愛読者の皆様、命拾いをした今回の病気「憩室出血」を契機に、気楽に書く事を決意し、この16章は「ホモサピエンスの愛」について書いていきます。毎日は書けませんが気の向くまま自分の為に書いていきますので、皆さまもあまり学術的に批判せず、おバカちゃんのたわごと、と笑いながら読んでいただけるとありがたいです。
さて大学病院の検査室での場面:下血が止まらない状態、つまり肛門からどくどくと暖かい血が流れ出ている状態ですが、モニターには私の大腸の中を内視鏡が、どこが破裂した憩室かを探し求めて動いていくのが見えます。大腸の中がカラーで映し出されているのですが、美しい細い肉の糸状の林の中を、どこが爆発した憩室か、カメラが動いていきます。耳元で医師があったぞ、と叫びます。血止め作業も見えてきます。何んとか探し当てて血止めに成功したようです。
モニターを見ている私の血圧が40くらいになったそうです。半死状態ですが、まだ意識はあります。今から思いに、その時、幻聴幻覚を見ていました。
救急車で搬送された日から3回目の内視鏡検査でした。
さて、こうして23日後に退院した私ですが、現代医学で救われた私ですが憩室は縄文時代にも、世界各地にも、当然ありました。この憩室爆発での下血で死んでいった私達の祖先も沢山いたわけですが、この第16章 「ホモサピエンスの愛」では日本ばかりでなくロマノフ王朝、イギリス王朝、ギリシャ、ローマ、アフリカ、中国、世界中の歴史や現代nミトコンドリアを中心とした遺伝子的人類のお話を、あちこち気ままに飛びながら書いていきます。下血のお話は今日で終わりです。
この退院までの23日間に受けた講座生徒の皆様、医師の方々、天使の看護師さん、色々のカトリツクの修道会の神父さんやシスター方、友人たち、親戚、学友、なんと大勢の未知の新聞、ラジオ等の愛読者の方々のお祈りのお陰で無事、こうしてブログを書くことができました。
毎日は書けませんが気ままに、歴史が古代だろうが現代だろうがロマノフ、イギリス、フランス、あちこと気ままに飛び歩きだすのが今日です。ホモサピエンスの愛を巡り、心理療法から学習したホモサピエンスの生き甲斐の心理学とは何か、いよいよ愛の世界の本質に迫ります。
ではまた。
猛暑の中、皆さまも憩室出血になりませんように、御身大切に。
さて大学病院の検査室での場面:下血が止まらない状態、つまり肛門からどくどくと暖かい血が流れ出ている状態ですが、モニターには私の大腸の中を内視鏡が、どこが破裂した憩室かを探し求めて動いていくのが見えます。大腸の中がカラーで映し出されているのですが、美しい細い肉の糸状の林の中を、どこが爆発した憩室か、カメラが動いていきます。耳元で医師があったぞ、と叫びます。血止め作業も見えてきます。何んとか探し当てて血止めに成功したようです。
モニターを見ている私の血圧が40くらいになったそうです。半死状態ですが、まだ意識はあります。今から思いに、その時、幻聴幻覚を見ていました。
救急車で搬送された日から3回目の内視鏡検査でした。
さて、こうして23日後に退院した私ですが、現代医学で救われた私ですが憩室は縄文時代にも、世界各地にも、当然ありました。この憩室爆発での下血で死んでいった私達の祖先も沢山いたわけですが、この第16章 「ホモサピエンスの愛」では日本ばかりでなくロマノフ王朝、イギリス王朝、ギリシャ、ローマ、アフリカ、中国、世界中の歴史や現代nミトコンドリアを中心とした遺伝子的人類のお話を、あちこち気ままに飛びながら書いていきます。下血のお話は今日で終わりです。
この退院までの23日間に受けた講座生徒の皆様、医師の方々、天使の看護師さん、色々のカトリツクの修道会の神父さんやシスター方、友人たち、親戚、学友、なんと大勢の未知の新聞、ラジオ等の愛読者の方々のお祈りのお陰で無事、こうしてブログを書くことができました。
毎日は書けませんが気ままに、歴史が古代だろうが現代だろうがロマノフ、イギリス、フランス、あちこと気ままに飛び歩きだすのが今日です。ホモサピエンスの愛を巡り、心理療法から学習したホモサピエンスの生き甲斐の心理学とは何か、いよいよ愛の世界の本質に迫ります。
ではまた。
猛暑の中、皆さまも憩室出血になりませんように、御身大切に。