生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月28日 | 第16章ホモサピエンスの愛
「真の愛」という言葉に若い頃から悩まされてきました。小学生から大学を卒業するまで、色々の場面で「人を大切にしなさい」と教師には言われ親からも説教されてきました。戦争中は神奈川県の葉山に住んでいましたが、そこには御用邸があり、昭和天皇に対する敬意をいかに表現するかを小学校の先生たちは盛んに私達に教育すます。戦後、越後の山奥に疎開しますと、今度はアメリカの軍人たちをいかに歓迎すべきか、先生たちに教育されます。何が何だか分からなくなり、子供の私は混乱していきました。高校に入ると、戦時中、軍事教練をしていた先生が学生に戦後は、あべこべな事を言うので、冬でしたが、その教師は学生につかまり、この嘘つきめ、と冬のプールに叩き込まれたのを見たことがあります。その先生は戦時中に言う「人を大切に、国を大切に」という内容が、戦後まるで逆になったからでしょう。こうして時代が変わり、政府がアメリカの影響を受けて大いに変わり、言う内容があべこべ、という風潮が出てきます。ギリシャ、ローマ時代の「真の愛」と中世期、近代、現代、さらには中国、欧米、南米、太平洋等、国が変われば、「真の愛」に解説も、それぞれ違ってきます。地球のあちこちで、人を、自分を大切にするには、どうしたらいいのか悩む人々に、びしっと、この「真の愛」について解説した名作は無いものでしょうか?哲学の世界で言う「真善美」をびしっと語る名作は、日本では西田幾多郎「真善美」しかありませんが、それとても非常に抽象的で分かりにくい本です。愛の孤独感で生き甲斐を喪失した人々に長年、関わりながら、いまでも答えらしいものが見えてきないのは何故なのでしょう?この問題について、これから思索していこうと思います。ホモサピエンスはアフリカで誕生して以来、この愛の領域についてギリシャ神話で語り、聖書で語り、それぞれの民族の民話で語り続けている理由は、何でしょう?一人ひとりの答えは全部、違うようですので、それでは、どうしたらいいのでしょう?多分、納得のいく答えは、自分の成育史の中での過去の事例を意識化する方法しかなさそうです。例えば、あの事例では、自分は心の底からA君との友情に感謝しているなあ、とか、B子さんとの恋、愛情に感謝している、とか父、母、兄弟、おじさん、おばさん、先生とのあの風景が、我が人生での「真の愛」だったかも、という事例を色々思い出し、その事例から「真の愛」は、あれかもしれない、という事例を10から20ほど思い出すと、自分なりの「真の愛」が見えてくるようです。一番の早道は、それぞれが出会う伝統宗教の哲理をまず検証し、それに加えて自分の事例を加味して学友と語り合う方法が無駄のない方法かもしれません。ホモサピエンスは、永遠に「真の愛」に飢えている生き物なので、この探求、追求が「生き甲斐の心理学」を学ぶ醍醐味です。私の結論はお会いした時に、恐る恐る語ります。ほんものの愛、恋、友情、信仰が人を一番幸せにすることは間違いないようですので、この思索は続きます。皆様の「真の愛」について、勉強会で語り合いたいです。 



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホモサピエンスの愛と感謝と... | トップ | ホモサピエンスの愛と感謝と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

第16章ホモサピエンスの愛」カテゴリの最新記事