本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『信長を殺した男』5巻発売

2019年03月14日 | 427年目からの挑戦
 『信長を殺した男~431年目の真実』第5巻(藤堂裕著・明智憲三郎原案・秋田書店)3月19日発売。帯に【累計100万部突破!!】【「2020年大河ドラマ「麒麟がくる」推進協議会推薦】【現代社会人必読”明智光秀”とは何者なのか】。ストーリーは本能寺の変直前へ。
 巻末に第6巻2019年秋発売予定の予告あり。本能寺の変本番へ。第6巻を読むためにも、第5巻は見逃せない。

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問 信長は中国(明)を攻めようとしていたのか?
 当時、日本に来ていたイエズス会宣教師の報告書にそう書かれています。「信長は毛利に勝利したら、一大艦隊を編成して明へ攻めこむ考えである」と。日本国内にはそう書いた史料が存在していないのですが、十年後に豊臣秀吉が唐入り(中国侵攻)の準備を始める際に、イエズス会に対して東シナ海を渡れる軍船とその操縦のできる航海士の提供を求めたことから考えると、信長の唐入りの意思がイエズス会のみに伝わったのも同じ理由からだと気付くでしょう。当時の日本にはそのような大型の軍船も航海士も存在しなかったのです。
 秀吉の唐入りの目的をイエズス会宣教師は「天下を統一して国内に新たな土地が無くなったので、家臣に与える土地を中国で確保するため」であるが、「これは表向きの目的で、本当の狙いは国内に置いておくと将来危険な人物を国外へ放逐するため」と分析しています。これは信長も同じだったでしょう。天下をとるような人物(天下人)は他人よりもはるかに先を読んで手を打っていたのです。
 イエズス会宣教師は秀吉の唐入りのニュースが伝わると日本中がパニックに陥ったと書いています。見も知らない国へ攻め込むのは死に行くようなものだと考え、きっと有力な武将が謀反を起こすとか、各地で謀反が起きるといった噂が乱れ飛んだとのことです。イエズス会宣教師が「謀反」という言葉を書いた事案はこれだけです。明智光秀が信長の唐入りを知ったら、どう考えたでしょう。当時の光秀の立場に立って考えてみてください。

問 信長はどうして家康を討とうとしたのか?
 戦国武将は自分の一族の生き残りを自分の責任として、その責任を果たすために最善を尽くして必死に生きていました。信長にとっては、その行きつく先が天下統一であり、唐入りだったのです。彼らが責任を負っていたのは自分一代のみのことではなく、子や孫や子孫代々への責任をも負っていました。
このことは先祖や子孫への感性が薄れた現代人にはピンと来ないことかもしれません。平家物語の描く悲劇は平清盛が自分一代で栄華を極めながら、自分の死後に一族滅亡をもたらしたことでした。琵琶法師の語る平家物語の悲劇を通じて、「平清盛の轍を踏むな!」が戦国武将の心に深く刻まれていました。
 そうならないように自分が生きている間に最善の手を打っておくことが天下人に求められていました。秦の始皇帝や豊臣秀吉は自分の死後に家臣によって子を殺されて天下を奪われました。彼らは明かに失敗したのです。
 一方、漢の国を建てた劉邦(高祖)は天下を取るとそれまで自分を支えてきた重臣を次々と殺して、四百年続く漢王朝の基礎を作り上げました。徳川家康も豊臣家を滅ぼして徳川の長期政権を築きました。彼らの所業は非情なものでしたが、天下人としては見事に成功したのです。
 このような武将の考え方を理解して歴史を見直すと、武将もずいぶん変わって見えてくると思います。父親の代から織田家と敵対し、祖父も父も信長の父の謀略で殺されたと考えている家康は何を考えたか、そのような家康を信長はどう見たか。彼らの立場に立って、考えてみてください。

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4 コメント

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Unknown (熊崎雄一郎)
2019-04-03 22:38:52
>麒麟がくる
しかしドラマの紹介記事や本日の歴史秘話ヒストリアなどを見る限りでは
どうも不安な気持ちにさせられてしまうんですがね……

とりあえず明智先生にはここ最近出版された明智光秀関連の書籍についても
感想・論評を戴きたい処ですが。何か戦国時代に対する無理解が拭えないらしいのが
困り所ではありまして
誠に困ったものです (明智憲三郎)
2019-04-04 11:10:00
 相変わらず軍記物の創作した物語を根拠にして怨恨説・野望説を振りまいている方々が多いのは困ったものです。2020大河も結局、その流れで司馬遼太郎国盗り物語に少し新しさを交えた話に終わるような気がしています。元亀の出る薬が欲しいですね。
Unknown (koifish)
2019-08-09 16:38:00
お初にお目にかかります。明智憲三郎様の本を読ませていただき感銘を受けたのですが、どうも一転腑に落ちないことがあります。なぜ光秀は家康が自分の味方であることを吹聴しなかったのでしょうか? そうしていれば史実より多くの味方を得られたはずですが
歴史観? (明智憲三郎)
2019-08-10 13:27:07
 どの武将も「勝ち馬に乗ろう」と虎視眈々としています。そのような状況で、「家康が味方」と言ってどの程度の効果があるのか? むしろ、「家康も謀反人」と白状して家康が追討されるだけと考えるのか。これは歴史観の違いでしょうか。

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