観にいった!
前回「さまよえるオランダ人」の感想も途中だったうちにこの日がやってきました「こうもり」@新国立劇場です。
今回ははじめて開演前にオペラシティで食事してみました。というかお腹が空きすぎてとても持たないと思ったので時間ないけど15分で済ませた。
成城石井前でしたが全室個室だったのでちょっと寂しさ倍増でした。しかし新国立劇場で当日観劇する方は10%引きですよ^とのことだったのでまた行こうと思います!!おねえさんがめっちゃさばさばしててよかった~。

さて「こうもり」序曲はもう幼少時から結果的にずっと聴かされ続けていたので好きは好きとして、カール・ベーム指揮ウィーンフィルの全曲CDも聴きこんだ。これでもう死角はないと思いました。
序曲分かっていると本編でも、知っている旋律が頻発するので(当たり前か)なかなか便利だとはやっと気づいた点であります。
そして私が本番にて知って一番驚いたのは台詞があるということでした…。おいそうだったんだ…!!かつて「シェルブールの雨傘」をオサレ映画としてプッシュされているのをふーんと思い予備知識なしに観始めて、「この人たちはいつ歌うのをやめるのだろうか」とずっと思いながら見続けていたのとは逆の心境です。

というわけで本編。序曲。いいですね。ずっと幕下ろしたままかと思ったら一応上がって、微妙な絵が描かれた更なる幕がお目見えしました。とりあえず話の筋を意識して描いてみた模様。これは一枚絵ではなくて、何と言いましょうかシースルー?な感じで、後方に大きく広がる舞台をしょっぱなになんとなーく透かし見せる(大体その後すぐこの絵の幕は上がっちゃうんだけど)フィルターみたいな存在です。

アルフレート登場→鑑賞歴がほぼない自分でも、日本の歌手は声量がやはり&なりきり具合が足りないと思ってしまうくらいだったのですがこの方は違った。伊達男っぷりも様になってました。自分に酔ってる感じじゃない、昔の恋人今は人妻を口説いてる様子からは結構いい奴だなと。
舞台もお屋敷の中庭で白を基調としていてあーかわいい!と思った。所詮私も「かわいい」に弱いのでした。
そして、全編を歌だけで進めるだけじゃなく地の台詞があるとはネタの入れようが全くありまくりってことです。私はドイツ在住歴のため簡単なドイツ語は分かるけどその中に日本語ちょっと入れられるだけで本当に笑える。基本は数字をいち、に、さん、…とか言われる&すみません!とかの台詞だけで客席は湧いておりました。
ロザリンデ→アルフレートの台詞「あの日本人テノールの声、ぞくぞくするわ!」でウケてた。たしかに!

アイゼンシュタインとファルケがパーティーに行こう歌と踊りはほんとにあほだなーと思って笑えてしまった…(2幕から以降は笑いっぱなしだったんだけど)パンフレットにちゃんと振付師が載っているのでバレエの場面についてかしらとだけ思ってたけど全編でのことかと思うともう振付師も歌手もさすがです。とくに歌手は演目によってはここまで演技しないといけないの?と初めての驚愕でした。大変だな!!
アルフレート再び登場。なんだかんだで刑務所長フランクも来て「一緒に飲もう」合唱になった瞬間は笑いが起きてました。フランク役の方がほんと大層役者だったん…。

夜会のシーンが見ものだとは聞いていましたがそれなりに気合入ってた!よっしゃと思いました。アイゼンシュタイン家の邸だった背景画がドカンと取り払われてえっ舞台上こんなに奥行あったんだ…というくらい広々とした舞踏会ステージとなります。
オルロフスキー公爵はメゾソプラノ、アルト、テノールなど様々な歌手によってうたわれる。とパンフレットに親切な説明がありますが私が聴いてたCDでは「こりゃ単なるおっさんだ」という声だったので覚悟していた。
しかし当日にメゾソプラノの美女が出てきたらそらびっくりするわ。たしかに若者キャラではあるけど!なんだか一人だけ宝塚のようでしたが「僕はお客を呼ぶのが好きだ」ではまだ少年から抜け切らない放蕩息子感が強調されてた気がします。
で、アデーレの「侯爵様、あなたのようなお方なら」が素晴らしくて全くそれまでで一番強く拍手しました。そう色々解説を読んでなるほど!と思ったけどアデーレ「コケットな機転」がきくんだよね。小悪魔ポジなんでしょうか。高音が頭に突きぬけました…。「振付がある」となんとなく念頭に置いて聴いて&観るとすげーなー役者やな~(二重の意味で)と改めて感心する。
アイゼンシュタインと刑務所長フランクがどちらもフランス出身と偽りの身分を紹介されあった後に「フランス語なんてできない!」と言いつつお互いに無理くりフランス語会話をする際も小芝居が聴いていてほんと…台詞の応酬が割と長きに渡ったんですが片言のフランス語を言い合うだけで大いに笑いを誘っておりました。

ロザリンデ登場。心の中の台詞日本語「ウワキモノ!!」でまた客席沸く。
チャルダーシュ「故郷の歌をきけば」はなんとなくではありますが当時の趣味嗜好が分かるような、しかしやはり劇的で。傍らのオルロフスキー公爵の振る舞いがいちいち恰好よくて目が行きがちでした。
そのあとで慣例で「ハンガリー万歳」が入るというのも直前まで知らなくて、やっぱり大好きな曲なので嬉しくはありつつ今回4階席だったので舞台前方が見えなかったんですよね。バレエダンサーが曲中その辺に集中していたもので、凝視することができず残念でした。(ダンサーだから)なんていうんでしょうあのエセ民族感と言おうかチャルダーシュもそうらしいとは分かっているものの、異国っぽさを強調した振付とか、なんかよくわからないけど、いい!と思わされる。ここらからもう狂乱ぽくなっていくので流されることにする。

2幕と3幕の間は休みなく続きます。
舞台は2幕の豪奢なお屋敷から刑務所へと変わるので印象的には暗いです。3幕は台詞だけで続く時間が長くてこれもびっくり。最初がずーと看守フロシュと、姿が見えないアルフレートの応酬(というかアルフレートは歌ってるだけだけど)なのですがこれもとっても面白かった。とくにフロシュ、酔っ払いの演技って難しいと聞きますが自分も大概酒飲みだしドイツとかあの辺の酔っ払いってあーこんなんだよなと分かってるのもあり。最後に隣に座っていた夫婦がカーテンコールでフロシュが出てきたとき、「あの人、歌わなかったね」と言っていたのでああそうだと気づき、それでも結構な拍手を浴びていたので役割的に重要だしなんかもうおいしいな!と親指を立てました。フローシュはずっと酒飲んでるんだけど台詞で「焼酎」と変えただけでそりゃもう大ウケです。また歌手役のアルフレートが牢内でロザリンデの恋心を示すべく歌ってるんだけど、寡聞な自分には一瞬「アイーダ」のアレをちょっと歌ったな!ってことぐらいしかわからんかった。きっとそれぞれやりたい放題なんだなと。看守フロシュがアルフレートに聞いて「職業は?」「オペラ歌手です(日本語)」→と言って歌いだす→私は分からなかったんだけどフロシュ「れくさすダ!!契約先は?」「新国立劇場!(日本語)」「カワイソウ!!」という自虐ネタもありました。
色々略→私最近会社で「二日酔いの日が多すぎる」とクレーム入ったこともありこのフロシュと刑務所長フランクのシーンは改めて勇気づけられたことであります。この先、平日は飲めないな…と思ってた矢先なんでもう飲みはしないけど…;

すっとばして最後。刑務所の薄暗い舞台で終わるのかなと思ったら一転、「お芝居でした!」の種明かしのときに刑務所壁が突然取り除かれましてそれこそ壁と刑務所感だけは残ってるけどトランスペアレントな風に、突然それまでの舞踏会舞台とらんちき騒ぎ中の皆さま方が後ろに再出現します。そう!これで!お祭り感がそのまんまだ~!という盛り上がりのうちに一応アイゼンシュタイン夫婦は仲直りして終了!
面白かったしなんか人気あるの分かる!と思いました。すわダブル不倫という結構な内容にもかかわらず。自分はバブル世代ではないけど、バブルっていいな…と思ってしまった。この作品自体もあの時代のいわばバブル崩壊後に当時の成金をちょっと揶揄する感じで制作されました、と見てなるほどですよ。
繰り返しですが自分は先のクレームだけで解雇かというところから首つながった矢先だったので(そんなんで首かよと思わされる程度の会社)ちょっと!全てシャンパンのせいかよ!と思いつつものすごーいやったぜ感がありました。とりあえず今後はオンオフを切り替えてですね。どうもドイツ生活感がいまだに抜けないのでよろしくないのだと思います。
次回は暗い気分になるの必至な「リゴレット」です。歌は好きなので、気分をそちら方面にスイッチしていこうとおもいます そういえば新国立劇場じゃなかった!

アメイジング・スパイダーマン

2015年01月12日 | 映画観たDVD編
さきに土曜によし!理解した!と思えた「さまよえるオランダ人」@新国立劇場の予習のためのまとめ書きたかったけどとりあえず書きやすいからこちらで!

今更かよと自分で先に行っておきたくなるような出遅れ感です
しかも観てた時間帯にはテレビ放送で「ミッション・インポッシブル」やってたのを後で知り(こっちはDVD起動中でした)それでもよかったなと…まあいい。結論から言うと評判通り面白かったです。
リブート前のシリーズも観ていないので、はっきり本当の意味での初見でもあります。

とりあえず最初から感想を連ねます。ネタバレとか考慮してないのであしからず(というか観る気のあったしあるしあるだろうという方々の中で私が一番観たの遅いと思うんで別にいいとは思う)
いきなりですが、未公開シーン集を流し見してて、ピーターの子供時代やってた役者は最初違う子だったんだな~と驚きました。
これでこのお子さん陽の目を見なくなったのねとしみじみした・・・が、やっぱりお父さんと家でかくれんぼしていたオープニングの方が可愛いな。お父さん子だったのに違いない→おじさん子になったのもよくわかるっていうか。

アメリカの高校はやはりスポーツ系上手いのが偉いのか(アメフト・チアがヒエラルキーで最も高いと未だに思っています)→上手いのはやっぱ体格もいいからだよねと弱肉強食世界の反映がここにも…というかこの高校科学専門なのか?と驚きつつそ学校のそういう区分けは知らないけど、一応みんな科学はできるよ!っていうことなの?
そんでイジメえげつねえ!!と思いました。でもあんだけ堂々と(陰湿さがあまりない)見ている生徒たちもノリノリで囃してるからこれは一過性のイベント的な何かなの?と一瞬思ってしまったほどだけどいや違うアレはイジメだ。そんでヒロイン役も一応まともな部類の人間だという説得力ある展開。
スパイダーマンことピーター・パーカーも全くイケメンに入る部類なのに&スケボー上手だから人気ありそうな感じなのにだめだったんだね…と。
でもダメ部類→突然変異ヒーローは鉄板だからの苦肉の設定なのでしょうか スケボー好きだし運動神経は悪くない、という意味だと思っております。

というわけでゲバラさんには申し訳ないが彼の代わりに研修員としてオズコープ社に侵入したピーター君のクソ度胸には驚きました。それとですね自分最近転職した先で予想以上に英語使うので現在割と比較的に必死に勉強中ですが英検もTOEICもそれなりなのに施経験がないので会話がものすごく不得手なわけであります。これは発音からやり直すしかない…と「完全独習発音トレーニング」という本を目下進めているのですが前書きで筆者により「なまりがあり、発音が正しくない人の話はたとえ正しいことを言っていたとしても信用されないという心理学データもあるほどであり、ハリウッド映画では悪役には必ずロシアとかスペインなまりがある。つまり『変な英語を話す人』=『信用できない』という認識がネイティブには無意識化にあり」とあり、こいつ!こいつ悪いやつだ!とある人に対して瞬時に思ってしまったではありませんか。

ヒーロー覚醒時はどんな映画でも心躍る瞬間ですが笑 彼の場合は手加減覚えさえすればあと、くっつきすぎなければコントロールできる類なのでしょうか。X₋MENのサイクロンとか悲惨だよねとことあるごとに思い出すんだけど…。

「仕返しをしたのか?気がすんだのか?」と諭すベンおじさんは自ら「大した教育は受けてない」と言ってましたが人格者です。こんな人に育てられたらまともにもなるだろう…
グウェンとピーターが照れあってるシーンはふーんあっそと思いつつときめきを思い出した。だいぶ昔の。
以前読んだ記述で、マーベルコミックは公式で割と好きにやってて転生とか性転換とか蘇生とかありがちだけど、絶対に甦らせちゃいけないのがバットマンの両親とこのベンおじさんだというタブーが存在するらしい。たしかにあのなんつかベンおじさん死亡の無意味さははピーターをさ~NYの街中を夜な夜なベンおじさん殺害犯求めて徘徊させる理由にさせるなと思いました。あとフラッシュが冒頭からは一転だんだんいい奴になってきて、この人もしかして色々拘らないあんまり何も考えてない単純な人なのかな…と思えてきた。

ここまで来て終わらなそうなのでちょっと端折って行こう…。目的達成のためにマスク作ったりクモの糸すら自分でいろいろやってみたりという応用力も努力も凄いと思うのですがこれもやはり彼自身の能力が普通をはるかに超えてるからだよね~と思いました。何が役に立つようになるか分からんので人間やはり生涯学習だな。と。
アイアンマンの社長は元から天才で財力もあるしバットマンもお金持ち→いちお肉体鍛錬の期間もあった というなら、多分「友情・努力・勝利」(あと備わってた運とスペック)がヒーローになれる条件なのでしょうか…。

クモの糸使ってNY街を飛び回る描写はこれは劇場で見たかった~。本編最後の同様シーンは、テレビで見ていても酔いかけたくらいです。
ヒロインの父親が、ちょっと自分を抹消しかけたくなってるNYPDの偉いさんというところで急展開。そしてこのお父さんが娘つまりヒロインに対してもあくまで優しいのが最後まで泣かせる。それは単にイケオヤジだからというだけではない。イケオヤジというならピーターのお父さん同僚だったコナー博士が…いかんこれまで書いていなかった…。意見としてはですねコナー博士って言ってること至極もっともだとずっと思ってました。多分障碍者として不便もあり差別も受けたことがあったのではないだろうか、と思わせられつつ「弱者のいない世界を作る。これ以上に進化できるなら、別に姿形が人間である必要はない」は、あ~なるほど~と思うけど…。

博士がトランスフォームしてしまってあら~退場?じゃあこの後は?というのも束の間、トカゲから人間に戻る→思考力は前と変わらず→地下巨大下水管迷路の中にラボを作る→ で、この人専門家だから研究所からこの下水まで何を持ってきたらいいか必要品が分かってるんだな!と職人魂にときめいた。ちなみに自分にとって下水道といったら「第三の男」なのですがゲームの「バイオハザード」シリーズが好きなため最近はどんな下水道を見ても「バイオっぽい!」と思ってしまいます。

橋で助けた父子の絆を、父も父親代わりのおじさんも喪ったピーターは嬉しくも悲しそうに見ていると思うけどやっぱこのエピソード考えると伏線素晴らしい。
クライマックス!にスパイダーマンがあの糸で最短距離辿って目的地までに行けるように、と後々にアイディア出して実践したのはこのお父さんだし→NY市民がスパイダーマンを認めたように思えた描写がとてもよかった;;

高校時代に彼氏が親にばれないように窓から訪れるっていうのは結構よく見る(恋愛もんで)けど、20階まで来てくれたらそりゃあときめくなと思いました。
未公開ファイルでつまり没ネタなんだけど高校に下水伝ってコナー博士がピーターの高校にたどり着いて居合わせた女子高生をバカにしている描写が採用されなかったのは、博士が全く自分としては真摯な目的を達成しようとしてたという意味表現なんだと理解したい。

結局心底から悪人というのがいなかったので、コナー博士も自分が傷つけたグウェンの父親を心配して最後もとに戻ったことだし返ってなんともやりきれない。ピーターがポジティブになった~なラストが救いでした
DVDセットが1と2だから明日2を見てみることとします!

あと昨日、「さまよえるオランダ人」リピート聞き流しを数日→から 本腰据えて本編歌詞と対訳を最初から最後までにらめっこ(音声のみです!)を昨日やっと終えたので、いちお感想も明日以降に書きたいと思います。私ドイツ語が中級的にわかるのでなかなかなるほどこういう言い回しかと耐えられた!と思いたい!
感想はしかしとても感覚的になりそうですが、新国立劇場の舞台初観賞に向けてまとめ的に。
この題目は歌だけ聞いていても、これは凄い好きだな~ってのがいくつもあるので演出がけしからんという最近の色々な舞台での評判は耳にしてもまだそのどこがいかんのかという部分ちょっと実感が湧かないです。原作に見合ってないというファンの方々のお怒りでしょうか。

虚無への供物 

2015年01月06日 | 番外編

また新カテゴリを増やすのもと思ったので番外編にしときます。
ちなみに「さまよえるオランダ人」はスピードラー○ングよろしく流し聴きしているのでまだ歌詞照合しつつ段階までは行っていません…が、全体の曲をなんとなく知っているより、これぞ!!というアリアをヘビロテして思いっきり入り込んだほうがよいのでしょうか?また、二枚組を買ったんですが一枚目は台詞~という感じの旋律も多いと思うんだけど二枚目はなんだかみんな激情的に歌い続けているような気がします。そんなにまでクライマックスが続くの…?とまた理解は進んでおらず。

ところで話を戻し、すっかり忘れていたけど昨年は中井英夫氏「虚無への供物」作中の年から60年でした。光文社で「中井英夫展」が開催されていたので見学し、恐らく4,5回は読んでいた同作をまた久々に読み返そう、季節も近いことだし…と読み始めたのがやっと12月。一番最初に読んだときもやはり12月頭で、その前後に中井英夫氏が亡くなっていたのを後日知りました。ご命日は12月10日金曜日で、作品冒頭にも明記されているように「虚無への供物」の物語が始まったその日と一致しているとのこと。

それで!(以下盛大にネタバレ)何度も読んでいるくせにこれほどまで自分が内容を理解していなかったのが今回やっと判明し…
1.『あなたが犯人だ』の意味がわかっていなかった
 ちゃんと読もうよ。
2. 牟礼田さんが書いた小説がどこからどこまでだったのかわかっていなかった
 親切にも彼の創作はこの章からこの章までって書いてあるじゃん。
3.話が壮大すぎて(長すぎて)人物関係や時間軸の描写を途中で忘れてわかっていなかった
 今回日付とか、氷沼家のみなさんの年代普(明治時代から)をめもりながら読んだらようやく追いついた。

わかっていなかったために毎度新鮮に感じ何度も再読していたのではあるまいか?と思われても仕方がないくらいの無理解ぶりです。
あと多少なりともなるほど感が増したのはやはりネット上で人様の感想を読める今の状況のためもあります(読者メーターに登録しているので自分が感想を書いた本については他の方々のも拝見しています)。前回最後に読んだときは「よし、そんじゃ他の人が読んで何を思ったかググってみよう!」とすぐには思いつかなった時代でして…それでも10年くらい前でしょうか。今回「あ」と思わされたのは結構な方々が感想に「親類や知り合いが亡くなって、それを殺人事件だと決めつけて殺害方法を推理しあう探偵役たちの神経が理解できない」と書いていたことでした。これ今まであんまり思わなかったことに結構驚愕。最後に蒼司さんがあんなに言ってるのに、と自分もどこまでも傍観者立場であったことにとうとう気づいたのでした。
トリックとかはひとまず置いておいて、昭和モダンな雰囲気はやはり好きです。横溝正史みたいなジャパニーズ伝奇的も好きですが、贅沢は素敵だ。
というわけでミステリっぽさよりも世相やらの描写について感想が多い。戸惑うのはこれ戦後10年の話だよね、ということです。まあつまり上流?階級の人々なのかと。深く考えたことはなかったが、風呂付のおうちは当時そんなにメジャーじゃなかったんじゃ?洗濯機もあるよ。
久生の服装のサレオツさも評判高いと思いますが何しろお父様はもと宮内庁と後々描写がありますし、牟礼田さんもパリ勤務…でもあの時代かと思うとどんだけだと思います。亜利夫は親が何とか商会という染料屋をやってて、自分は日本橋で貿易商社勤務。蒼司さんは物語冒頭から最後まで半年あまり、大学院を辞めて以来働いていないのだった(一応心労のため)(27歳)。藍ちゃんは実家の商売を雇人がうまく回しているので、ご両親は事故で無くしているけど財政状態は問題ないらしい。

実際の日付・曜日が記され、現実の事故や事件の描写が多いです。それも話の本筋に関係させてくるからで、本題にとても説得力を持たせる効果があるんだけどどうしても虚実が混ざってきてまさしくワンダランドに入り込みそうな勢いです。


手元の幻想文学「中井英夫スペシャル 虚無に捧ぐる」で久生のモデルだと中井氏に実際に言われたそうな尾崎左永子さんは久生の服装についてのアドバイザーですが(「あんな間の抜けた女性というのはないじゃない」と仰っております)によると「あのなかに老人が死ぬ三面記事が出てくるじゃない。たしかあれ、本物の新聞記事を使ってるのよね。あれを見つけたときに言ったのも覚えてるわね。そういうのがパッと目に入ってくる、それがバシッとはまっちゃうんだって」
中井氏インタビューでも、「昭和三十年からの現実の出来事と、あらかじめ考えていた氷沼家の物語が見事な一致を見せたことは自分でも不思議」だったらしい。たとえはよくないけど某書「思考は現実化する」みたいな感じに思えます。


日付めもりつつ読んでいたらやはり氷沼家崩壊の過程が見えて寂しいんだけど、亜利夫が目白の氷沼邸を割と頻繁に訪れているのでこいつ厚かましいな笑 と思わないでもないです。しかし大きな不幸があったあとで、長年疎遠だった後輩の蒼司を慰めるという大義名分がありますが亜利夫の結構ダイレクトな蒼司への憧憬っていうか慕情はわかりやすい。(作者の嗜好を考えても)そして蒼司もそれを逆に利用していたというのがラスト、なんともアリョーシャかわいそう!!となる理由なんですが、牟礼田さんに最後パリへかっさわられるのが哀れ度MAXでした。
しかしあれだけ亜利夫、が頻繁に氷沼邸に行けたのも単純に家が近いからでしょうかね…千葉県民は羨ましいです。あの当時の地理描写もとても興味深いのですが、今回はiPhoneのマップまで使って電車の駅とかタクシー乗ってるときにこの橋を渡り とかの部分を調べてしまった。目赤不動もやっぱりあるんだ!!と嬉しくなりました。


氷沼邸一階見取り図。
「中井英夫スペシャル」にありましたが本作だけの一階描写じゃ限界だ…という自分にとってはとても貴重で役に立ちました。

ここでこういうエピソードがあった!というがっつり聖地があれば「虚無への供物」詣でをするところ、一番のスポットと言えば氷沼邸になるのでしょうか…。 むしろTwitterで見たホビット庄のビルボ・バギンス邸よろしくドールハウスでも作りたいところが間取りはいいけど外観が分からんですね氷沼邸。そしてNHKのドラマも円盤化はしてないらしく、ドラマなら邸描写もあったろうけど亜利夫の存在がカットされていたので(感想によると、『探偵役が一人減ったのでわかりやすくなった』らしい)それはだめだろ!!と私は当時放送見なかったんでありました。本作でも全編にわたってないがしろにされていた亜利夫がついに!といたたまれなかったわけですが今なら観たい。たまに再放送しているらしいけど今年は節目だからまた放映してくれるでしょうか。

蛇足ながら初詣は地元の、彰義隊が逃走中に立ち寄った伝があるお寺に行き→浅草が地元の友達が「浅草寺は凄すぎると思うから神田明神に行きたい」というので!!


神田明神て秋葉原で、ラブ○イブというアイドルを育てるでゲームの聖地ということで痛車はいるしそれっぽい人らはずっと行列(ちゃんと並ぶ)のなかでゲームの話をしているし、神社まで続く急激な階段をやたらシャッターに収めている人が多い!と後で調べたらそれもちゃんと劇中に登場するスポットだった。これぞ町興し。しかも明らかにラブ○イブ詣でで来てる人も楽しそう。というわけでこれは所縁の土地なんだよ~って思える場所があったら少なくとも自分は嬉しかった!と思ってしまった。とりもなおさずオペラ興味なかったときでも一応バイロイト劇場見学ツアー行ってしまった自分のような人もいるからには!

ホビット 決戦のゆくえ を観た感想

2015年01月02日 | 映画観た劇場編
「さまよえるオランダ人」聴き続けておりますがなんだこれ凄いというフレーズが多くなってきましてさすがワーグナー。
今日「リゴレット」CDがAmazonぬから届いたので引き続き予習します けどワーグナー凄いな…が止まらないのでありました。

昨日観た「ホビット」感想をまとめます~。
ロード・オブ・ザ・リングス「指輪物語」シリーズがたいそう好きなため色々しつこいです。

多聞に漏れず前回のラブロマンス展開に驚愕したので&フィリキリ兄弟とトーリンおじさんがほのぼのしかった1作目→2作目観るときよりはウキウキしておりませんでした実は。
あとトーリンが財宝に目が眩んで次第に病みだしたのがやっぱり辛かったせいもあります。2作目もものすごく「続きは次回!!」って箇所で終了 カンバーバッチさんノリノリですね…という印象に攫われたし。ちなみに今作観るにあたってホビット1.2の復習はしてなかったですが、前日に指輪物語再放送見てたのでなるほど本編のそこここに各作へのリンクはある…と分かりなるほど感が増大した。(とすればやはり復習しといたほうがよかったんでは)ピージャクの原作傾倒っぷりに一番の信者はこの人だと感嘆した次第であります。

トーリンは見た目自分的にまったく文句なしで画面に映るたびにやめて目が!!と思ってましたがバルトも男前だな…二人とも白髪とか別にそのまんま設定で歳とっても恰好いいというのは凄いですねどういうわけなの?ちなみにバルト「ドラキュラ・ZERO」観たときに同じ人だとは気づかなかった(最初から終わりまで、しかしイケメンじゃのお…と思ってただけだった)
公開当初にTLがお通夜状態だったのはこれか…とやっと納得いき、最初は理由はなんだかわからないがこのみなさんの様子からすると見たらテンション下がるのは必至だなと鑑賞を先延ばしにしていたのですがドワーフイケメン枠が全滅したせいだったのですね…。
途中トーリンは病みに病んでましたが自力で疑心暗鬼状態を脱したさすがな王でした。王冠戴いてる姿も素敵だったが投げ捨ててしまった。
今回ハッスルしてみたスランドゥイル様はやだーちゃんと戦えるんじゃん!!となぜか思ってしまうほどの八面六臂なご活躍でした。レゴラスは本当に綺麗な顔して粗暴っていうかでもさすが動き無駄ないけど 指輪物語より前の話だから若さゆえ…という設定なのか?やんちゃなのあまりにもかわいい。そして今回初恋に敗れちゃったのがそのままアラゴルン追っかけベクトルへ繋がってしまった設定でしょうか。アラゴルンはスランドゥイル様も激推ししてたしね

美しすぎる種族エルフは戦装束も耽美・戦闘のフォーメーションも耽美(戦法も意外にシステマティックでやはり見てて美しい)
ドワーフは丈夫すぎて、こりゃやられる!!という場面でも結構頑丈でほっと一安心。トーリンと一緒に砦にいるドワーフのみなさんも思いのほか好戦的で微笑ましかった。エルフと同じく、ドワーフのあの組織的な戦闘法も、さては訓練されている!!と感嘆することしきりでした 私戦争映画(第二次世界大戦とかベトナムとか潜水艦も含む)好きなほうだと思うけど、あれだけ戦シーン続いても飽きさせないのは凄かった。戦い方が原始的なだけに恐ろしいんだけど、オーグみたいなの襲い掛かってきたらとりあえず「すいません」と謝りたくなりそうです間違ってもバルト率いる人間たちみたいに結構丸腰に近い状態で抗戦はできなさそうな。

指輪物語で名前も聞かないからそりゃなーと死亡も予想してたドワーフのみなさんだったけど、シリーズ終わってみるとなかなか寂しいです。冒険はやっぱ始まりが心浮き立つんだな!!とまあ旅行と同じですかね。ビルボはその後すっかり落ち着いちゃったわけだしね。しかし家離れて他の1年以上か!と。1年くらい一緒にいた仲間を旅の最後に亡くしてしまったら、そりゃ落ち着きたくもなるのだろうかと考えてしまったことでした。