浪漫飛行への誘(いざな)い

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親鸞聖人のメール講座

2020年07月04日 09時19分10秒 | 宗教

新型コロナで巣ごもり中、「ゼロからわかる親鸞聖人」という無料メルマガを5月25日から16回にわたって購読した。釈迦や親鸞聖人の教えに興味を持ち、仏教講座などに参加していたが、コロナ問題で休講が続いている。歎異抄の本などをしっかり読めばいいのだが、目が不調で、細かい文字では疲れてしまうので、マイペースでゆっくりメルマガを読んでいる次第である。

メルマガでは、いろいろな切り口で親鸞の教えというか釈迦の教えを解説してくれるが、わかりやすくなるほどと思ったのは、第14回で説明されていた下記のたとえ話である。

「死んでいくときは、一人ぼっち」

温泉旅館に泊まると、きれいな掛け軸やインテリア、風光明媚な庭や清潔な布団などがあって気持ちいいが、どんなに「これいいな」と思ってもその日1日だけしか自分が自由にはできない。

旅館を出るときに「気に入ったから」といって部屋から持っていったら、窃盗罪で逮捕される。その日1日だけの、しばらくの所有物である。

考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉もこの世にいる間だけ、しばらく自分のものになっているもの。

死んでいくときには全部置いて、丸裸でこの世を去らなければならない。一人ぼっちでどこへ行くのであろうか。

人と駆け抜け争い、手に入れて、「おれのものだ」と誇っていてもしばらくの間。夢幻のように消えていく、はかない一生の間だけのことである。

大金を手中にしたとしても、権勢をほしいままにしたといっても、歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば、温泉旅館の客の出入りさながらである。

朝、客が部屋を出ていけば、昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる。その客も翌朝には出て行ってまた次の客の入ってくる準備が始まる。

どんな権力者とて、一夜の温泉宿の一介の客にすぎない。死んでどこへ旅立つのかも知らず。それなのに私たちはなぜ生きているのであろうか。

【必ず死ぬのになぜ生きる】

これこそお釈迦さまが出家された動機であり、親鸞聖人が仏門に入られた目的でもあり、我々が悟るべきそのものである。アニメ映画「なぜ生きる」(2016年)を見れば少しはわかるかなと思ったが、なかなかそうはいかない。映画には「蓮如上人と吉崎炎上」というサブタイトルがついている。800年前の親鸞聖人による浄土真宗が500年前の蓮如上人の時代に爆発的に広まったが、その時代背景において蓮如上人が布教の拠点としていた福井県にある吉崎御坊が1474年に放火され、炎上するという事件を通して、「なぜ生きる」の意味と考えていくものである。1回見るだけでは不十分ということで、2回目を見る機会を伺っているが、まだ東京での次の上映会が予定されていないが残念である。


映画「なぜ生きる」の予告編: 

https://youtu.be/UAJ8-dZoL1g (42秒)



マンガでわかる親鸞聖人の教え「なぜ生きる」:

https://youtu.be/ffPw6IQwb2Q (6分40秒)

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